紅王子と侍女姫  9

  

  

領主と執事が呼び出され、殿下と侍従長と共に執務室のソファに腰掛ける。

明後日には王都へ戻る予定の王子と侍従長から何を言われるのだろうと二人の顔を窺うと、共にその表情は硬く見え、領主と執事は蒼白の面持ちで身体を強張らせた。

続く沈黙が重苦しく、しかし目の前の飲み物へ手を出すことが出来ない緊張が続き、領主の呼吸が苦しくなってきた頃、ようやく王子から言葉が発せられる。

 

「急に呼び出して申し訳ないが、時間が無い。ジョージ・リグニス、エルドイド国アラントル領主として、これから私が尋ねることに正直に答えてもらおう」

「は、はい! 何なりと、殿下!」

 

急激に乾いてきた咽喉に無理やり唾を飲み込ませ、領主は膝上の手を握り締める。

 

「リグニス家では娘に侍女の仕事をさせるのが習わしなのか?」

「・・・・っ!」

 

王子からの言葉に、娘の父であるジョージ・リグニスは目の前が暗くなるのを感じた。乾ききった咽喉から妙な音が鳴り、背筋に厭な汗が流れ、目の前のソファに腰掛ける王子と侍従長の顔が歪んで見える。

何も答えることが出来ずに視線を彷徨わせていると、王子から抑揚のない声色で詰問された。

 

「その家なりに育て方があろうとは思うが、ディアナ嬢が隣国に出掛けているのは嘘か? 王族に対し虚偽を申すとは、それなりの覚悟があると思うのだが、どうなのだ」

 

確かにその通りだ。しかし愛しい娘からの滅多にない願いを、今まで通りに過ごしたいと願う彼女の切なる願いを領主としてではなく、父として叶えてやりたいと思った。

 

「・・・も、申し訳ございません。どのように御処断されても罪は罪としてお受け致します。確かに娘ディアナは侍女としてこの城で働いております。その姿を殿下ご一同には知られたくないと、隣国に居る姉邸にいると嘘を申しました」

「やはりか!」

 

ギルバードが安堵の表情を浮かべて肩から力を抜き小さく頷いているなど気付くはずもなく、領主は蒼褪め深く悔やみながら今更だろうと項垂れる。

 

「侍女として働く娘に、そのままでいいと許可を出したのは私です。殿下を謀るつもりなど、ありませんでしたが、結果虚偽を伝えることとなり・・・・大変申し訳なく存じ上げます」

 

深々と低頭し唇を噛み締めるも、爵位剥奪は免れないだろうと領主は身体を強張らせた。しかし王子から掛かる声は柔らかく、強張った身体に更に緊張が走る。

 

「よければその理由を教えてはくれないか。私がここに来たのは領地視察が主ではあるが、もうひとつはディアナ嬢の様子を確認することなのだ」

「ディアナ・・・・の、様子で御座いますか? それは何故で御座いましょう」

 

領主が蒼褪めた顔を上げて問い掛けると、王子は目を伏せていた。詳細を聞かない方がいいのかとも思えたが、ことは娘に関することだ。親としても領主としても伺いたい。すると、殿下付き侍従長が長い足を優雅に組み替えて、口を開いた。

 

「今から十年前にリグニス侯爵は娘さんたちを連れて王城へ参られましたね。そのあと、ディアナ嬢に何かお変わりになったことは御座いませんでしたか?」

「十年前・・・・。 あ、確かに。でも、しかし・・・・」

 

領主は一旦、口を噤んだ。王子を目の前にして憚れるのではないかと思案する。

確かにその頃からディアナは侍女として働くことを強く望み、貴族子女として過ごすことを頑ななまでに拒み出している。しかし、実際には王子の方が詳細を承知のはず。それをこちらに問い質すのは何故なのだろうか。額の汗を拭い、必死に言葉を探すが上手く説明出来るか不安になる。王子も侍従長も黙ったまま、こちらの出方を待っているようで、胃が変に押し上げられるような圧迫感を感じてしまう。

 

「た、確かに十年前、娘たちを連れて王城へと伺う機会が御座いました。その時、一人はぐれたディアナが王宮侍従とともに汚れたドレスで戻って来たことがあります」

 

言葉を選びながら慎重に語ると、王子が肩を揺らしたように見えた。やはりディアナを連れて来てくれた王宮侍従が言っていた通り、娘と一緒に居たのは王子だったのだろう。

当時のディアナの説明は曖昧で理解しがたく、娘が何かしたかもしれないと思い、取り敢えずの謝罪をして王城を辞したのだ。その後のディアナの変化がそれに関係しているのではないかと思えても、王城へ追求することなど出来なかった。

