紅王子と侍女姫  15

 

 

その後、到着した宿でも彼女は眠ったままで、翌日出立する時分にも目が覚めることはなかった。

予定以上に早く王城に到着することが出来、ギルバードの住まう東宮に馬車を回すと、抱きかかえたままディアナを客室へと運ぶ。 

「まだ目が覚めませんか」 

レオンが眉根を下げて彼女を覗き込む。運び込んだ客室のベッドに寝かせたディアナは深く眠ったまま、身動きもせずに瞼を閉じたままだ。『明日の朝まで』と自分は言ったが、何時目覚めるのか判らない。夜が明けて間もないが、朝は朝だ。いつになったら瞼が開くのだろうかと心配になったギルバードは落ち着かないまま、彼女の寝顔を見つめ続けた。

 

「ふむ・・・・。殿下、試しに物語を模倣してみては如何でしょうか。もしかしたら効果があるかも知れません。何事も、まずはやってみないと判りませんしね」

「物語を模倣? レオン、それはどんなことだ?」 

振り返ると胡散臭い笑みを浮かべているから、善からぬ考えと判る。直ぐに却下しようと思ったのだが、レオンは「このまま目覚めないとディアナ嬢がやつれてしまいます」と大仰に溜め息を吐くから、仕方なしに尋ねてみることにした。

 

「白雪姫、眠り姫然り、王道ですが王子様のキスにより姫君が目覚める、というものです。さあ、お試しを! 恥ずかしいでしょうから私は場を離れて差し上げます。殿下がお戻りになったことを報告して参りますので早目にお試し下さい。急ぎませんと国王陛下がディアナ嬢の寝姿を拝見しに足を運ばれましょう。それでは彼女が可哀想ですからね」

 

「では!」 と立ち去る侍従長の台詞にギルバートは反抗する術を失い、頭の中には国王である父親が不躾なまでに彼女の寝姿を見つめ、莫迦にした視線を自分に投げ掛けるのが想像出来た。自分だけならいい。しかし、寝姿の彼女を見せる訳にはいかない。

だが・・・・・・キス?

ちらりと横を向くと馬車で見続けた艶やかな唇が目に映り、鼓動が大きく跳ねる。

許可も無く淑女にそんな不埒な真似をしていい訳が無い。

だけどこのままではレオンの言う通り、寝姿のディアナを国王に見られる可能性がある。それは絶対に駄目だと、頭の中の自分が激しく否定した。

 

葛藤しながらギルバードは寝台の彼女へと近付く。

物語の姫君は、所詮空想の世界の主人公だ。だから目を開けた姫君は王子に直ぐ恋をする。そんな物語通りに物事が進むなら苦労はない。物語の中では姫君たちも多少苦労したのだろうが、今自分の目の前にいるのは十年間も侍女として苦労していたディアナだ。その彼女に苦労の原因である自分が許可もなくキスをするなど、出来る訳が無い。

そう思うのに顔を近付けると静かな寝息が聞こえ、吸い寄せられるように手が頬に伸びた。柔らかく滑らかな肌。波打つ艶やかな髪。閉じられた瞼が開けばそこには碧の瞳。

それが見たいとギルバードはいつの間にか顔を寄せていた。

繰り返される呼吸。柔らかな肌の感触。甘い香りが鼻をくすぐり・・・・・。 

 

殿下ーっ! 言い忘れましたが、手の甲ですよー! 

・・・っ!!

 

突然勢いよく大きく開かれた扉から、レオンの明るく跳ねるような声が部屋に響いた。反射的にディアナの身体から離れたギルバードは反転すると抜刀し、レオンに切っ先を向ける。鋭い音が重なり、構えていたレオンとギルバードの剣がギリギリと対峙した。 

「お、お、お前が恥ずかしいだろうからと出て行ったから、俺はてっきりっ!」 

重なった剣が互いを押し合いながら硬質な耳障りな音を奏でる。しかしレオンは嫣然とした笑みを浮かべたまま、憤怒に顔を赤らませるギルバードにゆるりと首を振った。

 

「未婚の女性に対し許可も無く殿下がいきなり唇を塞ごうとするとは思えませんが、念のためにと注意させて頂きに参った次第で御座います。ところで、てっきりとは?」 

ギルバードの身体が強張ったのを感じたレオンが満面の笑みを向けて来る。すっかり脱力し溜め息を吐いたギルバードに倣い剣を鞘へと戻したレオンはベッドに近寄り、未だ瞼を閉じたままのディアナの手を恭しく持ち上げた。 

