紅王子と侍女姫  112

 

 

年が明けると、昼少し前から多くの訪問客がリグニス城に訪れる。

領地内外から訪れた客を城内の庭へ案内し、新年を祝う宴会を催すのがリグニス城では毎年恒例となっていた。今年も好天に恵まれ、領主の挨拶が終わると料理人や侍女が料理を運び、ロンやカーラがワインを振る舞う。ディアナは料理長と一緒に厨房に立ち腕を振るい、時に料理を運んでは客人方に挨拶をした。深窓の令嬢として滅多に表に出ることがなかったディアナが笑みを浮かべて挨拶する姿に、目を瞠る者が多くいるとカーラが苦笑する。

 

「普段は厨房から出てこないものねぇ、ディアナは」 

「長いこと無作法なことをしてきたと、反省しています」 

「それは仕方がないでしょう? ディアナは魔法がかかっていたのだから。そういえば・・・どうやって魔法を解いたの? そこは覚えていない?」 

「覚えてないというか、記憶にないというか・・・」 

ああ、そうだったわねとカーラが微苦笑する。 

幼い頃、王城で魔法にかけられ、その魔法を解くために王城に行っていた。そしてその魔法は解けた。

そう言われても何ひとつ思い出せずにいるディアナだが、以前と違うことに気付くことは多い。 

今までは息をするように侍女仕事をして、それが自分の存在意義だと感じていた。朝暗い時刻から夜遅くまで急くように働いていた。何か仕事をしてないとここに居てはいけないような気分でいっぱいだった。全部の仕事を任せて欲しいと厨房や畑、厩舎仕事に手を出し、執事の仕事まで手伝いたがった。

いま振り返ると、それは侍女としては傲慢で、立場を弁えない愚かな行為だと気付く。領主の娘だからと皆が目を瞑っていただけで、自分はどれだけ迷惑を掛け続けていたのだろう。

今は人の仕事にまで手を出そうとは思わず、出来る範囲で午前中だけに留めている。以前は逃げていた講師から学び、本を読み、知識を向上させることに費やし、時に誘われて菓子作りを楽しむ。

講師が教える以上のことを知っていて驚かれることもある。国の歴史や歴代の王や王妃、主だった貴族の名がスラスラと口から出るのに、ディアナ自身が一番驚いていた。これは記憶がない間に王城で勉強していたに違いない。だけど覚えていない、思い出せない。 

魔法を解いて直ぐにアラントルに戻らなかったのは、どうしてだろう。自分は半年余り、どうやって過ごしていたのだろう。ましてや王子と恋に落ちる、何があったというのだろう。 

いくら考えても答えは出ず、王子に尋ねることも出来ない。

 

やがて深々と冷える夜になると訪問者の多くは帰って行った。例年通り、気の置けない地主たちが領主と共に食堂に移動し、ホットワインやビールを片手に昔語りを始めると、侍女長とラウルだけを残して皆は解散する。

部屋に戻ったディアナは、ふと、王子は今ごろ王城で舞踏会に参加なさっているのだろうかと窓から見える真っ黒な夜空を見つめた。

招かれた美しい貴族息女が王子と会釈を交わし、想像することさえ出来ない煌びやかな大広間で優雅にダンスを披露する。荘厳な音曲を背景に踊りながら、二人は何を語るのだろう。 

「・・・菓子の話や、炭作りのコツ・・・ではないわよね」 

ぽつりと零した内容に自嘲しながら、冷たい窓に額を寄せる。吐いた息が窓を曇らせたのを目にして、無意識に布で拭った。滲んだ窓ガラスの向こうは真っ暗な夜闇が広がり、町の明かりさえも僅かにしか見えない。アラントルの領地は森林や牧草地が多く、城と港の間に町があるだけの田舎だ。 

穏やかで、のんびりした、エルドイド国の端にある領地。

 

