紅王子と侍女姫  8

 

 

昼を過ぎたばかりの、何をするにも少し中途半端な時間帯。

城の裏へギルバードが足を進ませると広い畑が広がっていた。他に花壇があり、作業をしている人影が見えたため邪魔をしてはいけないと踵を返した時、離れた場所から誰かの名前を呼ぶ声が聞こえて来た。

何度も口にした覚えのある名前のような気がして、ギルバードの足が止まる。

 

「食堂に飾る花を用意しているのか」

「はい、ロン様。お仕事は終わられたのですか?」 

ロンの言葉に答えたその声に、軟膏薬を渡したあの時の侍女だと解った。他の侍女の声はわからないが、彼女の声は何度も耳にしていたから、そうだと解る。

 

「部屋や食卓をいつも花々で彩ってくれてありがとう。しかし、こんなにも手が荒れているじゃないか。少しは気遣わないと駄目だろう?」

「水仕事をするとこうなるのは致し方ありませんが、お気遣い頂き嬉しく思います。あ、ロン様。こちらの花をカーラ様にお渡しされてはいかがでしょうか」 

鋏の音がして、花を切っているとわかる。未来の領主とその城の侍女の会話。

自分が足を止めて聞いていて何があるという訳でもないのに、聞くともなしに聞き続けていた。丁度ギルバードからは花壇の二人が見えるが、花壇からは死角になっているようで気付かれてはいない。切ったばかりの花を手渡し、受け取ったロンが彼女の頭を撫でているのが見えた。

知らず眉間に皺が寄り、侍女に触れているロンにむっとする。

そんな自分の感情に気付き首を傾げ、それが何故なのか整理が出来ないまま二人に視線を戻す。ただ厭に親しげなその様子に胸がモヤモヤするのを漠然と感じていた。

侍女が切り取った花を受け取ったロンは、楽しそうに笑顔を浮かべて彼女に顔を寄せる。耳元で何かを囁いているのか、その内容に彼女が小さく頷いた。花の礼を伝えているのだろうと思いながら、何故そんな顔を近づける必要があるのだと思わず声を立てそうになる。

 

「君に様付け以外の呼び方をされるのが楽しみだよ。急くつもりはないが、本当に楽しみにしている。少しずつでいいから私に甘えて欲しいと願うよ」

「努力致しますが、ロン様に甘えるのはカーラ様だけで良いのではないですか?」 

その言葉にロンが柔らかい笑みを浮かべ、彼女の頬に手を伸ばした。 

「カーラとは違った意味で、君も大切なんだ。愛しいと思うよ」

「ありがとう御座います。その御言葉だけで私は充分幸せです」

 

彼女は逃げることなく、頬に触れているロンの手を甘受しているのが解り、見ているギルバードは二人の言っている内容にも不快な気持ちを感じた。気付けば自分の眉間の皺がさらに深まったのを知る。

 

「カーラに甘えてもらうのは勿論、君にも甘えて欲しいと願うよ。もちろん、焦らずに時間を掛けてゆっくりでいい。君が甘えてくれるなら、どんなことも叶えようと努力するだろうな。お願いだから、いつか僕の望みを叶えると頷いて欲しい」

「・・・ロン様」 

これから城の娘と結婚をして領主となる男が、侍女に手を出そうとしているのか? 

今までロンのことを誠実で清廉、高潔な人格だと思っていた印象が崩れ、眉間の皺が人生最大に深まっていた。更に彼女がその言葉に頷き、ロンからの申し出を受けるかのような態度を取ったことに憤りさえ感じている自分がいる。 

隠れて見ている自分にも腹が立ち、何故この場に隠れているのかと舌打ちしそうになるのをどうにか押さえて立ち去ろうとした時、聞こえてきたロンの言葉に全身が強張った。

                              

「ディアナ。早く君に、兄さんといわれる日が来ることを願っているよ」

 

 

 

**

 

 

 

アルフォンス王の二人目の妃、ギルバードの母親は王城に仕える魔法導師の一人だった。

魔法導師は王宮奥の瑠璃宮で国の安寧を願いながら、その魔法力で国に日々従事している。国の隅々までを網羅し情報を集め、王と国のために尽くすことを誓い、その誓いに王と国が魔法使いたちを庇護していた。その中の一人である彼女は長く艶やかな黒髪、冷たくも見える整った見目の美しさと清廉な態度で正妃が病死したばかりのアルフォンス王を慰める機会を重ね、心癒された王はいつしか彼女を愛しく想うようになっていく。 