「危ないところで御座いましたね、ディアナ嬢。意識もない状態で許可もなく、無垢な唇が塞がれるなど、淑女には獣に襲われる以上に恐ろしいことで御座いましょう」

「お、お前が挙げた例が白雪姫とか眠り姫だったからだ! ・・・・手の甲だな?」 

レオンが持ち上げていた手を奪い返し、視線をディアナへ移すと長い睫毛が震えているように見えた。息を整えギルバードは目を伏せる。持ち上げた手の甲に静かに唇を寄せ目が覚めるように呟くと彼女の唇が薄く開き、そして瞼が瞬いた。

 

「・・・・殿下」 

重たげに瞼を開いたディアナは、自分を見下ろす王子に気付き、急いで起き上がろうとした。しかし何故か自分の手を持ち上げている王子に驚き、更に微笑みながら安堵した表情で髪を撫でられ、ディアナは目を瞠って固まってしまう。

 

「ディアナ、宿で君の魔法を解こうとして・・・・・申し訳ないが、新たに魔法をかけてしまった。そのため一昼夜眠り続けていたが、何か違和感はあるだろうか」 

王子から聞かされた内容に更に驚き、今だ手を繋いだまま優しげに髪を撫で続ける動きに身体は固まったまま、その背後に見える室内の様子に唖然としてしまった。

目映いほどの白を基調とした広い部屋には大理石の大きな暖炉があり、今まで寝ていた大きなベッドのリネンは全て真っ白な絹生地で、天井から下りている天蓋も同じようだ。そして焦茶色のオーク材キャビネットやチェストが並び、座り心地の良さそうなソファセットが置かれ、天井まで伸びる大きな窓からは燦々と陽光が差し込んでいる。

眩しさに目を眇めると王子がディアナの髪から手を離し、頬に触れてきた。その動きにディアナが驚いて身を竦めると、弾かれたように両の手が離れていく。

 

「あの、ご心配をお掛けしたようですが違和感はありません。私は・・・・一昼夜眠っていたのですか。では、ここは既に王城なので御座いますか? 宿からここまで私を運んで下さったのは・・・・」 

顔を上げると真っ赤な顔の王子が酷く狼狽しているように見えた。レオンが柔和な笑みを浮かべながら王子の肩に手を置き、ディアナに説明を始める。

 

「殿下で御座いますよ。貴女が眠ってしまった宿から馬車まで、移動中も、ずーっと、他の誰にも触れさせずにディアナ嬢の身体をしっかりと抱き締めておりました。このベッドへ運んだのも殿下です。眠り続ける貴女を目覚めさせるために手の甲にキスの試しをしたのも、もちろん殿下で御座います」 

レオンの必要以上の説明に、首まで赤くした王子が怒ったようなに横を向くのが見えた瞬間ディアナは蒼白になり、ベッドの上で急ぎ正座をすると王子たちに頭を下げた。 

「申し訳御座いません! 私のような者に殿下の御手を煩わせてしまい、お許し下さい!」 

ディアナの謝罪の言葉にギルバードもレオンも驚き、全身を震わせながら低頭し謝罪する彼女の肩を掴んで身体を起こした。

 

「止めてくれ、ディアナ! 許可なく抱き上げたり、口付けたことを俺が謝るべきなのに、どうして君が頭を下げるんだ! そんな必要はないだろう!」

「申し訳御座いません! でも、殿下にそうさせてしまったのは私で」

「そうじゃない! 君に謝って貰いたい訳じゃないから、黙ってくれっ!」 

顔を上げさせ肩を揺すりながら強く言い放つとディアナの目が大きく見開き、そして少し視線が揺れたが、ゆっくりと頷いてくれた。

魔法に翻弄されて昏倒した彼女の知らぬ間に、手の甲とはいえ勝手に口付けたのは自分だ。それを申し訳ないと謝罪され、ギルバードは行き場のない気持ちを押さえ込み、顰めた顔を背けるしかない。レオンが大仰に嘆息を漏らす音が耳に煩わしい。

 

「ディアナ嬢、貴女は一日以上眠ったままでしたから、まずは身体を解すためにも入浴をされ、しっかりと食事を召し上がって下さい。その後、国王陛下との謁見が御座います。魔法に関しては殿下と共に魔法導師長とお会いし、お話しをすることとなっております」 

レオンがこれからの予定を大まかに告げると、ディアナは目を瞬かせながらも頷いた。入浴や着替えに侍女を呼ぶかと問うと、思っていた通り彼女は首を横に振る。

ベッドから降りたディアナが御辞儀をした後、ふら付くことなくバスルームに向かったのに安堵して、ギルバードたちは一旦部屋から出ることにした。

 

 

 

ギルバードが小一時間程して部屋を訪れると、深緑色のドレスに着替えたディアナが窓から王宮庭園を眺めていた。緩やかに髪がまとめ上げられており、今までのドレスと違い少しデコルテが見える襟元には白いレースが飾り立てられ、白い項と境が判らないほどだ。陽光を受けたプラチナブロンドは輝きを見せ、彼女を一層儚げに見せる。

自分に気付くと直ぐに振り返り、彼女は柔らかな笑みを浮かべ恭しく御辞儀をしてきた。それは一般的な貴族息女そのもので、違和感など全く感じない。一瞬、本当に魔法がかけられているのだろうかとさえ思えてしまうほどだ。

ただドレスを持ち上げている手が微かに震えているのが見え、それがただの緊張ではないと気付いたギルバードは僅かに眉を寄せた。静かに目を伏せたまま立ち竦む彼女をソファに誘い、侍女に食事を運ばせ共に食べ始める。食事をしながら王への謁見では、ただ自分と共に挨拶をするだけだと伝えるとディアナは緊張に僅かに顔を引き攣らせ、それでも微笑を浮かべて頷く。数日間のうちに急激に変わった環境に彼女は決して否とは言わないが、このまま辛そうな表情をさせておくつもりはない。

 

「この間の試しでは何か思い出せただろうか。俺が・・・・君に何を言ったとか」 

そう問い掛けると、ディアナは目を伏せたまま小さく首を横に振った。 

「そうか。 ・・・まあ、その話は置いておこう。少し、君自身のことを話して貰えるだろうか。城ですごく笑えた話とか、菓子作りを始めたきっかけとか、仕事で楽しかったことや大変だと思うことを。それ以外でも何でもいいから話して欲しい」

 

ギルバードは自分の感情で彼女を振り回さないように、まずは彼女と普通の会話から始めようと話を持ち掛けた。真面目に侍女として日々過ごしていた彼女に、王子である自分の前に居るだけでも緊張している彼女に、魔法だの魔道具だの非日常会話を押し付け、更に魔法を重ねてかけてしまったばかりだ。

女性と話をする機会など、王宮主催の舞踏会や同盟国での懇談会で挨拶を交わす程度しかない。普段は政務や騎士団での陣頭指揮に携わっていたから、正直女性を楽しませる術など何も知らない。

この場にレオンが居たらと思い浮かんだが、その考えは直ぐに打ち消した。奴に何を喋られるか、想像するだけで腹が立ちそうだ。余計なことを口してしまう自分より、まずは彼女に話をして貰うことにした。

ディアナが過ごしてきた日常での楽しかったことや驚いた話には自分も興味がある。話しをしている内に、もしかすると何か思い出すきっかけが見出せるかも知れないとも考えた。

 

彼女に身を乗り出すと、ディアナの碧の瞳が何か言いたげに揺れながら自分を窺うように見上げて来る。ディアナの薄く開いた唇が言葉を紡ぐ前に吐息で閉じられ、胸を押えながら悲しげな表情を浮かべた。その表情に思わずディアナに触れたくなり、ギルバードは自分を律しようと唇を噛み締める。

彼女が自分の口を指差しパクパクと動かすが何を言いたいのか判らず首を傾げると、テーブルに指で何かを書く動作を始めた。その指の動きを辿ると『言葉が出ないのです』と読める。顔を上げるとディアナが困惑した顔で目を伏せるのが判り、ギルバードは視線を彷徨わせながら自分が部屋を出る前に何があったかを振り返り、思い出して驚愕した。 

『黙ってくれ!』  

確かに自分はそう言って彼女を真正面から捕らえた。

彼女の瞳を見て強く言い放った。

そんなまさかと思いたいが、目の前の彼女は実際に声が出ていない。震える手で彼女の肩を掴み、瞳を見つめながら「言葉が出る! もう喋れる!」と心の中で強く念じてみる。 

「声は・・・・出るだろうか?」 

尋ねてみるが、やはり彼女から声は出ない。今度は彼女の手に額を寄せて強く念じてみる。今度は声に出しても念じてみた。顔を上げると咽喉を押さえながら必死に声を出そうとしているディアナがいて、ギルバードは彼女の手を自分の胸に押し当てて同じように念じてみる。それでも声が出ないことにディアナが申し訳なさそうに柳眉を寄せるのを見て、ギルバードは彼女の手を持ち上げた。

 

