頑なな賢者の祈り  5

 

 

「・・・・腕を掴ませて頂きます」
「手首はもう少し下です」

 

カミルは自分の目元に濃い色のハンカチをあてがい、その上から包帯をグルグル巻き付けた。
用意したのは自分が使う大きなガウン。女性ものの新品バスローブなど城にない。自分が使う大きなバスローブならゆったりしている分、重ねる部部が大きく万が一抱き上げる時も肌蹴る心配がない。少女の正体が皇女だとわかった今、出来ることなら目にすることも憚れるが、了承してしまったのは自分だ。

 

ガウンの袖に腕を入れ、指示された場所へと手を伸ばして皇女の手首を掴む。 

ほっそりとした手首など初めて触った。生まれたばかりの仔牛の足より細く、そして柔らかい感触に思わず手の動きが止まりそうになり、急いで引き入れる。
目隠しをしている状態のため、ウサギの指示だけが頼り。
掛布団を大きく剥がしているため、間違って皇女の身体の何処かに触れることの無いよう、敷布の上を指先で慎重に神経を尖らせながら辿るしかない。身体の上に乗せていたタオルは全てウサギに取り除いて貰ったが、問題は自分の手の置きどころだ。一つ間違えると大変なことになる。自国の王子の婚約者で、同盟国の皇女。その身体に触れるなど、いや顔を見ることさえ田舎領主には有り得ないことだ。

片手を引き抜き、通した袖側のバスローブを身体に掛ける。ウサギの指示通りに肩と腰を押して身体を傾け、バスローブを押し込む。ベッドの縁に足を沿わせながら反対側に回り、身体からはみ出したバスローブを少し引っ張り、再び袖に腕を突っ込み皇女の腕を掴む。

 

「目隠しされている上に大きな手ですのに、とても器用ですわね、カミル様」
「・・・さ、先ほどの釦よりは楽ですが、は、肌に触れてしまう危険性がありますので、気を遣います。間違いがないよう、し、しっかり指示を出して下さい」
「カミル様は本当に真の騎士ですわ。人払いを済ませた城主の部屋の中ですのに、ウサギの私を部屋の外に追い出してよからぬことをしようなど、少しもお考えになりませんのね」
「そっ、そんなこと! 不敬で御座いましょう!」

 

皇女自身が何てことを言い出すんだと、目隠し状態の顔をウサギの声がする方に向けると、次の指示が飛んできた。次は腰を持ち上げて腰紐を結び、終わったら髪を梳いて貰いたいと、ウサギが言う。出来るだけ身体に触れないようにと思うのだが、皇女の身体は重くベッドに沈み込んでいる。その隙間に腕を突っ込み紐を通してどうにかバスローブの腰紐を結び、そしてカミルはようやく目隠しを外す。

 

「あとは髪を梳く・・・・。こ、こんなに疲れたのは生まれて初めての経験です」
「何事にも初めてはありますね。でもカミル様は騎士として先の戦場にも御出になられたのでしょう? その時もいろいろな初めてを体験されていたことでしょう」
「・・・・戦の方が楽かも知れません。目隠しして戦うなど・・・ありませんから」

 

櫛を丁寧に動かしながら、カミルは諦観の境地で艶やかに輝く髪を見下ろした。皇女の目が覚めたら髪をまとめる宝飾も必要だろうか。後で母親の部屋で探しておこうかと頭の奥に叩き込みながら、ふと思い付いたことを口にした。

 

「お尋ねしても宜しいでしょうか。先ほどの話しでは、皇女は御自身の意識を切り離して近くの動物に移動させたと仰っておりましたが、それは何故なので御座いますか」
「・・・・それは、私が持つ魔法力を悪用されないようにです。身体と意識を離しておけば、身体が連れ去られても魔法力を発動することは出来ません。あの魔女に無理やり魔法力を行使されるのは私個人が厭だというだけでなく、国の問題に発展するからです」

 

眠ったままの本体を見つめるウサギは口惜しそうに語ると、自分の指をそっと前足で撫でた。

梳き終えた髪を丁寧に枕元に流し、カミルは近くの椅子に腰掛ける。皇女が持つという魔法力は正直未だ理解できないが、先の戦では魔法を使った攻撃を実際に受けたことがある。在るものは在るものとして受け止め、皇女のために出来ることを模索しようとカミルは考えた。

 

「ハムガウト国で囚われたままの人たちを助けるための、魔女に対抗出来る何かがあるといいのですが。例えば魔女の苦手なものとか、魔法が効かない武器とか・・・・」
「確かに魔女が苦手とするものはあります」
「えっ? あるのですか! そ、それはどのようなものでしょうか」

 

希望の光が見えた気がしてカミルは身を乗り出した。皇女がこのままの状態でいつまでも田舎領主の城にいていいはずがない。王子の婚約者でもあり他国の皇女だ。それよりも何よりも、下着を穿かせて欲しいと言われたら、今度こそ自分はこの場から逃げ出すだろう。

第一、悪意ある企みを野放しにして再び戦にでもなれば両国に住まう民が困る。

やっとここまで国が安定してきたのだ。人が死ぬのは、もう見たくない。

 

「それは魔法石として、フェンベルド国の王宮奥深くに隠されているはずです。魔女は自分で触れることが出来ない魔法石を、私の魔法力で探して壊そうとしたのでしょう。・・・・フェンベルド国の始祖は白魔術を操る魔法使いで、国を護るための魔法石を城のどこかに据えた。―――幾百年前より、我が国ではそう伝えられております。フェンベルド国始祖の子孫のひとりが建国したのが我が皇国で、ですからオルドーの王族はフェンベルド国王城に隠された魔法石のことを知っているのです。私の魔法力が白魔術なのも、その血を受け継いでいるからでしょう」

 

乗り出していた身をゆっくりと椅子の背に戻したカミルは口元に手を宛がい、ウサギが話す内容を必死に理解しようとした。

頭の中が飽和状態で、内容を咀嚼するのに時間が掛かるが、魔女の苦手なものが王城内にあることは理解できた。そして自国の始祖が魔法使いで、皇女はその子孫で白魔術とやらが使える。ウサギが喋ることに多少は慣れて来たと思っていたが、いま聞かされた話は壮大過ぎて頭の中では整理しきれない。

 

「・・・・フェンベルド国の王城にある『魔法石』が魔女の苦手なもので、それを壊したいがために白魔術を使える皇女を手の内に入れようとした。だから王子の名を騙って手紙を出した? 先の戦も魔女の計画の一端で? ・・・・いや、調べが済んでから次の動きを練った方がいいでしょう」
「ええ。ラルフ王子まで巻き込まれていなければ良いのですが、今の状況では心配するしか出来ません。カミル様の御友人からの手紙を待ち、その結果を元にまた考えます」

 

小さなウサギはそう言うと、自分の身体に視線を移した。

ベッド上では少女が穏やかな眠りに微睡んでいるように見えるが、目覚めることは無い。魔女の企みを阻止しようとして自らに魔法をかけた結果、人も通らぬ薄暗い森奥で、身体が芯から冷えるほど長い間、地面に横たわっていた少女。それを見つめ続けるしか出来なかったウサギ。

幾晩、そこで過ごしたのか。狼や梟、野鼠などが蠢く深い闇の中、どれだけ心細かったことか。

無意識のうちに、カミルの手が動いた。ピンと立っている耳に手を伸ばし、温かい感触に眉尻を下げながら撫でる。驚いたように振り向くウサギの、大きく濡れた瞳が真っ直ぐに自分を見上げている。

胸を過る、この感情は何なのだろう。疼くように熱く、そして悔しいほどに・・・・。

うまく言葉にできない感情を振り払うように息を吐いた、その瞬間に思い出す。このウサギは皇女だと。

急いで手を離して謝罪をするとウサギに謝るなと怒られた。戸惑いながらもカミルが頷くと、ウサギが目を細める。それは笑っているようにも、泣き出す一歩手前にも見えた。

 

「皇女様、ラルフ王子は立派な御方で御座います。ですから心配は無用で御座いましょう」
「・・・フェンベルド国の王族にも以前、私のように加護を持ち生まれて来る者がいたと聞きましたが、ここ数十年は居らず、私がラルフ王子に嫁ぐことになったのです。王城は魔法石で護られていても加護を信じる者がいなければ、それはやがて朽ち果ててしまうから」
「では皇女様は我が国の女神のような存在ですね。こんなにも心優しき清廉な女神を妃に向かえることが出来るラルフ王子は、世界一の幸せ者です。・・・・・・あ」

 