清廉な彼女に癒され、いつしか恋しく思い始めた王は、何度も瑠璃宮を訪れては愛を語り続け、それを嫌った彼女は一時、王から姿が見えない魔法を使用したことさえあった。

しかし何度も頻繁に足を運び繰り返される求愛に、いつしか心動かされ、そしてその愛に応じ始める。

それでも妃になるには無理があると拒否を示し続け、王宮から本当に姿を消したこともあったそうだが、その後妊娠が判り深く悩んだ後に正式に妃となることに応じた。

驚くほど長命の魔法使いが多い中、彼女は当時見た目とほぼ同年齢ではあったが、魔法力を持つ彼女が人並みの生活を営もうとすることや妊娠は、魔法力を得るために培った過去の全てを捨てることと同じで、世界の安寧を願うはずの魔法使いが一個人に対して深い想いを持つことは矜持を裏切り、代償として命を削ることになるなど、当時の王は全く知らされていなかった。

新しい命の誕生を喜ぶ一方で、痩せ衰えていく愛しい妃の様子を訝しみ、他の魔法導師からようやく聞き出した時にはすでに遅かった。幾ら悔いても自身を呪っても腹の子は育ち、妃はその命を削ってまでも子を愛おしそうに育んだ。こうなることが解かっていても王からの求愛を受け、そして子を生したことを嬉しく思うと彼女は微笑みを零す。

 

そして生まれたギルバードは母親似の黒髪と、怜悧な顔立ち、魔法力の存在を示す紅い虹彩をその黒い瞳に輝かせて育っていく。育っていく過程で、魔法の存在を知ったギルバードは王城付き魔法導師から、その意味と禁忌について学び、魔法の存在と利用法を知ることで悪用されないようにするための防御と、悪用しないようにする精神力を学んでいた。

しかし十歳の時ディアナと出会い、日々耳にしていた、慣れたはずの言葉に激しく反応して魔法を発動してしまったのだ。

 

ギルバード自身、普段は本当に自分に魔法力などがあるのかと疑問に思っていたが、感情のぶれにより放ったそれは確かに魔法として自覚出来た。

瑠璃宮の魔法導師たちもそれを感知し、ギルバードがどのような魔法を使ったのかと調べようとしたが、当時の彼は硬く口を閉ざしたままで何も語らない。受け継がれた魔法力がどの程度のものなのか、瑠璃宮に従事する魔法導師たちにはわからず確かめようがない。

少女を突き飛ばす衝撃を放っただけなのか。

他に何か変化や作用を起こしたのか、起こすのか。

 

だが王都から離れた城伯を呼び出す理由もなく、時折魔法導師たちがリグニア家の周囲を探るに留めることにした。その後少女が問題なく育っているとの報告に王は安堵し、全ての調査を終了させる。

長く調査を行なっていると、それを怪しむ者が現れることが懸念されたからだ。

その後ギルバードがディアナのリボンを持ち続けていることが判明し、王子の魔法指導を担当していた魔法導師長が王に進言した。 

 

「ギルバード殿下が魔法を使った、それは間違いありません。その際に少女のリボンを手に魔法を使ったことが最近わかり、違う意味での問題が出てきました」 

報告を受けた王は首を傾ける。ギルバードの成長にも、相手側の成長にも問題ないと言うのに、今更何が問題なのだと問い掛けた。 

「殿下は彼女のリボンを手にして魔法を放ったのです。そのリボンから、リグニス家末娘は現在も魔法にかかったままだということが判りました。七年間もの長い間魔法がかかり続けているのは、彼女のリボンを殿下が持ち続けているのも原因の一端でしょう。リボンは殿下の魔法力の鍵であり、枷です」

「あの時から七年間、魔法がかけられ続けていると? しかし、ギルも相手も問題なく育っているようだが、解いていないということで何か問題が発生するのか? 鍵とか、枷とは何だ? そのリボンを本人に返せば済む話ではないのか」 

王が首を傾げ意味が判らないと問うと、魔法導師長は深い溜息を吐いた。

 

「魔法がかけられ続けているということは、相手と繋がっているということ。今更リボンをお返しして、それで断ち切れるかは不明です。魔法が彼女にどのような作用を齎しているのかも不明。ただ、解除は必要でしょう」

「魔法力が相手に・・・繋がっていると?」

「繋がったままでは、魂の一部が共有されている可能性もあります。感情の爆発ゆえの魔法とはいえ、リボンからは微弱ながら彼女の波動を感じます。どんな言葉を発して魔法をかけたのか、どんな魔法が彼女にかかっているのか解らないままでは、その後の二人に新たな問題が生じるやも知れません」

「鍵と枷は?」

「初めての魔法発動から後、殿下は魔法を使っていません。使えないのかも知れません。彼女のリボンを持っていることが魔法発動の抑止力になっている可能性があります。そしてリボンがその魔法を解く鍵かも知れないということです。まあ、全て私の想像ですが」

 

今後を考えると解除が必要だと魔法導師長は繰り返す。

相手側にどのような作用が齎されているか詳細は不明だが、あれから既に七年も経過し、リグニス家から王宮への訴えもなく、今更当時の詳細を聞くことも難しい現状に王が決断を下した。

 