「・・・・・」 

ディアナは緞帳を下ろしてベッドに腰掛けた。

無意識に下がる眉に同調して口端までもが下がっているのが鏡台の鏡に映り、指で無理やり押し上げる。苦い息が零れ落ち、どうしてと思う。どうして王子は自分などを好きだと言ったのか。どうして自分はそれを受け入れたのか。 

何度も考えてしまうが、何度考えても思い出せない。無理をしたら思い出せるかもと考えるが、どんな無理をしたらいいのか解からないし、もう王子はアラントルに来ないかも知れないのだ。舞踏会で出会った貴族息女や他国の王女に心惹かれる可能性がある。既に王子に相応しい家柄の、美しく聡明な女性が傍にいるかも知れない。もう、王子は来ないと思っていた方がいい。 

だけどそう思うほど胸は苦しくなり、眉は下がり、溜め息ばかり吐いてしまう。

自分は一体どうしたいのか、考えをまとめようとすると鈍い痛みに襲われる。深呼吸して記憶の扉が開くのを待つが、鍵がないのだから開くことはない。精神的疲労が積み重なり、ひとり部屋にいると溜め息ばかり吐いている自分が厭になる。 

「半月・・・・も、会えない」 

もう来ない可能性があると考えたばかりなのに、半月会えないことが寂しいと吐露してしまう。そんな自分に驚き、ディアナは口を覆った。指先が触れた頬が熱を持っているのを感じ、そろりと顔を上げると真っ赤な自分が鏡に映っていて、慌てて顔を背ける。溢れそうな感情が何処から来るのか、それはどう処理したらいいのか、この動悸はどうやったら治まるのか―――。

強く目を瞑ると涙が滲み、何だか自分が情けなく思えた。

 

 

 

年が明けて十日後、同じ顔が二つ、アラントルにやってきた。 

「すごい久し振り、ディアナ嬢。今年もよろしく!」 

「ディアナ嬢、今年も美味しいケーキをよろしく!」 

「エディ、ずるいっ。ディアナ嬢、俺もよろしく! それと昼食を頼める? いま着いたばかりで、もう腹がぺこぺこなんだよね~」 

双子騎士のエディとオウエンの突然の訪問に驚きながら、空腹を訴えられたディアナは慌てて料理長に食事の用意をお願いした。

王城で何かあったのかと思ったが、双子はのんびりと食堂の椅子に腰掛け首を振り、「これ、殿下から頼まれた果物の差し入れだよ」とたくさんの果物をゴロゴロとテーブルに広げ見せる。季節を無視した果物に、食堂に集まった皆が息を飲む中、ディアナは双子に頭を下げて礼を言った。 

「これは瑠璃宮管理の温室の果物ですか?」 

「そうそう、ローヴ様が持って行けって。それと、これも」

 

オウエンが差し出したのは一通の手紙で、ディアナの名前が記されていた。 

中を見るとカリーナからで、体調に変わりはないか、欲しい果物などがあったら遠慮なく言って欲しいと書かれており、ディアナの顔が綻ぶ。面識が少ないはずの相手なのに、気遣うような文面からもしかして長くお世話になったのだろうかと思える。たぶんそうなのだろうが、記憶がない分、感情は微妙だ。

そういえば、アラントルに戻って数日してから姉カーラがロンと結婚しているのに気付いた。それを当たり前として受け入れていたことに驚いたが、記憶がなくても実際目にしたことは覚えているものなのだろうと納得させた。・・・・では、どうして王子のことは何ひとつ覚えていないのか。

 

「昼食はすぐに用意出来ますが、ケーキは少しお時間を頂きます。それと遅くなりましたが、たくさんの果物と手紙を、ありがとう御座います」 

目を輝かせて頷く双子に苦笑する。

たくさんの果物を目にして感嘆の声を出す侍女と一緒に貯蔵庫へ運び、ラズベリーと生クリームを使ったトルテを作ろうと用意を始める。両親と姉夫婦が食堂にいる双子騎士に驚き、賑やかな昼食になった。 