いつの間にか雨が止み、静かな夜の帳が下りた部屋に、カミルの腹から空腹を訴える陳情が盛大に鳴り響いた。珍しく恰好良いことを言っていたのにとブツブツ文句を言いながら腹を擦るとウサギが耳を揺らして笑い、カミルは安堵の息をそっと吐く。

 

「今日はもう遅いです。このままゆっくりと安心してお休み下さい。俺は執務室で食事してから寝ます。朝に友人に出す手紙を持ってきますので、内容を確認して下さい」
「・・・・カミル様のベッドを占領してしまい、申し訳ありません」

「殆ど使っていませんでしたから御気を遣わぬように。では、お休みなさいませ」

 

パタパタと揺れる小さなシッポが可愛いと見つめ、カミルは御辞儀をして部屋を出た。

執務室に用意されているだろう食事はすっかり冷めているだろうが、皇女の過ごしてきた幾夜を思うと贅沢だと唇を噛む。頼る者もいない闇の中、狼の遠吠えや風の音に怯えて過ごしてきた日々。動かせない自分の体と非力な野ウサギの身。よくぞ耐え抜いて来られたと、改めて尊敬の念を覚え、カミルは急ぎ王宮騎士団の知人に手紙を書くことにした。

 

執務室に入り急ぎ食事を終えたカミルが手紙を書くために椅子に腰掛けようとすると、椅子上に見合いの釣書があった。筆には紐で繋がれた釣書が付いており、引き出しを開くとそこにも釣書が。それらを無視して手紙を書き、寝台に横になろうと掛布の上にも下にも釣書。さすが、コンラート。抜かりない。

全てまとめてテーブルに移動した後、深い溜め息と共に横になる。


目を閉じるとラルフ王子の顔が脳裏に浮かんだ。
戦に国王が参戦する直前、第二王子であるラルフが同盟国であるオルドー皇国の王宮騎士団と共に前線にやって来た。王族は戦況を把握しつつ、安全な場所から作戦指示を出すだけかと思っていたのに、実戦に参加すると聞き、ひどく驚いたのを覚えている。王子は野営地に逗留し、騎士らと同じ食事をし、一緒に暖を取った。共に戦う駒同士なのだから敬語は止めてくれと言う王子の笑顔に、どれだけ勇気付けられたことだろう。

カミルは畏れ多くも王子と一緒のテントで休むことになり、緊張の余り碌に眠れなかったのを思い出す。それが幾晩も続くと、いつの間にか親近感が湧き、肩を叩き合う仲になった。笑うと幼く見えるが剣技は素晴らしく、その鬼神のような戦いに周囲も発奮し王子を守れと進むうちに戦局は好転したのだ。

王族らしい高貴な雰囲気を醸し出しながら、柔らかな笑みで遠慮なく肩を組んでくださる親しみやすさ。川で水浴びをした時は背を洗って貰ったのを思い出す。白い肌ながら、無駄のない筋肉は普段から鍛練している証拠だ。驕ることなく日々邁進されている王子の生きざまに「格好がいい」と褒め称えたことさえある。

確か王子は確か自分と同じ、十八のはず。知らず自分の顔を撫でながら、カミルは呟いた。

 

「同じ齢には見えないよなぁ・・・・。実年齢より十は上に見られるからな、俺は」

 

皇女にも『いい歳して独り身なのかしら、この男』と思われているのだろうか。

いや、自分のことはどう思われてもいい。ただ着替えに関してだけは、二度と自分を使わないで欲しいと強く願った。しかし自分しか動けないと言うのも承知だ。ドレスや下着が乾いたから着せて欲しいと言われないよう、早く目覚めて欲しいと祈るしか出来ない。そのためには皇女が安心して目覚めることが出来るよう、魔女の思惑を調べなくてはならない。まずはフェンベルド国王城の動きだ。王子のサインと印璽が使われたなら、王子が操られている可能性がある。または王子の周囲に敵国の密偵がいる場合もあるだろう。
自国のことを一番にしない皇女の気持ちを慮ると、カミルは早く朝が来ないかと焦る気持ちを抑えることが出来ない。自分が動けたらどんなにいいか。待つだけの身は辛い。
しかし、皇女は待ち続けたのだ。
あの森奥で、誰かが来るのをじっとウサギの姿で待ち続けていた。質にされた自国の人間の心配をしながら、獣が来ないよう祈り、幾晩も過ごし続けていたのだ。
何か他に出来ることは無いだろうかと考えながら、カミルは眠りに落ちていった。

 


 

 

 

 

 

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