紅王子と侍女姫  13

 

 

「導師より幾つかの試しは習っているが、こんな時間じゃ一つくらいしか試せないな。一度で魔法が解けるとは思わないが、何事もやってみないと判らないしな」

「では、先ほど町で買って来た菓子を土産に持って行って下さいよ」

 

オウエンは宿探しのため先に町に来て、あちこちの店を物色していたらしい。甘い香りの焼き菓子を受け取り、ギルバードは強張った笑顔のまま部屋を出た。

出て行く王子の背を見送り、部屋では残った者たちが嘆息を零す。

 

「殿下は本当に硬くて真面目ですねー。ちゃんと解除出来るのかな?」

「戻ったら領地視察のまとめを行いながら、通常政務にも戻って頂かなくてはならないというのに、面倒な世継ぎ問題を持ち掛ける輩もいるでしょうから、早々に解決出来るよう努めて貰いたいですよ」

「ああ、婚約の申し込みが来ているそうだね。陰でいーろいろ言っている奴に限って、表では見合い話を持ち掛けるんだから、見ててゾッとしちゃうよな」

「そうそう。昔はよく殿下に聞こえるように陰から大声で喋っている奴がいたな。王弟派なのはバレバレだって言うのにさ。その王弟の娘が妃の第一候補なんだろう?」 

エディからの問い掛けに、レオンは目を細めるだけだ。オウエンが用意した紅茶を手に、薄く笑みを浮かべて口をつける。

 

「それは国王と宰相、殿下が話し合って最終的にお決めになること。王弟の娘は避けたいが、これは私個人の意見ですので聞き逃すように。その前に魔法解除ですが、ちゃんと解けるのか心配になります。あんなに面白・・・、翻弄されている殿下は見応え・・・、見たことがないですからね。舞踏会で貴族息女を相手にされる時とはまるで違う殿下をからかい・・・、助言して差し上げたくなります。ああ、ディアナ嬢の魔法解除をしながら殿下が御手を付ける、というのも有りか。どうです? あの二人、お似合いだと思いませんか」 

レオンがのんびりと話すのを聞き、エディとオウエンが驚いた顔を見せた。

 

「へえ、殿下付き侍従長としては今後を考えて、王弟の娘は無いにしても大財閥の貴族とか公爵筋から婚姻の話を勧めるのだと思っていたのに、ちょっと意外っすね」

「同盟を組んでいる隣国からも話が来ているって聞いたけど、そういうのを差し置いて一領主の娘でも、レオンは問題ないって言うんだ。驚いちゃうね、それは」

 

双子の驚いた口調を耳にレオンが苦笑する。

ギルバード自身も多分、自分の結婚をそうだと思っているだろう。結婚は国のための政の一環であり、貴族との強固な繋がりを持つために必要であると。それは幼いころから王子の耳に届かせていた大臣らの言葉だが、ギルバードの父であるあの国王がそんなことを考えている訳がない。

 

「国がどうこう言うより、まずは夫婦仲がいいのが一番だろう。殿下が愛しい妃のために政に励めばいいだけの話で、国の現状を維持向上出来るなら相手の後ろ盾など必要ない。それに子供は好きな相手に生んで貰うのが一番だと思うけど?」

「レオンがそういう話を真面目にするのって・・・・ちょっと怖いかも」

 

オウエンが驚いてそう言うと、レオンはにっこりと微笑んだ顔を向けてきた。しかしその瞳が笑っていないことに気付き、背後から立ちのぼる黒いオーラにそれ以上は口を噤んだ。 

「・・・・なんか、俺も誰かといちゃいちゃしたくなった」

オウエンのその呟きはとても小さく、エディが静かに頷くだけだった。

 

 

 

 

扉をノックすると直ぐに返事があり、ギルバードは深呼吸してから扉を開ける。

既に入浴を済ませたはずのディアナはドレスを着ていたが、髪がしっとりと濡れ、プラチナブロンドが艶めいて見えた。軽くまとめ上げているが、まだ濡れているため今にも崩れ落ちそうだ。

ディアナは恭しく腰を折り「このような姿で申し訳御座いません」と謝罪すると、紅茶を淹れ始めた。ギルバードがオウエンから持たされた菓子の袋を開けるとカスタードタルトの甘い匂いが部屋に広がり、ディアナの表情が和らぐのが見え、その表情に安堵してギルバードは並んでソファに腰掛ける。

 

「あー・・・遅くなって悪かった。あの男達は宿を出たそうだから、もう心配は要らない。これはオウエンが町で買って来た菓子だ。美味しければ同じような菓子を王城でも作って欲しいが、いいだろうか。・・・・時間があればでいいから」

 

その言葉に、本当に菓子好きの王子様だわと思わずディアナの口端が持ち上がると、それを見たギルバードが口を尖らせて少し悔しそうに呟いた。

 

「甘い菓子は・・・講義試験や騎士剣技の結果が良かった時だけ、褒美として食べることが出来たんだが、その採点が厳しすぎるから滅多に食べられなかった。その後、視察であちこち巡ることになってから様々な菓子を食べたが、貴女が作った菓子が本当に一番美味しい」

「ありがとう御座います。では、機会が御座いましたらお作りさせて頂きます」

 

紅茶と共にタルトを味わうと、素朴な甘さが口いっぱいに広がり自然と笑みが零れる。王子が何度も頷きながらいくつも口へと運ぶから、ディアナは驚きと共に目を細めて見つめていた。もし本当に王城で王子のために菓子を作れるなら、そして召し上がって頂き嬉しそうな顔を拝見することが出来るなら、沢山お作りして差し上げたいと考えてしまう。

満足したのか王子は紅茶を一気に飲み干すと、「では」と話を切り出した。

 

「ディアナ嬢の訊きたいことを先に聞こう。私からの話は、そのあとだ」

「では尋ねさせて戴きます。殿下御一行がいらした時から気になっておりましたが、御者の方々はどちらに泊まったのでしょうか。食事の支度や部屋の用意は要らないと伺っておりましたが、城下までは一本道とはいえ距離が御座いますし不思議に思っておりました」

「ああ、御者は魔道具だから部屋も食事も必要ない。馬車に行けば姿を現す」

「ま、道具・・・・ですか。 それも魔法の一種、で御座いますか?」

 

目を瞬かせるディアナを見て、その説明もしなくてはならないとギルバードは溜め息を吐く。自分では普通だと思っていたことが、王城以外では普通ではないということを、国王に庶民生活を強いられた時に知ったはずだった。

 

「そうだ、魔法の一種だ。だがディアナ嬢にかけられた魔法とは種類が違う」

「・・・・色々と勉強してきたつもりでしたが、まだ勉強不足で御座いました。王城に到着しましたら、殿下に御迷惑をお掛けしませんよう重々気を付けさせて頂きます」

「迷惑などと考えるな。こっちが迷惑を掛けている上に、王城まで足を運ばせているのだから、一切気にするな。他に訊きたいことは何だ」

「私は・・・・殿下にどのような状況で魔法をかけられたのでしょうか」

 

ディアナは視線を落として尋ねた。未だに理解不能な魔法という言葉は王子を含めた侍従長や護衛騎士にとっては極当たり前のようだ。更に領地視察に出掛ける時は見かける御者が魔法による道具だったと教えられ、どれだけ世間知らずだったのだろうと恥ずかしくなる。そして王子が自分に魔法をかけたきっかけが、どうしても思い出せない。

 

「あなたは十年前に王宮の庭園で俺に何をされたのか覚えていないと言ったな。リグニス城で行った試しでも思い出せずに頭痛を引き起こしただけだ。あの時、俺に何をされたのかを、まだ・・・欠片も思い出せないのだろうか」

「・・・・申し訳御座いません」

 

ディアナは王子からの問いに、どんなことでもいいから思い出そうと眉を寄せた。

当時六歳だった自分が脳裏に浮かぶ。噴水の向こうに消えていく茶色の上品なブレザーが翻る。日の光を浴びて艶やかに輝く黒髪。震える手が持つ珊瑚色のリボン。地面に座り込む自分が見上げた少年の顔は悲しげで痛々しく、震える唇を噛み締めている。

しかし幾ら思い出そうとしても、これ以上は思い出せない。

きっと、自分は何かいけないことを王子に言ったのだろう。王子を傷付ける何かを言ったがために激昂させ、そしてあんなにも悲しげな辛い表情をさせてしまったのだろう。何を言ったのか覚えがないことが、こんなにも辛いことだとは思わなかった。

真摯に見つめてくるギルバードを前に、ディアナは胸を押さえて口を開いた。

 

「きっと、何をされたというより、私が何か言ったので御座いましょう。その言葉で殿下は深く傷付かれたのだと今も思っております。当時の私は殿下に何を言ったのでしょうか」

 

今の自分に何が出来るのか判らないが、一生王城に仕えろというならそれでも構わない。貴族の娘らしく過ごせというなら苦しくても耐えよう。王子が十年も前のことに未だ悩んでいるなど、想像もしなかった自分をディアナは苦しく思った。

 

「ディアナは何も悪くはない。貴女は魔法をかけられただけだ」

「・・・・・。 まほう、で御座いますか?」

 

再び困惑する言葉が返って来て、ディアナは一瞬返答が遅れた。自分は悪くないと言われ、魔法をかけられたと言われ、正直何と答えていいのかわからない。

 

「そうだ、俺は感情を爆発させてディアナに魔法をかけたんだ。幼い貴女に感情を爆発させて魔法をかけた。それは今のあなたを見れば解かるだろう。・・・・侍女として毎日朝から晩まで働き、それを当たり前として受け止め過ごしている。貴族息女として過ごすことを辛いとまで言っている。そんな風に思うのは俺がかけた魔法のせいだ」

 

正面から自分を見ていたギルバードの瞳が歪み、ゆっくりと外されていく。

 

「あの・・・、私は殿下に何を言ったのでしょうか。幼いとはいえ、自分の言った言葉が原因で御座います。私が殿下に謝罪すべきであり、殿下が御気に病むことは御座いません。そのことが原因なら、今の私がどのようでも殿下が御気にすることではありません」

 

少年に誘われて王宮奥の庭園に足を運んだことがぼんやりと思い出されるだけで、覚えていないことが酷く辛く感じた。侍女の仕事は自分が好きでしているだけで、逆に家族に迷惑を掛けているのだともわかってはいる。我を通しているのは自分の方だ。

それなのに、そうすることで王子を苦しめることになるとは。

そんな自分が王子と同じ部屋にいるのも痴がましいと居た堪れない気持ちになる。自分はもっと酷い扱いをされなければならないような気が急にしてきた。同じソファに腰掛けていることさえ恐ろしく感じて立ち上がろうとした時、王子から悲痛な声が上がる。

 

「そうではない! 何度も言うがディアナは悪くない。目にしたままを素直に口にしただけだ。それなのに感情を爆発させて魔法を放つなど愚かな真似を! ディアナ、まずは謝罪させてくれ。本当に・・・・申し訳ないことをしてしまった」

 

強く腕を掴まれたと思ったら、王子の腕の中に囚われていた。立ち上がろうとしていた身体が雪崩れ込むように王子に引き寄せられ、慌てて身を引こうとしたがディアナの背に回った彼の腕は強く、離れそうもない。

 

「で、殿下の御心を傷付けたのは事実で御座いますから、謝るなどお止め下さい」

「違う・・・・。そうじゃない、判ってくれ。悪いのは俺で、その俺が幼い貴女に魔法をかけた。それが侍女としてしか過ごせなくなった今の君だ。だから、それを絶対に解いてみせる。そのために・・・・・幾つかの方法を試させてくれ」 

「何でも致します。殿下がそれで心安らかになれるのでしたら、私は何でも致します。ですから、お願いで御座います・・・・。あの・・・御手を放して下さいませ」

 

王子の胸に頬を押し付ける形で強く抱き締められ、ディアナは余りのことに蒼白になっていた。酔った男達から助け出された時の抱擁とは違う力強さと掠れた切ない声に、身体が震えてしまう。怖いのとは違う、畏れ多いだけでもない。

胸の奥が熱くて痛くて、自分が王子をこんなにも悲しませているという事実に消えてしまいたくなる。魔法が本当なのかも判らないまま、ディアナは必死になった。

 

「どうぞ、御手を御放しになって、どのようにでもお試し下さい」

 

背に回る王子の腕の強さにどうしたいいのか判らないまま、何度も離してくれるよう声に出してみた。すると背に回っていた手が不意に動き出し背から離れ、そのまま腰へと下がっていく感触が伝わってくる。ダンス講習時には種類によって背や腰をホールドして貰うが、習った講師は女性だったので、実際に男性に腰や背を触られることはなかった。

昼間にはコルセットがきついと王子に背中の釦やコルセットの紐を解かせた自分が、心傷付いた王子が無意識に動かした手に叫び声を上げるなど有り得ないだろうと、必死に声を噛み殺す。しかし何かを探すような手の動きは止まらず、ディアナはさっきまで感じていたものとは違う震えが身体に走り、困惑に涙が滲んで来た。

 

   

彼女の声が聞こえる。とても近い場所から繰り返し掠れた声が聞こえ、ギルバードはゆっくりと目を開いた。眼下に見えてきたのは淡い色合いの金の波だ。揺れて波打ち、何故かいい匂いがする。腕の中に温かく柔らかい感触があり、離したくないと思った。

手を離して欲しいと聞こえて来て、誰の手を離せばいいのだろうかと腕を動かした。腕を動かすと石鹸の香りが鼻を擽り、小さく震えるその感触を無意識のまま引き寄せる。温かな感触を離したくないと抱え込みやすいように手を移動させていると、胸の内で短い悲鳴が聞こえた。視界に見えるのは金の波ではなく、解かれた髪だとぼんやり認識できた時、また声が聞こえてくる。

 

「あの、何でも試しますので御手を・・・。腰の手を・・・・あの・・・・」

 

誰の腰だと首を傾げると、頬を染めた顔が金の髪の下から見えた。そうだ、ディアナ嬢に先に風呂に入れと伝えたんだ。だから髪が濡れているのか。それでこんなにも良い香りがするのか。・・・・・そうか、それで・・・・。

   

 

 

 

 

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