今夜から天候が崩れると鹿肉を運んできた猟師が言うので、双子は泊まることになり、夜はいっそうに賑やかになる。ワインの飲み過ぎに注意して欲しいとロンが言うと、双子は互いを見合い、揃って頬を掻いた。以前、アラントル領地視察の際にワインを飲み過ぎてグタグタになったと聞き、ディアナは目を瞬く。それは容易に想像がつき、同時に既視感を覚えた。どこかで見たような、それとも聞いたような話に首を傾げると、眩暈に襲われる。厨房入り口に置かれた椅子に腰掛けて壁に凭れると、料理長が慌てて飛んで来た。

「大丈夫です。すぐに治ります」 

「貧血ですか? それとも・・・何か思い出されました?」 

料理長に尋ねられ、何か思い出したかと自身に問うが、やはり今回も何も思い出すことが出来ないと首を横に振る。無意識の内に項垂れていたようで、差し出されたコップに顔を上げると、料理長がミルクを温めて運んでくれていた。仄かな甘みと湯気に気持ちが落ち着いて来ると同時に、自分は思い出したい気持ちが大きく膨らんでいると強く自覚する。

ここ数日は、思い出したら何かが変わるかも知れないと考えるようになり、記憶は胸の奥にあるのか頭の中だろうかと探るようになった。

扉の鍵はまだ見つからないままだ。

鍵が見つかったら、扉が開いたら、記憶が戻ったら・・・・自分はどう変わるのだろうか。

王子の言ってくれた『好き』の言葉を素直に受け入れ、王子の許に駆け出そうとするのだろうか。王位継承権を持つ王子の傍に、自分が寄り添う? そして、いずれは王太子妃に? 

そこまで考えると、まさかと首を振る自分がいる。それはどう転んでも有り得ないと。

でも王子はディアナがそれを受け入れたと言っていた。その時の自分は、どうやって受け入れる気になったのだろう。深く探っても、熟考しても思い出せない過去に、憔悴だけが募っていく。 

・・・優しい王子はディアナが思い出すまで何度も足を運ぶだろう。だけど思い出したら自分はどうなるのか。いや、新年を祝う舞踏会で、もう心惹かれる方に出逢ったかも知れない。

 

「・・・・また」 

気付けば、また同じことばかり考えていると唇を噛む。記憶を取り戻した方がいいのか、戻さない方がいいのか、その時々によって心が大きく揺れ動く。

以前と同じ日常を送る自分の、以前にはなかった感情の揺れに気持ちが追い付かない。考えないようにしようとしても王子が来る日を指折り数え、どんな食事を作ったら喜ばれるかと口元を緩ませている自分がいる。王子に美味しいと言われたら嬉しくなり、また来るからと言われると次はもっと美味しい物を作って差し上げたいと思う。並行して、忙しい王子がアラントルまで来る必要はもうない、既に素敵な女性が王子の心を射止めていると考え、深く項垂れている自分だ。

いっそのこと、記憶を取り戻したうえで全てを諦められたら楽なのかも知れない。気持ちの整理が着き、自分らしさを取り戻せるのではないだろうか。だけど自分らしい自分とは、どんな自分なのだろう。

侍女として働き続けていた自分のどこに王子が惹かれたのか探すすべもない今、どうしていいのか解からず、ディアナは数度目の溜息を零した。

 

  

翌朝、双子騎士が王都に戻る用意をしていると、「港で大変な騒ぎが起きている!」と町から走って来た警吏が噎せ込みながら訴えた。

年老いた警吏は荒い息を吐きながら、突然予定にない大型船が来航したために港が混乱していると言う。アラントルの港はその殆どが漁港で、隣国オーラントの客船が人や荷物を下ろすために寄港するのは月に一回だけ。それが早朝から突然港にやって来て、身分の高そうな人が船上から領主を連れて来いと声高に訴えると同時に鎧姿の騎士が幾人も船から降り、港では苛立った漁師たちと一触即発の状況だと訴える。 