 

「ギルバード殿下、もしやその時に・・・・何かあったので御座いましょうか」

 

恐る恐る尋ねてみると王子は視線を床へと落とし、唇を噛み締めたのが目の端に映る。

やはり王子とディアナの間で何かあったのだろう。その後の娘の妙な変化は、それがやはり関係しているのか。しかし、十年も前のことだ。当時十歳の王子が当時六歳の娘に何をしたのかは分からないが、その後十年間も心にとどめ、領地視察を兼ねて尋ねてくれただけで充分だろう。

 

「もしも、十年前のことを殿下がお気にされているのでしたら、どうぞ気になさらないで下さいとお伝え申し上げます。ディアナは問題なく健康に育っております」

「では・・・・では何故、隣国に行っていると嘘を吐いてまで、彼女は侍女の姿で城にいるのだ? 何故侍女の仕事を彼女が行っているのだ? それはいつからだ?」

 

ギルバードは卓に手をつき、迫るように問い質す。レオンが肩を掴み落ち着くように無言で伝えると、縋るような視線を向けながらもギルバードは呼吸を整え、深くソファに腰掛け直した。侍従長がその様子に満足げな表情を浮かべ、そして領主へと顔を向ける。

 

「ことは殿下に関することであり、早期に解決したい事項でもあります。ですから、正直にお答え下さい。いま、殿下が質問されたことを、嘘隠し立てなく、正直に」

 

静かだが、若い彼から発せられた低い声色には有無を言わせぬ迫力があった。領主は自分が知りうる限りのことを正直に伝えるべきだろうと、力無く顔を上げる。

 

「十年前、王城から戻った娘は突然、侍女として働きたいと強く申し出ました。ドレスを厭い、侍女の仕事をしたいと。いくら家族が止めようとも頑として拒み、最低限の教育のみ受けさせたあとは彼女の気持ちを尊重して、侍女の仕事をさせることになったのです」

 

領主からの答えにギルバードが小さく息を飲み膝上の手を強く握り緊め、レオンが大きく目を見開き、無意識に髪を掻き揚げる。

 

「・・・・・十年って、彼女は六歳から侍女の仕事を?」

「いくら止めても聞かず、閉じ込めると脱走し、隠れて掃除や畑仕事をする始末。隣国に出掛けていることにしたのは、殿下が御出での間、貴族の娘として振舞うことが苦痛と訴えたからで御座います。このまま侍女として過ごし仕事をしていたいと望んだからです」

 

ギルバードが顔を顰めて自分の握り拳を凝視しつつ、掠れた声で問い掛けた。

 

「王宮で何かあったとは思わなかったのか。私と何かあったのかと、思わなかったのか? 問い合わせようとは思わなかったのか。娘の異変に親として何かしようとは・・・・」

「・・・ギルバード殿下」

 

王子からの問い掛けに、領主は困った顔で僅かに俯き首を横に振る。肩を震わせ問い掛けるギルバードの背を優しげに叩き、レオンは宥めた。

 

「王族に対して何かを訴えるなど、誰も出来るはずがないでしょう。大きな怪我をしていたとしても、相手は王太子殿下、王族だ。何も言える訳がないのですよ」

「っ! し、かし・・・・」

 

王子の握り拳が震えるほどに握り締められているのを目にし、領主は静かに話を続けた。

 

「娘は彼女なりに充分楽しく日々過ごしております。貴族の娘として過ごすことだけが、彼女にとっては苦痛で、それだけは親として切ないですが」

 

ですから社交界デビューも出来ずに、城下では深窓の姫など変な噂が流れているのですと苦笑しながら付け加えた。レオンが表情を和らげ、「城に従事している者は、みな承知しているのか?」と尋ねると、領主は微笑んで頷いた。

 

「みんな承知で働いております。もう十年ですから慣れでしょうね。一応醜聞は困るので内密にするよう伝えてありますので城下の者は知らないはずです。それに侍女としての仕事は早くて丁寧。親ばかと言われそうですが、料理もうまい。皆様にお褒め頂いた料理と菓子は全てディアナが担当したものです」

 

頭を掻きながら恥ずかしそうに言う領主を見て、ギルバードは眉根を寄せて強張った笑顔を浮かべた。そして、ゆっくりと侍従長であるレオンの顔を見て、しばし唇を噛み締めていたが、領主に向き直ると深く息を吐き静かに立ち上がる。

領主であるジョージと執事のラウルが驚いて立ち上がろうとすると、レオンがそれを押し留め、座っているように手で制する。

ギルバードは右手を左胸にあてがうと、対するソファに座る二人に深く頭を下げた。王子の行動に声無き悲鳴を上げて慌てて領主と執事が立ち上がろうとする前に、ギルバードが口を開いた。

 

「此度のディアナ嬢の件、私が、このギルバード・グレイ・エルドイドがきっかけであり、原因だ。十年前の私の浅慮が今の彼女へと変えてしまった。どうか、許しを請いたい」

「・・・・殿下」

 

頭を下げたまま身体を強張らせる王子に、意味もよく解らないまま、領主も執事も何も言うことが出来なくなり、執務室は水を打ったかのように静まり返る。

 

「実はリグニス家が王宮より去った後より幾度か調べをさせて貰っていた。ディアナ嬢が健やかに育っていると知り問題はないと思っていたのだが、私付きの導師より異変があるかも知れないと言わた。・・・・来るまでに、こんなにも時間が掛かり申し訳ないと先に謝罪させて貰いたい。そして直ぐにでも彼女に会わせて貰い、本来の彼女に戻れるよう解決の試しをさせて欲しい」

「試し、で御座いますか。それでディアナは元に戻るのですか?」

 

そう問われたギルバードは口元に手を当て、黙考した。

瑠璃宮の魔法導師より幾つかの試しを習得させられてきたが、自分の力だけで直ぐに魔法解除が出来るか、正直やってみなければ判らない。その前にディアナ本人に魔法にかけられている事実を認識して貰わなければならないのだ。

 

「まずは本人と話し合いたい。その上で解決法を模索させて欲しい」

 

ディアナ本人と話す。そこからが始まりだとギルバードは背を正した。

 

 

 

 

ラウルに呼ばれたディアナは領主の執務室に入り、王子と侍従長がこの場にいることに違和感を覚え、思わず眉を寄せて父を見つめた。

 

「ディアナ、お前がリグニス家の娘であると正直に話したよ」

「御領主様、それではお約束が! ・・・・・いえ、殿下。虚偽を申し立てたのは私に御座います。御領主様、いえ、父にお願いして隣国に行っていると言わせておりました。ですから、どうか罰は私だけにお願い申し上げます」

 

両膝をつき床に手を置こうとするディアナの手を取り、ギルバードは声を掛ける。 

「それは既にジョージと話が済んでいる。まずは貴女と話がしたい。床ではなく、そこのソファに座ってくれ。・・・・・謝罪はしなくても良いから」

 

レオンが領主と執事を連れて出て行くと、部屋にはギルバードと二人きりになった。

ディアナは蒼褪めたまま勧められたソファに浅く腰掛け、両手を膝に組んで息を詰めて目を伏せる。

王子に嘘が知られてしまったと、侍女として過ごしたいがために領主である父に嘘を吐かせていたことも知られたと、怯えながら王子からの言葉を待つ。

王族に対しての虚偽はどのような刑罰になるのだろうか。両親やカーラだけではなく、次期領主となるロンにまで迷惑が掛かるのではないか。嫁いだ姉にまで何か咎がいくのではないか。

そう考えるとディアナは息が詰まり胸が苦しくなる。

全ては自分が招いたことだ。侍女として過ごしたいがために家族を不幸にするなんて、なんて愚かなことをしてしまったのだろうと全身を震わせた。

 

しかし王子は怯え震えるディアナの両手を取ると目の前で跪き、真っ直ぐに見つめた後、静かに頭を下げてくる。驚いてディアナが立ち上がろうとすると手で制され、そのまま動かずに座っていて欲しいと告げられた。

 

「ディアナ・リグニス。あなたは十年前、王城で私と会ったことを覚えているだろうか」

「は、はい。覚えております。・・・で、ですが、朧気にしか覚えてはおりません」

「朧気、か。では私と何を話したか、何があったかを覚えているか」

 

ギルバードに問われ、ディアナは視線を落として王城でのことを脳裏に浮かべた。

集まった貴族や国王陛下と話し込んでいる両親と共にいたが、しばらくすると退屈になり、場を離れてどこかに歩き出した。王宮庭園を歩いていた自分が出会ったのはひとりの少年だ。身なりの良い、焦げ茶のブレザーを羽織った少年が噴水の横を走っていく。手には珊瑚色のリボンを手にして、黒髪を靡かせて走っていく姿をぼんやりと思い出す。

 

「・・・噴水の横を怒った少年が走って行きました。その少年は・・・殿下だと思います。たぶん・・・私が何か言って怒らせたのでしょう。その後に大人の男の人が・・・王宮に従事する方だと思いますが、その方が私を親の許へ連れて行ってくれました」 

 

繋がれた手に視線を落としたまま、ディアナがぽつりぽつりと話すのを、ギルバードは身を強張らせて聞いていた。執務室の窓から入り込む夕刻の日差しに彼女の頬が仄かに赤らんで見えるが、視線を彷徨わせながら語る彼女の表情は暗い。

 

「何故、私が怒ったと?」

「殿下が・・・・殿下の唇が震えていたのを覚えています。下げられていた手が強く握られていて、そしてあの時、私を睨んでいた・・・ような気がします」

 

そう話しながらディアナは軽い眩暈に襲われる。

突然、目の前が真っ暗な闇に包まれ、驚いて顔を上げるとそこには沢山の白い紙片が舞い始め、その内の一枚の紙片に噴水の水飛沫が描かれているのが見えた。他には走り去る少年の背と花壇の花が描かれ、陽光を受けた艶やかな黒髪が揺れている様子も見える。

一枚一枚に違う風景が描かれており、それが宙に舞い、ディアナを翻弄する。余りに多い紙片が目の前で舞うように踊り、描かれている風景を目で追っているうちに目が廻り出した。

 

「・・・・・すいません。少し目が回ってきて」

「大丈夫か? 顔色が悪い。 ・・・・・・俺ではこれ以上は無理か」

 

ギルバードの手がディアナから離れた瞬間、舞っていた紙片の映像が消え、見慣れた執務室にいると判る。驚いて周囲を見回すと顔を顰めた王子がいて、ディアナは目を瞬いた。

 

「今・・・私が見ていたのは夢、でしょうか。たくさんの紙が舞っていて、その紙にはそれぞれに噴水や花壇が描かれていたのですが。それと、殿下らしき少年も」

「ああ、接触によって過去の記憶を掘り起こしてみただけだ。一種の魔法だが、俺ではこれ以上は上手く誘導出来ないようだな。気分は悪くないか?」

「・・・・・魔法、で御座いますか?」

 

ディアナはきょとんとした顔でギルバードを見つめた。父である領主からもそんな言葉を聞いたことがあったような気がしたが、まさか王子から突然そんな言葉が聞かれるとは思いもしない。一国の王子から魔法といわれて、どういう返事をしていいか判らず、ディアナは呆けてしまう。

 

「私では埒が明かないということが判明した。そしていまだディアナ嬢に魔法がかかっていることも判った。だから王城にて魔法解除を導師に行って貰うこととする」

 

王子の言っている内容が理解出来ず、ディアナは目の前の王子を見つめながら首を傾げる。ディアナの理解出来る許容範囲を超えており、王子と手を握っていたことや、今もじっと目を見つめている自分に気付きもしないほどに茫然としていた。

 

「あー・・・つまりディアナ嬢は十年前、王宮庭園で俺に魔法をかけられたんだ。その後魔法は解けることなく、貴女は侍女として働くことを余儀なくされていた。まずは謝罪をさせて貰いたい。ディアナ嬢。本当に、あの時は申し訳なかった。どうか許して頂きたい」

「いえっ! 殿下、謝罪などなさらないで下さいませ!」

 

跪いたままの王子に頭を下げられ、ディアナは悲鳴のような声をあげる。朧気にしか覚えていないことで一国の王子から謝罪を受けるなど、ディアナには想像出来ないことであり、更に魔法などという童話か空想物語に出て来る言葉を言われても理解することが出来ない。

それなのに王子は謝罪と共に王城へ来いと言っている。

 

「魔法にかかったままでは支障がある。領主には伝えてあるが、貴女は王城に来て貰うことになった。明後日には出立するから、その用意をして欲しい」

「・・・今のままで何の不都合も御座いません。侍女として過ごすことに喜びすら感じておりますので、これ以上殿下のお手を煩わせる訳には参りません」

「魔法がかけられ続けているということは、魔法をかけた私と繋がっているということらしい。放置して後で互いに不都合が出ては問題だろう。ディアナ嬢が王城に行くことは決定とさせて貰いたい」

 

ディアナは治まったはずの眩暈に再び襲われた。

 

 


 

 

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