頑なな賢者の祈り  6

 

 

「手紙の内容は差し障りのないよう、気をつけたつもりです」

昨夜認めた手紙の内容を、皇女であるウサギに確認してもらう。窓辺近くの卓に広げた手紙を、ウサギは黙って読み進め、俺を見上げると目を細くして頷いた。

 

「これで問題はないと思います。ラルフ殿下に何か起きていないことを祈るばかりですわ」
「そうですね。急ぎ王城の友人へ渡るよう手筈を整えますので、御安心を」

 

そうは言っても心配は尽きないことだろう。

捕らえられたままの侍女や警護騎士、自国で伏せている母親の容態、ハムガウト国の魔女の動向。考えれば考えるほど気が重くなるのは同然だ。この手紙でラルフ王子に魔法をかけられたかどうかを知ることが出来れば、僅かでも一歩前進出来ることになる。
この先の展開をどうするか、それが悩みの種だが―――。

 

「ハムガウト国にいる魔女が苦手とする品を手に入れることが出来れば、倒すことは可能でしょうか」

カミルの問いに、ウサギは首を傾げてから答えた。    

「・・・・『魔法石』が魔女に対して、どの程度の効力を持つか、どのように使用するのか、残念ながら知らないのです。ただ、そう伝え聞いていることと、今回私が攫われそうになったことで効力があるのだろうと確信できた程度です。『魔法石』がどのようなものなのか、見たこともありませんし」
「始祖の子孫といっても、長い年月が経っておりますから仕方ありませんね」
「殿下が操られていなければ『魔法石』について尋ねることも可能でしょうが、王以外は知らないという場合も考えられます。いえ、その可能性は大きいと思っていた方がいいかも知れません」

 

それでは皇女が元の姿に戻る手立てがないではないかと口に出しそうになり、カミルは拳を握り締めた。
誰よりも口惜しいのは皇女であり、自分ではない。まずは出来ることから少しずつ動くべきだと、手紙を封筒に入れ、早馬を出すことにした。あとは返事が戻るまで、ここで大人しく待つしかない。
激しい雨が降り酷くぬかるんでいた地面も朝からの強い日差しで大方乾いているようだ。カミルは窓から外を眺めているウサギの頭を撫でながら、気分転換になるだろうと視察巡りに出掛けるかを尋ねてみた。

 

「畑ばかりが広がる田舎領地ですが、御覧になりますか?」
「よろしいのですか? ありがとう御座います。ぜひ、御連れ下さいませ」

 

階下にいたコンラートにくれぐれも部屋へ入らないよう厳命し、念のために寝室の扉前に重いテーブルを移動させる。抱きかかえたウサギを見つめたコンラートが大仰な嘆息を零すのを見ないふりして視察に向かうと告げると、見合いの釣書きには目を通したのかと問われ、カミルは脱兎の如く逃げ出した。

厩舎に行くとトルードが腕の中のウサギに鼻先を近付ける。

 

「あー、トルード。このウサギは皇女様だからな、お前も敬意を払うように」
「カミル様、そのような気遣いは無用ですし、トルードに皇女の身分など通じませんでしょう」
「いや、トルードは本来気性が荒いのに、最初から貴女様には穏やかな態度だった。きっと何かを察しているのでしょう。俺以外は近くに寄るのも難しいくらいの馬だが、貴女様を乗せるのに嫌がらなかった」

 

カミルの言葉にウサギは目を大きく見開き、トルードへ向ける。黒曜石の瞳がゆっくりと瞬き、僅かに頷くトルードにカミルも流石に驚いた。

鞍や鐙を用意している間、地面に降ろしたウサギへと顔を近付けるトルードに思わず口元が緩み、そういえばと思い出す。トルードの方が先にウサギの言葉を聞けとばかりに行動を起こしていた。主人である俺を吹っ飛ばすという暴挙に出たが、そのお蔭で皇女の身体を探しに行く気になれたのだ。

 

「皇女様、領地巡りで少し飛ばす時もありますので、何か袋にお入りになって・・・・ああ、それじゃ風景を楽しむことも出来ないか。ベルトに括り付ける訳にもいかないし・・・困ったな」

 

ウサギの手では手綱に掴むことなど出来ないし、城に連れて来た時のように馬上に乗せるだけでは心許ない。万が一にも落ちたらどうする。気分転換に良いと思ったが、どうしたらいいのだろうと首を傾げるとウサギはとんでもないことを言い放つ。

 

「カミル様の胸元に私を入れて下さいますか? それならば風景を見ることも出来ますし、カミル様の胸元にいるならば落ちる心配もありませんでしょう」
「そっ! そんな不敬なこと、出来る訳がありません!」
「袋に入れられるよりマシです。天気が良い内に早く出掛けましょう」

 

逃げ場を失ったカミルは慌てて厩舎を見回すが、助け舟を出してくれる者など見当たらず、また助けを借りる訳にもいかない。

急いで小屋に入って周りを見回し、狩りの時に使用する弁当入れを手にして埃を叩き払って必死に考えた末、タスキ掛けにして袋部分を胸元に回し、ウサギを入れて首が出る部分だけ穴を開けることにした。

やはり袋に入れることが一番安全のような気がするが、胸元に入れる以上に不敬に当たるかとも考え、蒼褪める。こんな場面を想定したこともなく、ただ悪戯に髪を掻き毟っているとトルードが嘶いた。

 

「遅くなる前に視察に向かった方が良いと、トルードが訴えておりますわ」
「あ、あの、衣装に余裕はありませんので、もしかすると潰れてしまう可能性があります。・・・ので、この袋に入っては頂けませんでしょうか。顔を出す穴を開け、風景を楽しめるようにゆっくりした速度で視察致しますので」

 

跪き地面近くに口を開いた袋を差し出すと、カミルの胸元をしげしげと見詰めたウサギが黙したまま袋へと入ってくれた。袋の中で器用に身体を回したのだろう、袋の口から耳が飛び出して揺れる。中を確かめ顔が覗くくらいに布を裂くと、黒い鼻が突き出て来た。

 

「外が見えますわ。この袋を首から下げますの?」
「いえ、紐を長くしてタスキ掛けにします。ぶら下げると馬上ではかなり揺れますから」

 

紐を長くして背負ったカミルがトルードに乗ると、途端に袋の中から悲鳴が聞こえる。カミルが大きく震えると、袋からひっくり返っただけだから大丈夫だと楽しげな笑い声が漏れて来た。蒼褪めたカミルは唾を飲み込み、万が一が無いようにと願いながらトルードの首を撫で出発する。

城を出ると直ぐに何処までも広がる麦畑が見えた。若青い穂が柔らかな風に波打ち、雲雀が啼く声が響き渡っている。空は青く澄み渡り、森と山が織りなす澄んだ緑を前に、カミルは大きく深呼吸した。

 

「まあ、とても素晴らしい景色ですわ」
「ありがとう御座います。ここは田舎ですので、ご覧の通り麦畑と山しかありませんが、空気は澄んでおり、あの戦争を経験した後ではどれだけ貴重なものか思い知らされました。自分の生まれ育った場所が以前と同じように緑豊かなである光景を見ることが出来る幸せに、日々喜びを感じます」
「本当にそうですね。それは・・・・とても幸せなことですわ」
「・・・っ!」

 

褒められ、つい素直な気持ちを口にしたが、皇女は自国に戻れずにいる立場だ。さらに新たな戦争の火種となる可能性を鑑みて、自分に魔法をかけて逃げ続けている身の上。思わず唇を噛み締め、不用意な言を漏らした己を叱咤していると、ウサギが大きな声を出した。

 

「カミル様、あちらの方角には何がありますの? 陽の光を反射して、何か輝いて見えます!」
「ああ・・・、あれは湖です。行かれますか?」

 

少しでも皇女の気分転換が出来るならとトルードの向きを変えた。

途中、農夫らに会い挨拶を交わす。カミルの胸元の袋を見て首を傾げるが、突き出たウサギの顔を見て「今夜の夕食ですか?」と皆一様に同じことを言う。どうにか笑って誤魔化し、場を離れてから胸元を見ると、ウサギが楽しそうに目を細めているから、まあいいかと口端を弛めた。

 

「到着しました。然程大きくはありませんが」
「まあ、・・・・とても綺麗。透明で、とても・・・」

 

近くの山脈はまだ雪を被り、それが湖に映り込み、確かに美しい。湿り気のある草地に降ろすのを躊躇ったが、ウサギが近くで見てみたいというので袋から出した。ウサギが楽しげに湖に近付き飛び跳ねる様を見ながら、カミルも湖面に映る周囲の自然を眺め、ゆっくりと背を伸ばす。
これで少しでも皇女の気分が晴れてくれたらいい。城に戻ったら姉と母の衣裳部屋をもっとよく見てみよう。皇女が着ていたドレスと比べるとかなり見劣りするだろうが、少しでも好みのドレスがあるといい。それにしても、皇女が着ていたドレスはちゃんと乾くのだろうか。よく見ていなかったが、汚れなどは無かっただろうか。もしあったとしたら俺が落とすのか? ・・・・ドレスの汚れなど、どうやって?

シュミーズなるものや、ズロースも一度洗っておいた方がいいのか?
新たな問題発覚に頭を悩ませているカミルを横に、ウサギは大層喜び、目を細めて草を食んでいた。
元は皇女だが、今はウサギだ。食べなくてもいいとは言っていたが、それは気を遣っていたのだろうか。ウサギのときはやはり草を好むのか、後で用意しておこうと心に留める。

高く澄んだ青い空。白い雲がゆっくりと流れゆく。

大きく息を吸うと、強張っていた肩から力が抜けていくのを感じた。

 

 

翌日、腹が減っただろうと厩舎にウサギのための餌を取りに足を向けた。

乾いた草では駄目だろうかと首を傾げながら空を見ると、今日も終日好天気とわかる。昨日のように領地視察をしながら新鮮な草を食ませてやろうかと考えた。執事のコンラートに視察に向かうと伝えると、「釣り書きに目を通しましたか」と鋭く問われ、慌てて頷く。一応目は通したが好ましい女性はいなかったと答えると、大仰な嘆息を吐かれた。
逃げ出すように部屋に戻り、ウサギを抱えて視察に向かうことにした。こういう時は逃げるに限る。
厩舎に向かうとトルードが軽く足を鳴らし、早く乗れと促して来た。いつもはそんなことをしないのに珍しいこともあるモノだと鞍を付けていると、視界の端にトルードがウサギに顔を近付けるのが見えた。互いに顔を近付けて小さく頷き合っている。何だと首を傾げると、ウサギがカミルを見上げた。


「トルードが・・・・何か?」
「はい。今日は昨日よりも良い草地に案内すると、そう言っております。楽しみです」
「・・・・・」


主である自分とはまるで違う態度を取るトルードに、こいつは女好きだったのかと目を瞠る。 馬体を押し付け、急げとばかりに主を催促する姿に呆れながら、カミルはウサギを袋に入れた。

トルードの意外な一面に驚きながら騎馬し、あとは好きに任せて歩き出す。一応領地視察も兼ねているので、農夫などに声を掛けられることもあり、そのたびにトルードが不機嫌そうに鼻息を荒くする。胸元から顔を出しているウサギを見て、新しい領主は可愛いモノが好きなのかと目を丸くする者が多かった。
トル―ド任せにして歩を進め、到着したのは日当たりの良い草原。

「ああ、ここかぁ・・・」

領主となったばかりは慣れない机仕事に疲労困憊の日々だった。少しでも空いた時間を見つけては逃げるようにトルードを駆らせて来た場所だと思い出す。

さわさわと風に靡く草原にウサギを放つと、トルードとともに草を食み始めた。カミルはゴロリと転がり空を見上げる。高い場所で鳥が飛んでいるのが見え、鷹などだったらウサギが危ないなと、次に来るときは弓を携帯した方がいいかと考える。 

「カミル様、とても素晴らしい場所ですわね」
「・・・ここは少し前まで牧草地でした。先の戦で夫と息子が亡くなり、奥方は他領地へ引っ越されたと伝え聞い
ております。管理は俺が任されていますが、手が回らずに放置してます。でもお褒め頂き、嬉しく思います」
「数年後には新しい住人が来て、家畜が草を食むのでしょうね」
「そうなるといいです。それまでは俺とトルードの憩いの場です。さぼるのに丁度いい」
 

トルードがゆっくりと近付いて来て、ウサギの耳あたりに鼻を押し付けた。互いに鼻を合わせて動かしているのを見ると、何か話し合っているように見えて笑いが零れる。

穏やかな、だけどどこか歪な風景に、カミルは寝台で眠り続ける皇女の姿を思って目を閉じた。

 

 

 

動きがあったのは手紙を出してから四日後。
連日の好天気に領地視察という名の散策に出掛けていたカミルたちが城に戻る途中、早駆けする騎士団の一行に気付いた。友人に
出した手紙には、それとなく王城内を調べて欲しい、王子の様子に変わりはないか知らせて欲しいと書いたが、まさか返事を書くのが面倒で直々に知らせに来たのだろうか。
急ぎ城に戻り、厩舎にトルードを繋ぐ。隠し階段を駆け上がり、部屋に飛び込んだカミルは皇女が眠る寝台の上にウサギを置き、
部屋から絶対に出ないよう伝えた。しかし―――――。

 

「部屋の片隅で結構で御座います。もし御友人が直接話をされに来たのでしたら、それは秘密裏にしなくてはいけない内容で御座いましょう。口は絶対に挟みませんから、どうぞお聞かせ下さい!」
「しかし、ウサギを抱いて応接室に入るというのは・・・・」
「どうか、どうかっ! ・・・カミル様、御願いで御座います」

 

短い前脚を揃え、必死な様子で言い募るウサギを前に、カミルは項を掻いた。

いくら懇願されても、ペットのウサギを抱いて友人騎士の前に姿を見せるというのは恥ずかし過ぎる。困ったなと部屋を見回すと、ベッドで眠る皇女の姿が目に留まった。
獣に襲われる懸念を押し殺して自身に魔法をかけ昏倒させ、皇女は新たな戦の火種を遠ざけたいとした。従事する者を
攫われ、自国の母親が倒れたことを知っても気丈に振る舞っていた。草を食む野ウサギとなった今も、自国と同盟国の行く末を心配されておられる。
自分が友人騎士にどう見られようと、皇女の辛い現状に比べたら何てことはないじゃないか。痛みも伴わず、た
だ失笑されるだけだ。後ろ指を差されようと騎士を脱した自分だ。もう会うこともないだろう。
すっと背を伸ばしたカミルは、窓際にあるチェストを開き、簡易な救急箱を取り出した。

 

「腕、じゃない。前脚に包帯を巻きます」
「包帯・・・・何故ですの?」
「領主がウサギを抱いて登場では、流石に友人も訝しみましょう。怪我をしているから心配だと、大義名分を掲げることにします。それなら・・・大丈夫です。御一緒に話しを伺いましょう」

 

出された前脚にグルグルと包帯を巻き付け、急いで部屋を出た。もう遅いかも知れないが、客人がまだ応接室に通されていなければ、ウサギを隠しておける可能性もある。しかしカミルが部屋で唸っていた間に執事が応接室に通してしまったようだ。階段下で待っていたコンラートに、王城より客人が訪れたと告げられた後、大仰な咳払いが飛んで来る。

 

「まさかとは存じますが、ウサギを抱いて向かわれるので?」
「あー・・・、剣を研いでいる時にぶつけたようで怪我をした。ぐったりしているから心配なんだ。もしも具合が悪くなったらと思うと、部屋に置いておくことも出来ない」

 

呆れたように顔を顰められ、しかし鷹揚に階段を降りようとすると、擦れ違いざまに腕を引かれた。何だと振り向くと、コンラートはウサギを見下ろし、溜め息を吐く。言いたいことは判るが、早く話しを聞きに行きたい。腕を振り払おうとすると、深く刻まれた眉間の皺が眼前に現れた。

 

「ラルフ・アマデオ・フェンベルド殿下が御出で御座います」
「・・・はぁ? ラルフ王子が? な、何でだ?」

「存じません。ですが王太子殿下の御前に出られるのです。くれぐれも騎士然とした態度と、領主らしい対応をお願いします。すぐにお茶の用意を整えて参りますから、お待たせしないよう、お急ぎ下さい」 

 

コンラート以上に困惑して眉を顰めたカミルは、無意識にウサギの耳を撫でながら頷いた。

 

 

 

 

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