「オウエン、隣国のオーラントって、ディアナ嬢がアラントルで二度目に攫われる前にいろいろあった国だよな。それって、まさか、その続きか?」 

「わからないけど、一緒に行った方がいいだろう。エディはディアナ嬢と一緒に城に残り、鳥伝で王城に報告してくれ。俺は領主と一緒に港に行く」

 

オウエンが領主に同行するからと伝えると、何が何だかわからないと戸惑っていた領主も安堵した顔で頷いた。執事が馬車を用意している間、エディが預かっている魔道具の鳥は何処にいると尋ね、ロンと共に移動を始めた。 

慌ただしい様子を前に、ディアナは自分の名前が出たことに胸騒ぎを覚える。自分に関係する何かで港の漁師と他国から来た騎士が争いそうな事態になっていると聞き、思わず足が動きそうになる。

しかし腕を掴まれ、振り向くと姉のカーラが首を横に振っていた。

 

「こんな時に女子供は邪魔になるわ。何があったかは知らないけど、あとでお父様やロンが教えてくれるから、城の中で待っていましょう」 

そう言われては動けなくなる。悄然としたまま椅子に座り、ディアナはエディの帰りを待った。半時ばかりで戻って来たエディが、直ぐに説明を始める。 

「いまローヴ様に港のことを伝えて、国王に伝えてもらうようお願いした。念のため魔法導師がひとり、アラントルに来てくれるって」 

「・・・念のため?」 

「そう。ディアナ嬢は城から絶対に出ないって約束して欲しい。・・・前にも話したけど、俺の目が離れた隙を狙ってディアナ嬢が攫われるなんて、二度目は赦されない・・・っ」 

いつもの柔和な顔とはまるで違うエディの険しい表情を前に、ディアナは深く頷くしかない。踵を返して外に向かうエディを座ったまま見送ったディアナは、カーラに手を握られて、もう一度頷いた。 

「ここから、動きません」 

 

 

夜もすっかり更けてから戻って来たオウエンたちに、ディアナはカーラと共に安堵の息を吐いた。

瑠璃宮から来たのだろう、薄墨の法衣のような衣装を着た魔法導師も一緒で、ディアナの前に来ると恭しく低頭する。 

「ディアナ嬢、私はザシャと申します。瑠璃宮の魔法導師です」 

「御足労頂き、恐縮です。・・・それで、あの、港は」 

挨拶もそこそこに、急いた気持ちが前面に出てしまう。すると問われたザシャは苦笑して肩を竦め、オウエンに振り向いた。話を振られたオウエンは眉を下げ、「どう言っていいのか」と頬を掻く。

領主とロンは少しやつれた顔を見せ、出された紅茶にブランデーを入れて欲しいと言いながら椅子に深く腰掛けた。 

「オウエン、早く説明してくれよっ」 

エディが苛立ちも露わに声を荒らげると、オウエンは大きく息を吐いた。 

「えっと、ディアナ嬢。まず、オーラント国の船は戻ったから安心してね。で、オーラント国の船が急に来た理由は・・・・間違いなく、全部、ギルバード殿下が悪い」 

「殿下が?」 

驚いたディアナとエディが声を揃えると、領主が顔を覆い、ロンがそっと視線を逸らした。意味が分からず戸惑っていると、ザシャが笑い顔で手を挙げた。

 