「ディアナ、君を目覚めさせた時の方法を試みたいと思うのだが、いいだろうか」 

その言葉にディアナの視線が掴んだ手に落とされ、少し宙を彷徨ったあと頷いてくれた。

彼女の手の甲を唇に寄せる。声が出るように願いながら。そっと唇を離し彼女を窺うと口を開け必死に声を押し出そうとするのが判る。まだ駄目かと、もう一度繰り返す。早く魔法が解けるように、早く声が出るようにと願いながら。それでも結果は変わらず、もう一度繰り返すべきか何か他に方法はないのだろうかと困惑しながら彼女を見ると、ディアナは大丈夫だと言うように柔らかく微笑んだ。

その笑みを目にした瞬間、ギルバードは彼女の腰と項に手を回して強く引き寄せ、額に口付けていた。

 

「・・・あっ!」 

そのままディアナを抱き締めようとしたのか、腕に力が入ったところで彼女の手に胸を押し出され、ギルバードは我に返って目を瞬いた。慌てて彼女から手を放し、自覚出来る程に赤く染まった顔を反らして謝罪しながら、自分は彼女に対してこんな事を何度繰り返したのだろうと落ち込んでしまう。これも全て魔法のせいなのだろうか。無意識に動く自分の腕が、手が、行動全てが信じられない。信じたくない。

 

「殿下、私声が出ています。・・・・・あの、国王様への・・・謁見があると先程」

「っ! あっ! そ、そうだ、謁見・・・・! え、ディアナ声が出ている?」 

ディアナを見るとぱっと頬を染めて俯かれた。彼女を翻弄し続ける自分が情けないと思いながら、ディアナを見ると目が離せなくなる。柔らかな髪が落ちて頬を隠した瞬間、顔が見たいと無意識に身体が傾き蹈鞴を踏み、また意識が飛びそうな自分に気付いた。

 

「こ、声が出たか! そ、それは・・・ああ、国王への謁見はレオンが迎えに来るだろうから、それまではここで待機だ。そ、それより髪を整えよう。ぐしゃぐしゃだぞ? ・・・って、それも俺のせいか!」 

どれだけ彼女を翻弄させれば済むのだと自分自身を殴りたくなる。

頬を染めたディアナがバスルームに乱れた髪を整えに向かい、ギルバードはその間に深呼吸しようと窓を開けた。少しでも早く落ち着きたいと身を乗り出して息を吸い込んだ時。

 

「殿下、ディアナ嬢の御用意はお済でしょうか」 

開けた窓にひょいっとレオンが現れ、ギルバードは声無き悲鳴を上げて転倒した。音に驚いたディアナがバスルームから飛び出すと、レオンが柔和な笑顔を浮かべてテラス側を開けて欲しいと懇願してくる。そして部屋に入るとレオンは呆けたままのギルバードを無視し、ディアナに恭しく低頭した。 

「どうやら御用意は出来ていらっしゃるようですね。では早速ですが、国王陛下の許へ御案内させて頂きます。さあ、ギルバード殿下も早くお立ち下さいませ」

「・・・・・奇抜な出迎えご苦労だな、レオン」

「そこまで動揺するとは、もしや今、殿下は寝台での続きをディアナ嬢にされようとしていたのでしょうか。無粋な真似をしてしまった私は、どのような詫びを・・・」

「レオーン! 直ぐに行くからお前は先触れに行け。ディアナは俺が連れて行く!」

「承知致しました。ではディアナ嬢、後ほど王の御前にて」 

含みのある笑みを浮かべながら双眸を細めるレオンを部屋から追い出して、深い溜息を吐いていると背後からディアナが声を掛けてきた。

 

「殿下、あの・・・・。本当に私などが国王様の御前に顔を出しても宜しいのでしょうか。魔法が解けた訳でも思い出した訳でもありませんのに、私のような者が国王様の貴重なお時間を頂くなど、申し訳ない気持ちでいっぱいで御座います」 

侍女として過ごしていた彼女が自分にも視線を出来るだけ合わさずに過ごしていたのは承知している。それが王城に連れ来られ、落ち着く間もなく今度は国王との謁見と言われれば、落ち着かなくなるのは当然だろう。蒼褪めた顔で手を強く握り締めているのが判り、ギルバードはその手を包み込んで頷いた。

 

「気にすることはない。王も普通の人間だ。だが『私のような者』などと口にするのは止めてくれ。君がそう言ってしまうのは俺がかけた魔法のせいだと判ってはいるが・・・・。 お願いだ、君は何も悪く無い。だから謝らないで欲しい」

「・・・・はい」 

そのまま俯いたディアナの手を握り、謁見の間へと足を運ぶ。彼女が繰り返す言葉に自分が傷付いているなど知られたくない。ギルバードはいつしか早足になっていることにも気付かず、彼女の手を握ったまま謁見の間の扉前に立つ近衛兵に扉を開けさせた。

 

 

 

 

 

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