頑なな賢者の祈り  7

 

 

王子が来ているなら話は別だと、皇女に部屋で待っていて欲しいと懇願してみたが、断固として同席するとウサギは首を横に振る。 ここまで足を運んだ王子が何を語るか、どのような目的なのかを一刻も早く知りたいとウサギは訴えた。

皇女の気持ちはわかるが、騎士仲間に失笑されるのとは訳が違う。自国の王子であり、戦では共に荒々しい戦場を駆け巡った尊敬すべき人物に、可愛らしい野ウサギを抱いている己の姿を見られるなど出来ることなら避けたい。どうしても、避けたい!

しかし、腕の中のウサギは真っ黒な瞳を潤ませ、前足を擦り合わせながらカミルを見上げてくる。早く話が聞きたい、早く王子の許へ行こうと。

「くっ・・・・・。わ、わかりました」

角を曲がれば応接室という場所で、カミルは覚悟を決めた。


「やあ、カミル! 元気そうで何よりだ」
「ラルフ殿下、・・・お久し振りで御座います」

 

椅子もテーブルも祖父の代から使われてきた、年代物という古ぼけた品々が置かれた広いだけの応接室。その質素な部屋の中、大きな窓から入り込む陽光がラルフ王子に降り注ぎ、そこだけがキラキラ輝いて見える。久し振りに目にする第二王子は以前と少しも変わらない親し気な笑みを浮かべ、ゆったりと立ち上がってカミルに手を差し伸べてきた。

跪こうとしていたカミルは慌てて手を差し出そうとして、腕の中の存在に気付く。同時に王子もその存在に気付いたようで、「ウサギ?」と首を傾げる。

 

「殿下っ。こ、この方は・・・・いえ、このウサギは、わ、私のペットでして、その、怪我をしていて、いま目が離せない状態のため、大変失礼とは存じますが、その、同席を賜りたく・・・・」
「怪我・・・・」

 

嘘など吐き慣れていないカミルは、全身から汗を噴き出しながらも必死に説明を繰り返す。

一度口にした皇女との約束を反故にするわけにもいかない。それと、ここまで来てしまったという諦めもある。王子はどう思っただろうかと視線を上げると、目を細めてカミルの腕の中を見つめていた。

 

「ああ・・・、カミルは本当に変わらないな。野営中も小鹿の治療をしていたことがあったろう。死んだ母鹿から離れない小鹿の怪我に気が付いて、丁寧に治療し、そのあと山奥に連れて行ったな」

「へ? ・・・あ、はぁ」

 

そういえばそういうこともあったなと思い出し、そのあとで苦笑が漏れた。
確かに小鹿の治療をして戦火が及ばない山奥へ連れて行ったことがある。小鹿に生き延びて欲しいという気持ちもあったが、本音は死んだばかりの母鹿を早く捌きたいからだった。騎士仲間に火熾しや鉄串の準備を頼みつつ、僅かな情で母鹿を捌く場面から小鹿を遠ざける。

生と死が当たり前の戦場で、それは矛盾でも何でもない、当たり前の行動と心情。

襲い来る敵を倒し、容赦なく屠り、武器を奪い、逃げる手段を断つために道や馬を毀す。足手纏いになるからと、酷い傷を負い意識を失った仲間にとどめを刺したり、戦火に置き去りにしたこともある。同じ人間が偶然出会った小鹿を助け、生き延びろと祈っていたのだ。
平和な時を過ごせるようになってから、あのときの矛盾を悔やむ者もいれば、きれいさっぱり忘れている者もいる。カミルは、俺は後者だなと自嘲しながらウサギを撫でた。
だが、王子の話を良い方に捉えたのだろう、ウサギは瞳を潤ませながらカミルを見上げている。

 

「ところで殿下、本日はどのような用件があって足を運ばれたのでしょうか。・・・もしや、騎士を集めねばならぬ事態でも発生したというのでしょうか」 

戦が終わったというのに、田舎に戻った騎士をわざわざ訪ねなければならない理由は何か。それも第二王子自らがわざわざ足を運ばねばならぬなど、いったいどれだけ重大な事態だというのか。
抱いていたウサギを椅子に置いたカミルは、即座に床へと跪いた。

 

「そうではない。先日、剣技の鍛錬後に、王宮護衛騎士のひとりがカミルから手紙が届いたと話し掛けてきたのだ。なつかしさに手紙の内容を尋ねると、思いも掛けずに領主になったが、ここ最近は穏やかな日常を送っているようだと教えてくれた。あと、王城にいる騎士仲間たちは元気か、国王や王子は息災か、変わりはないかと書いたそうだな。その騎士は王城での近況を書くつもりだと言い、私からの言葉も書き添えたいと申し出てきた」
「・・・そ、そうですか・・・」
「国王も兄上もみんな息災だ。戦場で共に戦った王宮騎士たちも、鍛錬を兼ねて民とともに王都の復興に邁進している。・・・・そう書くのは容易いが、出来ることならカミルに直接会い、元気な顔を見て伝えたいと思った。ひとりの騎士として過ごしてきた男がいきなり領主となったのだ。慣れぬ環境では苦労も多々あったろう。会って話せば、何か助言できることがあるかも知れない。第二王子の気楽さもあり、足を向けたという訳だ。カミル、まずはお前の元気な姿を見ることが出来て、とても嬉しいよ」
「はっ! ありがたき御言葉を賜り、至極光栄です」

 

王城にいる盾仲間には、王子の様子をそれとなく伝えて欲しいと頼んだはずなのだが、どうして直接本人に尋ねたのか。手紙を託した相手が悪かったかとカミルは顔を顰めたが、深く低頭していたため、王子に気付かれることはなかった。それよりもこの先、どうやって話を進めたらいいのだろうか。
 

王城のどこかに隠されている『魔法石』を御存じですか? それに異常はありませんか? 問題は生じていませんか? 王子はオルドー国の皇女を呼び出した覚えはありますか? それは何故ですか?

 

・・・・・・実際にはそんなことを訊けるわけもなく、カミルはコンラートがお茶のお代わりを持ってくるまで、王子が懐かしむように語る『戦場でのカミルの素晴らしき行い』の数々を、むず痒い思いで聞き続けた。

 

「そういえば、ラルフ殿下はカミル様と同い年とのことですが・・・・御結婚は?」

しばらくしてお茶のお代わりを持参したコンラートは、いま現在の王城や王都の諸事情に詳しくない。

ただ自国の王子が自領に足を運んだことに甚く気分が高揚し、話に花を添えるつもりで話題を振ったのだろう。しかし、コンラートからの問い掛けに王子は困ったように眉を下げた。その表情に執事は顔色を変え、「失言でしたでしょうか」と背を正す。

 

「いや、・・・・オルドー皇国の皇女との正式な婚約を間近にして、あの戦だ。戦況が悪化し、王と私が戦に出陣する直前に皇女が行方不明となり、その後の安否も不明なまま。いまだに皇女の行方は知れぬ状態で、僅かな手掛かりさえ見つからぬ」
「それは大変失礼なことを申しました。深くお詫び申し上げるとともに、皇女様が一刻も早く無事にお戻りになることを、心よりお祈り致します」
「ありがとう」

 

柔らかく笑むラルフ王子に、再度申し訳なさそうに謝罪の言葉を残してコンラートは退室していった。

一気に重苦しい雰囲気となった空気の中、カミルは大きく息を吸い込んで声を出す。

 

「あの殿下っ。皇女との婚約は、まだだったのですか? いえっ、それよりもハムガウド国に攫われた皇女の、その後の調査の進展は? 皇女に付き従っていた・・・・って!」
「カミル? 大丈夫か」

 

皇女の話が出たことで少しでも情報を得たいと焦っていたカミルは、突然の痛みに顔を顰めた。ウサギに指先を咬まれたとわかると同時に、はっと気付く。頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしたが、皇女しか知りえないこともある。田舎に住むカミルが知るはずもないことも。

少しでも情報を知りたいと気が急いてしまった。いま自分は、何か余計なことを口にしなかっただろうかと全身に嫌な汗が浮かぶ。

心配そうな表情の王子を前に、ズキズキと痛む指を隠すように手を握り、膝上のウサギで隠した。こんな痛みなど、自分が仕出かしそうになった失態に比べたら何ということはない。

ハムガウド国の魔女に悪用されぬよう精神だけをウサギの身に移して身体を石に変えた皇女と、国を脅かす戦に身を投じている間に婚約寸前だった皇女を攫われた王子。敵国に捕らわれたままの騎士や従者、皇女の親や姉妹の方が何倍も、何十倍も辛く、苦しい思いを強いられているのだ。

 

「・・・・大丈夫です。それよりも不躾な問い掛けをしてしまい、申し訳ありません」
「いや、カミルの気持ちはありがたく思う。・・・・皇女を含め、随行していた騎士や侍従らの行方は未だ知れぬままだが、ここだけの話、わかったことは数点ある。ハムガウド国が皇女の誘拐に確かに関わっていること。しかし、ハムガウド国内に皇女はいないということ」

 

王子がカミルの膝上にいるウサギに視線を固定する。 意味などないのだろうが、心臓に悪いとウサギを膝上からそっと降ろした。視線をカミルに移した王子は、静かに語り始める。

 

オルドー国皇女との婚約発表を数か月後に控えたある日、ラルフは皇女と会って話がしたいと切望した。

同盟国同士の、よくある婚姻話。ラルフも、幼いころから自分に婚約者がいることは聞いていた。
だが、成長とともにラルフは懊悩する。王侯貴族の婚姻が国を発展させるための手段として用いられるのは当然と言われて育ったが、自分の気持ちを無視してまで為すべきことなのだろうか、と。

招かれた同盟国の舞踏会で出逢い、互いに惹かれ合って結婚した長兄が羨ましいと痛切に思った。自分も出来ることなら想い合った相手と人生を歩みたい。日を重ねるごとに枷のように重くなる己の気持ちに悩み、正式な婚約発表がなされる前にと、クラウディア姫に手紙を送った。

しかし―――― 姫に会うことは出来なかった。

ハムガウド国との戦が始まり、その最中、姫が行方不明になったから。

 

「待ち合わせ場所に、私は侍従を一人だけ連れて向かった。カミルもよく知る、アルベルトだ。彼は私という人間をよく知っており、口も堅い。だが・・・いくら待ってもクラウディア姫は現れず、改めて手紙を書こうと城に戻った。その直後に戦況が急激に悪化し、戦場にオルド―皇国の姫が行方不明になったという報告が届いた・・・・・」

 

王子の拳が膝の上で震え、ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。

 

「姫がわずかな侍従だけを伴い城を出た・・・・その原因は間違いなく私だ。私が皇女を呼び出さなければ、行方不明になることもなかった。自分の気持ちを楽にしたいがために、他国の姫を巻き込んでしまった。本当に・・・・、私はなんと愚かなことを」

 

クラウディア姫がラルフが指示した場所に向かっただろうことは間違いないと、王子は項垂れる。

姫はいつもの散策だと言って出掛けたようで、その行き先を両親や姉妹は問うこともしなかった。待ち合わせは両国の境にある湖で、たまたま訪れていた領民が突然の悲鳴と馬の嘶きに驚き、そして目撃した。黒いフードを被った者たちに襲われている騎士と逃げ惑う侍従や侍女を。

領民が何事かと怯え見つめる先、雲ひとつない空の下に突然、真っ黒な閃光と緑色の閃光が走る。竜巻に吸い上げられたかのように湖の水が舞い上がり、黒いフードの男たちに叩きつけられたのを最後に、領民の前からすべての人影が消えてしまった。

 

「・・・・襲ったのは、ハムガウド国の魔法使いだろうと思う」

 

ハムガウド国との諍いが日々悪化している中、なんと軽率な行動をとってしまったのか。いくら悔いても後の祭り。戦場では皇女との約束を思い出す暇もなく、日々生き延びるために剣を揮っていた。時折届けられる王城からの便りで詳細が明らかになるにつれ、激しい後悔に何も考えられなくなった。
黒いフードの者たちが魔力を遣っていたことや残されていた剣の紋章から、ハムガウド国の輩が皇女を襲ったことは間違いない。だがハムガウド国とまともな交渉など出来ぬまま戦況は悪化する。やっと戦が終わったころには既に半年もの月日が経ち、父王に報告するにはあまりにも遅すぎた。

 

「何が目的なのか、皇女は無事でいるのか・・・。いつまでも黙っているわけにはいかないと、私は詳らかに父王に報告した」
「オルド―皇国にも・・・・お話、なさったのですか?」
「当然だ。クラウディア姫は同盟国の皇女であり、仮とはいえ婚約者。自分の犯した過ちを包み隠さず報告し、謝罪した。・・・・・王妃と姉姫たちは泣き崩れ、だが、私を責める言葉は何もおっしゃらなかった。いっそのこと罵倒してくれと口に出しそうになったが、それは自己満足だ・・・・」

 

王子が口惜しそうに顔を顰める。これ以上自分などが聞いてもいいのかとカミルは視線を彷徨わせたが、膝上に置かれた拳が震えているのを目にして、きっと王子は誰かに吐露したかったのだろうと思った。

誰にも責められずに過ごす日々は、精神的にひどく苦しかっただろう。一部の者しか知らない話を口にするのは、ここでなら他に知られずにいると信頼されているような気がした。 

 

「・・・私が口を挟むことではありませんが、一番の悪は皇女を攫った者であり、ラルフ殿下では御座いません。不肖ながら、お役に立つことがありましたら、誠心誠意お仕えいたします」


力強く訴えてはみたものの、実際に役立つことなど何もないと解かっている。隣に座るウサギを元に戻すことも出来ず、一介の騎士の今後を気遣ってくれる王子の苦悩を消すことも出来ない。それでも気持ちだけは騎士として主に仕えたいのだと、カミルは瞳に力を入れる。

 

「その志、ありがたく受け取ろう。・・・・いや、受け取りたいのはそれだけでなく・・・」


後半、口篭もった王子の台詞が聞き取れず身を乗り出すも、すぐに視線を逸らされてしまった。言い難いことなのだろうか、項を掻きながら窺うように視線を上げる王子に、自分が出来ることなら何でもやりますと重ねる。自分の膝とカミルを交互に見ていた王子は、やがて静かに息を吐いた。

 

「私は、皇女との婚約解消を考えている」
「・・・っ! そ、それは・・・・」

 

思わず身体ごとウサギに向き直りそうになり、カミルは慌てて背を正す。

急な展開に衝撃を受けたが、そこに至る王子の心情を鑑みることが出来た自分にも驚いた。いままでは人の機微など全く気付かない人間だったはず。きっとウサギとの交流で、いつの間にか培ったのだろう。
王子は・・・・自分の浅はかな行動が皇女を危険に陥らせたことに自責の念を抱いておられるのだ。皇女が無事戻られても、婚姻を結べるわけがないと深く悔やんでおられる。

 

「ですが、それは」
「ああ・・・・王族の婚姻だ、簡単な話ではないと理解している。だが、自分の気持ちを抑え込むのも、無視することも出来なくなった。・・・・ひとりで悩んでいても時間ばかりが過ぎる。そこで私は皇女に会いたいと手紙を書いた。自分を偽ることなく、正直な気持ち、悩みをすべて打ち明け、その上で婚約を解消し
て欲しいと願い出るつもりだった」

 「・・・? 悩み・・・・ですか?」

 

また話が飛んだような気がする。行方不明の皇女の話から王子の悩み事へと話が移行し、頭が追い付かない。それでも真剣な表情の王子を前に、カミルは眉を寄せて顔を強張らせた。

皇女を誘い出した原因が王子の口から語られる。

それはただの元騎士が耳にしてもいい内容なのだろうか。王子から信頼されるのは心から喜ばしいことだが、第二王子付きのアルベルトが不在の場で、皇女であるウサギとともに耳にしていい内容なのか。

焦りと緊張から汗が滲み出てしまう。

 

「幼いころは特に何とも思わなかったのだが、いつのころからか、このままでいいのかと懊悩するようになった。第二王子という立場もあり、自分が思うように生きる道もあるのではないかという考えに至り、皇女に自分の気持ちを正直に打ち明けようと決心した」

 

何と相槌を打って良いかわからず、カミルは黙って拳を握り締めた。ウサギに視線を向けそうになるのを必死に堪え、王子の顔をじっと見つめる。王子は物憂げな表情に、僅かに安堵の色を滲ませ、滔々と語り続ける。

 

 

  

 

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