「オウエン様、それは端的過ぎますよ。まあ、あながち間違いではないのですが」 

「もっと詳しく話してくれよ! ちっとも分からない!」 

エディがテーブルを叩くと、オウエンが肩を竦めた。 

「そう急くなよ。えっと、年が明けてギルバード殿下は招待された他国巡りに出ているだろう? そこでその国の姫さんや貴族息女に引き合わされるのが、視察前の殿下恒例の年明けだったろ。エルドイド国の王位継承者である殿下は二十歳を過ぎ、各国は今まで以上に気合を入れて今年こそはと招待した。だけど殿下は招かれた城に着くなり、にやけた顔で宣ったそうだ」 

「・・・あ、もう分かった」 

オウエンの説明の途中で手を打ったエディが、呆れたように口を開けた。途端、領主が呻き声を上げ、堪え切れないとばかりにロンが肩を揺らし出す。

 

「次に貴国に来る時は、愛しい妃と共に訪れると約束しよう―――って宣言したから、もう大変。殿下が帰った後、オーラント国の王女が相手は誰だー! って泣き喚くから急ぎ調査を開始したんだって。エルドイドの貴族や商人に聞き込みしたり、自国の魔法導師を動かしたり。で、舞踏会で国王陛下と親密そうに踊っていた娘がいたということ、東宮に長く滞在していた貴族息女がいたこと、殿下と揃いの衣装を発注していたこと、その息女が王城に来てからは頻繁に王城で催されていた王弟息女主催の宴が開かれていないこと・・・などなどから、その息女が殿下の言う『愛しい妃』ではないかと導き出された訳だ」 

「で、オーラント国の船がアラントルに来たってことは、ディアナ嬢のことが知られているってこと? ・・・確かに仕立屋とか、舞踏会に参加した貴族たちに緘口令を敷いてはいなかったけど」 

「ううう・・・っ」 

領主が悲痛な呻き声を上げる横で、ロンとカーラが慰めるようにその背を撫でる。 

「でも今のディアナに当時の記憶はないはず・・・・。それなのに他国で王太子妃は決まったと口にされるなんて・・・・・。もしかして、アラントルに戻って来てから殿下に申し込まれた?」 

姉から問われ、ディアナは反射的に首を横に振った。 

瑠璃宮で目覚めた数日後、確かに王子から「結婚の話」はされた。その前に「好きだ」とも言われた。

ディアナ自身も過去に王子を「好きだ」と口にしたそうで、領主である父にも「結婚の話」はしてあると言っていた。だけど今の自分は何も覚えていないのだ。

それに、アラントルに戻ってからは何も言われていない。

何か言いたげな表情をされることはあるが、それは記憶が戻ったどうか心配されているだけだろう。ふたりきりで散策しても、物語りにあるような甘い雰囲気になることはなかった。気付けば手を繋ぎ、時に抱き上げられることもあったが、言葉は・・・・戴いていない。

 

「確かに、国王と踊ったことでディアナ嬢が貴族らから注目を浴びていたのは確かです。その上、殿下の発言では・・・・オーラント国の姫が驚くのも仕方がありませんね」 

カリーナが憤慨するでしょうと笑うザシャの横で、双子がそろって頭を掻き毟る。 

「今回はザシャ様が上手く説明してくれたからオーラント国も素直に帰ってくれたけど、他の国からも来たら・・・・。うわっ、どうしよう!」 

「説明というか、術で誤魔化しただけですけどね」

 ザシャが言うには、オーラント国から来たのは外交大臣と王宮付きの近衛兵たち。

しかしアラントルの港、長閑な町、ワラワラと集まって来た町人や漁師たち、そして転げ落ちるように馬車から出て来た地味な衣装の領主を見て、大国エルドイド国の王太子妃がこんな田舎町にいる訳がないとブツブツ呟き出したそうだ。

ギルバード殿下付きの護衛騎士としてある程度顔が周知されているオウエンは急ぎ馬車の中に隠れ、途中から合流したザシャが領主と共に何事かと尋ねると、向こうも困った顔を見せた。 

「そこに畳み掛け、何も知らされていないを貫き通し、とにかく急に来られては困ると伝え、国同士のことなら王宮に行って欲しいと伝えました。その上で心理的な術を少し掛けたのです」 

アラントルの港から一刻も早く離れたい気分にさせただけで、憤る漁師の形相を前にオーラント国の大臣も早々に離れることを決定したらしい。魔法導師長のローヴに詳細を報告したので、あとは国王側で何とかするでしょうとザシャは話を括った。

 

「しつこく寄せられる見合い話に辟易していた分、決まった相手が出来たことを大声で言いたかったのでしょうが、殿下らしいというか、侮れない血筋というか・・・」 

苦笑し続けるザシャを前に、双子はテーブルに突っ伏して領主と共に呻き声を上げる。 

「鳥伝で双子はしばらくアラントルに滞在するよう伝えましょう。同じように来襲する国があるかも知れませんので、私もお邪魔させて頂きたいのですが、宜しいですか?」 

眉を思いっきり下げた領主が「お願いします」と頭を下げ、カーラがザシャのための部屋を整えるよう侍女に伝える。執事は空になったカップに紅茶を注ぎながら、領主を慰めた。 

「他国からも・・・・来るでしょうか」 

ロンの問いに、ザシャは肩を竦めた。あとは王子次第ですねと言わんばかりの顔で、鳥伝で報告するためにロンと共に食堂から離れていく。口を挟む間もなく茫然としていたディアナは、ふと母親の存在を思い出した。見ると母親は口を半開きにしたまま意識を飛ばしているようで、それに気付いた領主が慌てて腕を掴んで立ち上がらせた。 

「あー・・・、ディアナ。殿下や皆様が良くして下さるだろうから、いつも通りに過ごせばいいからな。む、無理はいけないぞ。それと料理長に、明日よりしばらくの間は三人分追加と伝えておいてくれ」 

 

 

 

慌ただしい夜はようやく終わり、しかし、騒動は翌日も続いた。 

城門の外に豪奢な馬車が数台連なって停まっています! と従者が飛び込んで来た朝食。 

昼食が終わる頃には早馬が次々に到着し、執務室の机の上には届けられた書簡が山を築く。夕食時には町の主だった役員が城に集まり、行き来する早馬は一体何事かと問うてくる。

領主はげっそりした顔でロンやザシャと共に対応に追われ続けた。 

王子の発言が原因で騒ぎが起きたのだとしても、エディやオウエンが気にすることはないと笑ってくれても、ディアナが関わっていると知れば落ち着いて過ごせる訳もない。いつも柔和な笑みを湛えているロンでさえも同じ説明を繰り返す内に憔悴し、説明に付き添うザシャからも笑みが消えていく。 

ディアナが出来ることは対応に追われる二人に温かいお茶を用意し、場内を見回る双子騎士に喜んでもらえるよう食事に気を遣うことしか出来ない。

 

「ディアナ嬢、あと一週間くらいで殿下も王城に戻る予定だし、そしたらたぶん、この騒ぎは収束するだろうから安心してねぇ」 

「そうそう。そんで、ディアナ嬢に会いに来た殿下を問答無用で殴っても蹴ってもいいし、罵倒してもいいし、逆に顔を背けて部屋に閉じ籠ってもいいよぉ。国王もきっと、そうしろって勧めるからぁ」

「原因の一端は国王にもあるんだから、勧めないだろう」

「いや、あの王様は勧めるね。うん、絶対!」 

「それよりザシャ様、ファルス皇国って、どこだっけ?」 

「封を開ける前に私に下さい。書簡を開けた途端に呪いが始動する可能性がありますからね。ファルス皇国は西に位置する国で、先々代のエルドイド国王の時代から付き合いのある国ですよ。十代前半の姫様が三人いらっしゃるはずで、それぞれ別のお妃さまの御子様です」

「へぇー、そうなんだぁ」  

「お茶と・・・夜食をどうぞ」

 

テーブルの上には届けられた大量の書簡。赤々と燃える暖炉の近くに大テーブルを運び、仕分け作業だけで夜中を過ぎていた。その内容のほとんどはアラントル領リグニス家息女はエルドイド王城に滞在していた事実はあるのか、王城での舞踏会に出たことはあるのか、などの問い合わせが多く、あからさまにリグニス家息女が王太子妃になるのは事実なのか、それはどのような経緯でだと詰問するような内容もある。 

アラントルに面倒事を持ち込んだのは間違いなくギルバード王子だが、他国の視察団を歓待する舞踏会で国王がディアナと踊ったことも原因のひとつだと双子が声を揃える。

 

「滅多に踊らない国王が、使節団の前で二曲続けて踊っただろう? その後、王女にディアナ嬢のことを『私の賓客だ』なんて言ってさ。そりゃ注目されるよ。おまけにディアナ嬢はとっても可愛いしね」 

「そうそう。さらに三曲目の相手は宰相の息子で殿下付き侍従長のレオンだしぃ。その上、ディアナ嬢をダンスに誘おうと近付く貴族子息を殿下が威嚇してたんだから、誰何されるのは仕方がないよね」 

「結局、騒動を原因を作ったのは国王陛下と殿下の親子揃ってだろう? ディアナ嬢の故郷がどれだけ大騒ぎになるのか、全く考えていないよね」 

「レオンがいるから大丈夫だと思っていたんだけど、今回は抑え切れなかったのか?」

「って、その前にバールベイジの王女だってディアナ嬢のことを知っていたんだから、情報が漏れるのは仕方ないよ。隠すつもりもないんじゃない?」 

軽快に言い合う双子を前にして、ディアナは何と言っていいのか言葉を失う。

その隣りには苦笑し続けるザシャの他に、新たに瑠璃宮から来てくれた魔法導師のカイトがいる。 

本来なら魔法導師は王直下の臣下であり、一貴族の問題に介入することはないそうだが、王命で来たという魔法導師は問題が解決するまでお邪魔させて頂きますと微笑んだ。

 

「でも、現状を知ったら、殿下も驚くだろうなぁ」 

「驚くだけじゃ済まないよ。ディアナ嬢は殿下が顔を出したら直ぐに部屋に籠る? それとも先ずは一発殴ってから山ほど文句を叩き付ける?」 

「・・・いえ、そんな」 

正直、王子が来たら自分はどうするのかなど解からない。本当に来るのかさえ、わからないのだから。

ただ今は、大量の書簡を寄り分け続ける双子と魔法導師に申し訳ないと思うばかりだ。 

「私が記憶をなくさなければ、こんなにも大事にはならなかったのでしょうか・・・」 

年が明けて、もう三週間。半月ほどでまた顔を出すと言っていた王子の姿はない。その間、何度も頭痛に襲われ、だけど記憶は戻らぬまま時間だけが過ぎている。 

「ディアナ嬢には何ひとつ非は御座いません。記憶も一時的に失っただけと判明しましたので、時間の経過と共に思い出しましょう。それまでは心穏やかに過ごして頂きたかったのですが・・・・まったく、殿下の一言で台無しです」 

「ディアナ嬢っ、殿下のためになんか、食事も菓子も用意する必要はないからね!」 

「そうだよ! 俺たちの分だけ、用意して」

「そんで、殿下の前で美味そうに喰ってやる」 

意気込む双子の言葉に、カイトが思案気な表情を見せてザシャに呟いた。 

「カリーナがこの場にいたら、殿下もさすがに反省するでしょうか」

「悲鳴を上げて土下座するでしょうね。カリーナに」 

雪が降る寒い夜だというのに、暖炉を囲んだ四人の口調と笑い声はとても明るく、しかし疲弊した顔色は芳しくない。先に休んでいいと言われても離れがたく、各国の王族や貴族から届けられた書簡の山を前にディアナは小さく溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー