頑なな賢者の祈り  4

 

姉の部屋に入り、ドレスが掛かっているはずのクローゼットを開くと、そこには何もない。それはそうかと扉を閉めて、カミルは項垂れた。

姉二人とは歳が離れていたため、一緒に過ごした期間は短い。長女次女は年子で生まれ、間をおいて長兄が、そして更に間をおいて自分が次男として生まれ、姉たちとは十五も年が離れている。その姉たちが嫁いだ記憶も朧気だが、幼い時のことで、更には七歳から他城で騎士としての修業に出ていたのだから仕方がない。
姉のチェストも探るがやはり空だったので、母親の部屋に向かうことにした。

 

「おや、カミル様。いつの間に城にお戻りになられたのですか。お帰りに気付きませんで失礼を致しました。・・・・そのウサギは狩りで捕らえたモノですか? 今日は既に夕餉の用意が出来ておりますので、明日のシチューにでも使いましょうか」
「コ、コンラートッ! あ、ああ、戻ったのはさっきだが、ずぶ濡れだったので真っ直ぐ部屋に向かったんだ。こ、このウサギは・・・・か、可愛いだろう!? あまりにも可愛いからペットにしようと思ってな。それで母の部屋にリボンがないかなーと探しに行くところだ。食事は執務室に運んでおいてくれ」
「ペット・・・・、で御座いますか?」

 

階段から声を掛けて来たのは執事のコンラートだった。

厳つい雰囲気を漂わせる体躯のいい彼は父の代から仕える老執事で、事ある毎に俺に見合いを勧める生真面目な性格の持ち主。元々は騎士としてこの城に仕えていたそうで、騎士としては大先輩になる。

その上、新米城主の俺を真摯に導いてくれており、彼には全くと言っていいほど頭が上がらない。

 

「男ばかりの城に、少しでも潤いをと思ってな。だから間違っても喰うなよ」
「・・・カミル様、潤いをと仰るのでしたら早く御結婚をなさって下さい。新たな見合い相手の釣書を執務室卓上に置きますので、必ず目を通して下さい。いいですか、必ずご覧になって下さい、カミル様」
「・・・・姉の子がいるだろう。そんなに急く話でもあるまいに」

 

いつもの不毛な会話をしていると、腕の中でウサギが小さく身震いをした。

ウサギの身体も一応拭ったはずだが、もしかして風邪をひかせてしまったかと慌てて背を撫でていると、コンラートから大仰な溜め息が聞こえた。

それは明らかに呆れた感を含んでおり、野ウサギで潤いをなどと言っている暇があるなら早く結婚して跡継ぎを作れという視線を浴びせられ、正直居た堪れない。話を打ち切ろうとカミルが領主らしい咳払いをするとコンラートは深く静かな溜め息を漏らした。

 

「・・・・では、目立つリボンをしておいて下さい。一応、他の者にもペットの件は伝えておきますが、部屋から出さないのが一番でしょう。奥様の部屋の鍵はお持ちですか?」
「ああ、大丈夫だ。それと俺の部屋にはしばらく誰も入らないように伝えておく。武器の手入れをするために剣や槍や斧や・・・とにかくいろいろ持ち込んでいて、油や砥石やセームを広げている。危険だから絶対に入るなと厳命しておくぞ」
「承知致しました」

 

ウサギを撫でながら威厳たっぷりに告げるが、コンラートからは端的な返答と胡乱な視線が返って来る。一礼した老執事が嘆息を零しながら階段を下がっていくのを見送り、俺は急ぎ母親の部屋に飛び込んだ。

カーテンを開けて蝋燭に火を点し、俺はそこでようやく息を吐いて床に腰を降ろす。厚地のカーテンを開いても外は叩き付けるような薄暗闇の雨模様だが、真っ暗よりマシだ。

 

「・・・・あの、カミル様」
「ああ、母のドレスは処分してないからあるはずだ。まあ、皇女様が来ていたような豪華な品は期待しないでくれよ。っと、期待しないで下さい。あとは・・・あ、あとは・・・下着ってチェストに残っているかな。それとリボンか。大判のハンカチでもいいのかな」
「カミル様、お話し致します。・・・何も聞かずにここまで真摯に御付き合い頂き、そして貴方は頑ななまでに私の言葉を守って下さっている。真の騎士と信じます」

 

母親のクローゼットを開き目当てのドレスがあったと安堵している俺の背後で、ウサギが厳かな口調で語り出した。改まった様子に慌てて振り向くと、ウサギの背後にぼんやりと人影のようなものが見え、目を擦るがそれは消えずに揺らめき続けている。

何だろうとそれを見つめ続けている俺を見上げ、床上のウサギは語り出した。

 

「私はオルドー皇国第三皇女、クラウディア・イーナ・ハンデンベルクです。同盟国であるフェンベルド国第二王子、ラルフ・アマデオ・フェンベルド様の婚約者です」
「はっ! 御名は存じ上げております。ラルフ王子の御婚約者とまでは存じませんでしたが、王子とは先の戦で共に戦わせて頂きました。大変御立派な御方で御座います」

 

急ぎ跪き深く低頭する俺の髪を、ウサギが引っ張る。顔をそろりと上げると、ウサギが頬を膨らませて 「元の態度と話し方にして下さい」 と文句を言う。

強張った顔で薄く口角を持ち上げるが、それは無理なことだ。

皇女の名を本人から告げられ、その上第二王子の婚約者と聞けば、元騎士の田舎領主としては低頭しか出来ない。カミルがそのままの体勢を崩せずにいると、ウサギは困ったように一度首を傾げた後、続けて話を続ける。

 

「・・・・婚約式の件でフェンベルド国に向かう途中、私が持つ魔法力を利用しようとハムガウト国の魔女に攫われのが始めです。ハムガウト国に連れ行かれる前にどうにか自力で脱出したのですが、魔女に魔法をかけられてしまいました」

「・・・・皇女が持つ、まほうりょく。・・・・まじょ」

 

聞き慣れない言葉にゆっくり瞬きながら見つめる俺を見上げ、ウサギは鼻を鳴らした。

 

「魔法力と魔女の話はあとで説明します。・・・それで、ハムガウト国からの追手から逃げるのに精いっぱいの私が、かけられた魔法により力尽きたのがカミル様の領地です。動けなくなる前に意識を切り離して近くの動物に移すこと出来ましたが、ウサギでは・・・自分の身体を移動させることも隠すことも出来ずに困っておりました。まずはお礼を言わせて下さい。カミル様、ありがとう御座います」

 

ウサギが頭を下げると、後ろのぼんやりしたモノも同じような動作をする。これは魔法力を持つという皇女の影みたいなものだろうかと、カミルも慌てて頭を下げた。

 

「かけられた魔法は身体が動かなくなるものでしょう。動けなくなったところを捕えようとしたのかも知れません。必死に逃げた先が、あの場所です」

「は、はぁ。・・・・左様ですか」 

 

魔法云々はよく理解出来ないが、皇女が連れ去られるのを回避しようと抗ってあれだけ重い身体となり、ウサギに憑依したはいいいが動くことが出来ない身体をどうしようかと悩んでいるところに俺が現れた、というのは判った。

いや、ここまで来たら判ったというか理解しなきゃ話が進まないだろう。

 

「先ほど、誰にも知らせないで欲しいと仰っておりましたが、何故に内密なのでしょうか。助けを呼ぶならオルドー皇国に早馬を出しますが」
「フェンベルド国に向かう途中と話しましたね。勿論一人ではありません。侍女や警護兵の幾人かがハムガウト国に囚われたままです。そして・・・あの魔女に対抗するのは難しいことなのです」

 

床を見つめたウサギが悔しそうに耳を後ろに反らすのを見て、カミルは目を細めた。

人質がいるとなれば、確かに簡単に動く訳にはいかないだろう。しかしフェンベルド国に来る予定だとするなら、皇女を迎える者が捜索しているはずだ。カミルの考えが判ったのか、ウサギが大きく頷いた。

 

「戦時中に婚約式の件で話があると手紙が届き、王子と内密に会うこととなりました。詳細は会ってから話したいと書かれており、手紙の指示通り少人数で約束の場所に向かったのですが・・・・何故、その道中で襲われることになったのか、未だに不思議です」
「・・・内通者がいたか、王子からの手紙が罠だったという可能性もありますね」
「出来れば内通者は考えたくありませんし、王子からの手紙には見慣れたサインがありました。罠だとすると、サインを真似たか王子の印璽を拝借したか・・・。あの、私が攫われた後、この国で何か動きはありますか?」

「そうか、ハムガウト国の追手から上手く逃げおおせた警護兵らが、オルドー皇国に皇女誘拐の報告をしたのですね。内密の話で少数での移動でしたのなら、本来はそのまま行方不明になっていた可能性もあると・・・・。それでオルドー皇国が参戦したのか」

 

戦争は突然起きた。

ハムガウト国が領地拡大を狙ったのか、ある日、フェンベルト国境の村が突然襲われた。その後、一方的に開戦の書状が届き、あるはずがないと思われていた戦争が始まった。戦局は芳しくなく、国境近くの領地は尽く荒れ地と化して多くの人々が死んだ。幾つかの同盟国が参戦してどうにか勝つことが出来たが、その同盟国のひとつがオルドー皇国だ。皇女が攫われたことで参戦したのかまでは判らないが、それもあるだろうと推測出来る。 

戦後、アスマンド領に戻って来てから一年近く経過するが、いまの王都がどんな状況なのかは知らない。しばらくは各領地内の復興を最優先すると王命があり、地道に戦の後片付けをしながら、作物や畜産が戦前のように戻るよう手を尽くす毎日だった。
その内、国内全体に余裕が出来たら各領主が王城に呼ばれることもあるだろう。

国全体が復興を目指し、努力の甲斐あって元通りに近い状態になっているとは聞く。戦時中に同盟国の皇女が攫われたことは耳にしていたが、その後騎士として戦に追われて、現在の状況は知らぬままだった。

 

「お調べ致しましょうか。見て判る通り、ここは本当に田舎で情報が入って来ませんが、早馬を出して王城にいる騎士団員にそれとなく王城内の様子を窺うことは出来ます」
「・・・・出来ましたら王子の様子も知りとう御座います」
「直ぐに。・・・・オルドー皇国の様子も伺いましょうか?」
「いえ、それは結構です。万が一を考えると深追いしない方が良いかも知れません」

 

ウサギの目が苦痛に歪むのを目にして、カミルは立ち上がった。

母親のドレスを持ち、チェストから下着と思われるような品々を椅子に置き、ストールを見つけてウサギの首に巻いてリボン代わりにする。荷物をまとめるとウサギを抱き上げて自室に戻り、目を閉じたままの皇女が眠るベッドにウサギを降ろし、再び跪いた。

 

「直ぐに盾仲間の、信用出来る者に手紙を書きます。しかし、状況を調べて返事が返って来るまで最短でも三日は掛かると思って下さい。城内にいるとはいえ、一騎士団が知ることは少ないです。秘密裏に動くように依頼しますので、それ以上も有り得ると」
「ありがとう御座います。それで構いませんが・・・・その間お世話になります」

 

カミルが顔を上げると皇女の眠る顔が見える。その視線に気付いたウサギが自分の姿に振り返り、小さく笑った。その安堵が滲むウサギの表情にカミルは唇を噛み締める。

本当なら自分が動いた方が早いし、他に知られる危険性は少なくなるだろう。

しかし不用意に城を離れている間に使用人に皇女を見られる訳にも、田舎領主が何をしに王城に来たかと訊かれる訳にもいかない。
王子本人に「皇女に会う約束をしましたか」と問うことも出来ない。王子に会うのにどれだけの手間と理由と段階が必要かを思うと、王城内の騎士団に探って貰うのが一番安全だ。戦で共に戦った盾仲間なら信用出来るが、それでも限界はある。

今自分に出来ることは、不安な状況を必死に堪えているだろう皇女が、少しでも心安らかに過ごせるように気配るしか出来ない。

 

「私に出来ることでしたら、どのようなことでも致します」
「では、せめてバスローブを着せて欲しいのですが、お願い出来ますか?」

 

聞こえて来た内容に、跪いていたカミルは低頭したまま固まった。

今までの話の流れから大きく逸れたような気がして、頭の中が真っ白になる。誰にバスローブを着せるのか、まさかウサギにバスローブを着せて欲しいと言っているのだろうかと、普段使わない思考回路が熱を持ち煙を立てそうだと頭を振る。

少し前に苦労して濡れたドレスや下着を脱がせたばかりだ。

出来るだけ肌に触れないよう気を付けながら布地を掴んで脱がせたが、バスローブを着せるとなると、皇女の腕を掴み袖に入れる作業などがある。

更に考えたくはないが、掛け布団の下の皇女は裸だ。

垣間見えた少女の白い肌と柔らかな感触が思い出され、ブルリと身震いしたカミルが恐る恐る顔を上げると、ウサギが小さく首を傾げた。母親の部屋で見たウサギの背後で揺らめいていた皇女らしき人影と、ベッドで寝ている少女が重なり、カミルは急ぎ頭を下げる。

 

「お、御許し下さいっ!」
「下着とは言いません。ですが何かあった時、私を移動しなければならない可能性もあります。その際、カミル様は裸の私をそのまま担ぎ上げて移動するのですか? 私は・・・厭です。そんな恥ずかしい姿を晒すなど、考えただけで自害したくなります。ですからカミル様、お願い出来ませんでしょうか。いえ、お願いします」
「あ、う・・・・そっ、・・・・うぐぅ・・・」

 

狼狽たカミルの前には、真摯な声色と表情が読めないウサギの顔。今まで何となくウサギの感情が判るような気がしていたが、真っ黒な瞳が潤んでいるのが解かるだけで冗談で言っているのか、本気なのかが判らない。言っている内容だけを聞けば願いを叶えなければならない気になるが、ドレスを脱がせていた時の上からの強い発言を思い出すと即答がしにくい。

第一、皇女は裸なのだ。

自分が裸になって森で一晩過ごせと言われた方がマシだとカミルは首を振る。

 

「・・・・御許し・・・・願えませんか?」

「カミル様に出来ること、今はカミル様にしか頼めないことです。目が覚めるまで裸のままは困ります。バスローブが無理なら・・・・せめてズロースとシュミーズだけでも」
「バスローブをっ! バスローブを着ましょう!」

 

腰を持ち上げて穿かせなければならないズロースなど以ての外だと大声を出すと、ウサギの耳が大きく揺れた。思わず話しに乗ってしまったと蒼褪めるカミルの前で、ウサギは丁寧にお辞儀をする。

 

「では、早速お願い致します」

 

自分の目が潤んでいるような気がして目を擦ると窓外で稲光が光り、ベッド上の少女の顔を綺麗に浮かび上がらせた。


 

 

 

 

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