「ギルバードに国内全ての領地視察を命じる。彼女に対し、どういう対処が望ましいかを魔法導師らと検討しながらリグニス家領地へと向かわせる。同時に、全ての領地視察をすることで、奴自身も己が継ぐべき地を見て勉強すればいい。ついでに各同盟国の招待も、王の名代として行って来い!」 

王の勅命により、ギルバードは領地視察とついでの同盟国巡りを開始することとなった。

ついでの同盟国会議や懇親会は、国王が面倒がっていたものだと知っているギルバードだが、王命とあれば頷くしかない。各領地視察の順路や同盟国からの招待内容、懸念される問題点やその対応の用意に一年を費やし、ようやく出立出来たのがギルバード十八歳の時だった。

 

 

 

侍従長であるレオンは十四歳の時から侍従として王子に付き従い、当時十歳のギルバードとディアナの出会いのことは、ずいぶん後になってから知ることになる。

彼が普段から大事そうに持っているリボンは最初形見なのだろうくらいに思っていた。時折そのリボンを眺め、深く考え込む姿に母親への思慕を募らせているのだろうと。

 

現在、正式な跡継ぎである男子はギルバードだけだ。

王は二人の妃が亡くなった後、もう婚姻はしないと公言しているため、王弟が第二位王位継承者で、その息子リースが第三位王位継承者。

一番近しい王位継承者はその二人なのだが、レオンから見ると王弟は自己顕示欲の固まりとしか見えず、アルフォンス王と同じ血が繋がっているのか不思議に思うほど政務能力がない。その癖、他者を介してばれないように影から王子に向けて誹謗中傷をする、王子担当の政務へ無理難題を割り込ませるなど浅ましい動きを繰り返している。勿論口には出さないが、レオンはそれらの証拠を全て収集済みだ。

今後問題となりそうな障害は全て取り除けるよう手配を済ませ、現在も裏側からのサポートを父である宰相と行っている。

 

問題はギルバードの魔法力。

そればかりは幾ら裏で画策しようにも、レオンも手の出しようがない。

集めた報告からはリボンの持ち主である少女が恙無くがなく過ごしているとしか判らず、社交界デビューもしていないため深窓の姫という噂しか聞かない。

他にはいまひとつ欲しい情報が得られないままリグニス家へ到着すると、ディアナ嬢は隣国の伯母の許へ出掛けているという。ギルバードの意気消沈は目に見えて判るが、彼女が問題なく過ごしている様子がわかり安堵した。

ギルバードの魔法力は彼女になんら問題を提起していなかったのだと。

だが王子が持つ紐と化したリボンには微量ながら魔法力が残存しているという。

それに繋がる何かを彼女が未だ感じているのか、本当に問題がないのかを確かめたいと望むギルバードだが、彼女は領地にすらいない。

姉の結婚式には姿を見せるだろうが、いつまでもこの領地に滞在し続ける訳にもいかない。引き続き偵察を続けて情報を得るしかないだろうと頭の中でまとめ終えた時、ギルバードが壊すつもりかと問いたくなる勢いで扉を開け、息せき切って飛び込んで来た。 

「レオン! お前が口説いていた彼女が、彼女だ!」

 

レオンは目を細めて、突然部屋に飛び込んで来た主である王太子殿下を見つめた。

かなりの動揺を呈しているギルバードは、荒い息を吐きながら真っ直ぐにレオンに向かって足を進め、直ぐに理解してくれとばかりに同じ言葉を繰り返す。 

「レオンがそうだと言っていたのが、そうだったんだ! 俺はお前のことを、女タラシの最低な奴だと思っていたが今回だけは見直したというか、まあ、正直ちょっとだけ尊敬した。あ、勘違いするなよ。ちょっとだけだぞ!」

「・・・・それはありがとう御座います、殿下」

「お前の女遊びも伊達じゃないのだと驚いた。女性観察眼が優れているのは確かに認めよう。人間考察は得意だと自負していた俺は全く判らなかったというのにな。だが、余り彼女の顔を見る機会がなかったのだから、仕方が無いだろう? その点、お前は顔を近づけて手まで握っていたからな。しかし直ぐに女性の手を握るのは、騎士道精神に反すると繰り返し伝えよう。そもそも騎士道精神というのはだな、崇高で高邁な精神を持ち、気高き志で」

 

興奮覚めやらず取り留めなく話し出したギルバードを前に、レオンは小さく嘆息を零す。何を伝えたいのか真意が伝わらず、その上に騎士道精神まで出てくると話の流れが全く違う方向へ向かいそうで、ギルバードの台詞を止めるしかない。 

「殿下。それで、私が口説いていた女性とは誰のことでしょうか」 

騎士道精神を滔々と語り始めていたが、そこで意識を取り戻して侍従長に向き直った。

 

「お前が厩舎でしつこく口説いていた侍女が、ディアナ嬢だ!」

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー