紅王子と侍女姫  20

  

 

しばらく馬を駆らせていたが、やがて王子の馬の速度が落ちる。並走するように追い付くと、駆け足程度の速度で王子がディアナに笑い掛けて来た。

 

「ずい分慣れているな。オウエンの馬は走らせやすいだろう」

「はい。殿下の馬はとても素晴らしい体躯で御座いますね。青毛の馬は初めて目にします。とても逞しくて走る姿も凛々しく、瞳も綺麗な・・・・・」

「ディアナ!?」

 

目の前に突然、黒と白のノイズが走ったような感覚に襲われる。頭の奥深くを掻き回されているようで、強い不快感に目を開けていられない。身体が傾くと判っているが手も足も強張り、自分ではどうしようもなかった。薄く開いた視界に王子が手を伸ばすのが見え、それが過去の光景に重なる。

 

『お前なんか・・・・じゃない! 王子に向かって・・・・』 

伸ばされた王子の手は真っ直ぐに自分に向かって来た。

伸びたその手は頭のリボンを掴み______。

 

「ディアナ嬢、大丈夫ですか? 殿下、もう御心配いりません」

 

背後から包み込むように抱きかかえられ意識が戻る。跳ねる鼓動を押さえながら呼吸を落ち着かせると、背後の人物はディアナの手から手綱を放して移動を開始した。ディアナが振り向くと背後にいるのは魔法導師の女性だとわかる。そのまま厩舎近くまで来ると先に下馬した王子に手を引かれ、降りた途端に強く抱き締められた。

 

「で、殿下・・・・っ!」

 

垣間見えた過去に困惑したまま、王子に抱き締められていることにディアナは混乱してしまう。怒らせた原因の言葉は思い出せなかったが、王子のだと判る声が聞こえたことは覚えている。脳裏に浮かんだ少年の顔と、彼の憤りや怒りや悲しみが痛いほどに伝わり、王子の腕の中に自分がいることが怖くなる。

 

「殿下、そんなにきつく抱き締めますとディアナ嬢が苦しいでしょう。そろそろ騎士団員も戻る時間。ディアナ嬢の着替えもありますので、手を放して下さいませんか?」

 

柔らかな女性の声に王子が反応し、腕の束縛が緩められた。心配げに窺うような王子の視線が肌に刺さるようで、ディアナは息が苦しくなる。

 

「眩暈でもしたか? 気分は悪くないか? 直ぐ部屋に戻って医師に」

「いいえ! ・・・・いいえ、大事は御座いません。急に過去のことが思い出され、驚いただけですので、もう大丈夫です。今はもう落ち着きました」

「過去のことが? ・・・・それは何を言ったのかを思い出したということか」

「い、いいえ。ほんの少しだけで、全てまでは。・・・申し訳御座いません」

 

あのまま目を閉じていたら過去が展開されて、鍵となる言葉を全て思い出せたのかも知れない。

今は何がきっかけだった? 目を閉じる前に私は何を見た?

早く思い出そうと頭の奥を探り出すと鈍い痛みに顔が歪んだようで、私の腕を掴んだまま、頭上で王子の声が響き出す。

 

「謝ることないと言ったはずだ! エディとオウエンは馬車を急いで回せ。カリーナはディアナをこのままで直ぐに着替えさせろ。それと落ち着くようなハーブを調合して持って来るようにローヴに伝えろ」

 

カリーナと呼ばれた女性が袖から大きな布地を取り出し、王子ごと身体を包む。直ぐにその布地は取り払われ、ディアナが目を開けるとあっという間にドレスに着替えていた。

それはディアナの持って来たドレスとは違い、見るからに高価な布地とフリルを贅沢に使った品で、ディアナは悲鳴を上げそうになる。魔法により瞬く間に着替えが済んだことより、自分が身に着けている豪華なドレスに眩暈がしそうで額を押さえると、気遣うように王子が抱き上げるから気が遠くなりそうだ。

 

「で、殿下、わたし、歩けます!」

「いいからディアナは大人しくしていろ。直ぐに部屋に戻るからな」

 

そのまま馬車に乗せられたディアナはみんなと一緒に東宮客室に戻るのだが、いくら言っても王子は自分を抱き上げたままで、ベッドに降ろされた頃には激しい羞恥に顔を上げることが出来なくなる。突然現れた過去の映像は薄れてしまい、そのきっかけを思い出そうにも双子騎士の意味ありげな視線で頭は茹り、困惑してしまう。

唯一わかることは、王子の貴重な休憩時間を自分が奪ったということだけだ。 

ベッドの上で困惑したまま固まるディアナの許へ、部屋に訪れたローヴが真っ直ぐに足を向けた。

ローヴの大きな手で頭をひと撫でされると強張っていた身体から力が抜けて楽になるが、心配げな顔を向ける王子と目が合うと何を言えばいいのか判らず、俯いてしまう。

 

「ディアナ嬢、まずはこちらをお飲み下さい。落ち着きますよ」

「ありがとう御座います」

 

カップに口を付けるとハーブの香りが広がり、確かに落ち着きを取り戻す。王子の休憩を邪魔した申し訳なさと、またも抱き上げられた羞恥に混乱する頬を押さえると、その手に王子の手が重なる。顔を上げると眉を潜めて心配げに見つめられ、そして思い出した。

 

「あ、あの殿下。先ほどはまた謝罪を口にしてしまい、もうし・・・あ、あの」

 

謝罪をするなと言われているディアナはそれ以上喋ることが出来なくなり俯いた。

直ぐに先ほど思い出した光景を伝えようと思うのだが、みんなが居る前で口にしていいのか判らず口籠ってしまう。そして、思い出そうとしても最後まで思い出すことが出来ずにいる自分が情けないと悲しくなった。時間ばかりが無駄に経過する。それら全てに対して謝りたいが、謝罪することが出来ずに手にしたカップが細かく揺れ出した。

 

「ディアナ、少し思い出したと言ったな。何を思い出しのか、教えて欲しい」

 

カップが王子の手に渡りテーブルに移動するのを呆然と目で追ってしまう。

エディが用意した椅子に王子が腰掛けたのが判るが、顔を上げることが出来ない。

しかし聞こえて来た声は驚くほどに掠れていて、そろりと顔を上げると柔らかな表情の王子が前にいた。ディアナは小さく頷き、薄れそうな記憶を浮上させようとすると目の前に王子の手が伸びて手を掴まれる。目を瞠るほどの熱に思わず王子の顔を凝視すると掴んだ手が一瞬強張り、ジワジワと赤くなる顔色にディアナの眉が寄ってしまう。

 

「私のことより殿下の体調は大丈夫なのですか? 以前も熱があるように思いましたが、まだ具合が悪いのでしょうか。手がとても熱くて、殿下の頬も」

「だ、大丈夫だ! それより思い出したこととは何だ!」

「申し訳・・・・いえ! お、思い出したことは『お前なんか・・・じゃない。王子に向かって』です。それだけなのです。どうして思い出したのか、そのきっかけは判りません。で、でも努力します。また少しずつでも思い出せるかも知れません」

 

王子に強く詰問され、ディアナは急いで一気に答えた。あの時どうして過去が浮かび上がったのかは判らないが、少しは前進したのだろうか。もう一度馬に乗ったら続きを思い出せるのだろうかとディアナが考え込み俯くと、顎が持ち上げられた。

きつく眉を寄せた王子の顔が真正面に迫り、驚きに後ろに下がろうとするがドレスの裾が覆い被さる王子の手に押さえ込まれ逃げようがない。顎を持ち上げたまま、王子の顔がどんどんと近付いてくる。目が離せないディアナは黒曜石のような黒い瞳を見つめながら、壊れそうに跳ねる鼓動を押さえて後ろに回した手で必死に身体を支え続けた。しかし絹地のベッドカバーの上で手は滑り続け、腕が悲鳴を上げる。

 

「それは・・・確かに俺が言った言葉だ。それだけか? 思い出したのは」

「はい、それだけです! 殿下」

「それを思い出して、ディアナはどう思った?」

「わ、私は・・・。も、もう倒れちゃ」

「思い出して倒れそうになったと?」

「殿下ー、顔が近過ぎですよー。皆の前でディアナ嬢にキスでもする気ですかぁ?」

 

オウエンの声に、覆い被さるように迫っていたギルバードの動きがピタリと止まる。

目が寄ってしまうほど近くに互いの顔があり、必死に堪えていたディアナの腕からとうとう力が抜けて後ろへと倒れた。直ぐに起き上がろうとするが、無理な体勢で身体を支えていたため腕がプルプル震えて支えられない。

 

「わ、悪い! 大丈夫か、ディア・・・っ!」

「きゃ・・・っ!」

 

必死に起き上がろうとするディアナを助けようと慌てたギルバードが手を伸ばした時、絹地のドレスに乗せていた手が大きく滑った。そしてそのまま、どうにか肘で身体を支えて上体を起こし掛けたディアナの身体の上に、思い切り倒れ込むことになる。

 

「わぁお! 殿下ったら衆人環視のもとで、既成事実を作るつもりっすかぁ?」

「俺ら、邪魔ですか? すぐに部屋から出た方がいいですかねぇ?」

 

揶揄するエディとオウエンの声に被さるようにローヴの引き攣ったような盛大な笑い声が部屋に響き、カリーナがそれらを嗜める。慌ててギルバードが起き上がろうとするが、ディアナの髪が釦に引っ掛かったようで彼女の悲痛な声に身体が動けなくなる。ディアナも急いで外そうとするが余りにも近い為どんな状態で引っ掛かっているのか判らず、手を出そうにもぴったりと覆い被さる王子の身体に自ら触れることが出来ずに固まってしまった。

 

「た、助けろっ!」

「えー、助けるんですかぁ? 俺らに、部屋から出て行けって言わないんですかぁ」

「直ぐに出て行きますよー。殿下が居るなら護衛も必要ないしねー」

「ば、莫迦! ディアナの髪が引っ掛かって痛そうだ! は、早く取ってやれ!」

 

ギルバードの大声に慌ててエディとオウエンが二人をベッドから助け起こし、カリーナがディアナの髪を釦から丁寧に外す。爆笑に噎せ込み身悶えるローヴがソファの背を握り締め、ギルバードに睨み付けられた双子騎士が部屋から飛び出し、嘆息を零しながらカリーナが静かに姿を消した。ローヴもようやく笑い終えたのか、胸を押さえて呼吸を整えようと茶を口にする。

 

「はぁ、はぁ・・・。全く、殿下は私の寿命を縮めるおつもりか」

「お前が勝手に笑っているだけだろう! ディアナ、悪かった。もう痛みはないか? あ、あの・・・・髪も、その、・・・・身体も」

「だ、大丈夫で御座います」

 

手を引かれてソファに腰掛けると、ディアナの乱れた髪を丁寧に撫でる王子の手が僅かに震えているのが伝わってきた。眉を寄せ申し訳なさそうな顔で何度も髪を撫でられディアナは苦しくなる。ぼんやり過去の台詞を思い出すだけでは駄目だと思い、ディアナは髪を撫でる王子の手に自分の手を伸ばした。

 

「このまま・・・・試しをなさっては下さいませんか。今なら思い出せそうな気がします。もしも殿下にお時間があるのでしたら、このまま試しを」

 

髪を撫で続けるギルバードの手を押さえ、ディアナが真っ直ぐに見つめ来た。息を飲むギルバードに悲壮な表情で訴えるディアナは何かに急いているようで、髪から下ろした自分の手をそのまま強く握り締めている。

 

「殿下、お時間は多少よろしいのでしょうか」

 

ローヴの声が聞こえ、ギルバードがゆっくりと頷くとディアナが悲壮な表情のまま、僅かに口角を上げて深く頭を下げてきた。その表情にギルバードは唇を噛み締める。

そんな表情をさせるつもりはないのだとディアナの手を握り、心の中で訴える。魔法を解けば本来の彼女らしい笑みがみられるのだろうかと考え、いつも以上に目が離せなくなる。声を出さずに申し訳ないとディアナの唇が言っているようで、切なさに胸に鈍い痛みが走った。

 

「先ほどまでお二人は乗馬を楽しまれていたそうですね。思い出す直前、ディアナ嬢は何を目にされておりましたか。思い出すきっかけでも良いですよ」

「私は殿下がお乗りになっていた青毛の馬を見ておりました。そして、お乗りになっている殿下の黒髪が揺れているのが見え・・・ました。日の光を浴びて綺麗に輝く・・・髪を見ておりました。その時、頭が痛くなり、一瞬だけ目の前が暗くなり、その後に殿下とお話している時に先ほどの言葉、が・・・・」

 

彼女の喋りが徐々にゆっくりな話し方となり、顔から表情が消えた。

ディアナの瞳は自分を真っ直ぐに見ているのに、その瞳の奥に映るのは今の自分ではない。碧の瞳が揺れるように彷徨い、いく度もゆっくりと瞬く。瞬く合間も彼女の瞳は自分から離れないが、彼女が見つめているのは間違いなく過去の自分だ。

彼女に初めて会った、十歳の少年だった自分。

幼い彼女を前に感情に任せて暴言を吐き、衝動的に魔法を放った自分。

その過去の自分を彼女が見ているのだとわかり思わず目を逸らしそうになった時、握り締めていたディアナの手から力が抜けた。

 

「日差し、の下、男の子の髪が輝いて見えて、とても綺麗・・・・。葉で作った船を一緒に浮かべて、隣にいる男の子を見た時にそう思ったの。それで言ったのよ。王子様の髪も目も黒いねって」

 

たどたどしく話すディアナの口調はいつもの彼女とはまるで違う。

幼さが滲む言葉遣いはあの時の、六歳児のディアナが話しているようだ。

視線をローヴに向けると小さく頷かれる。今の彼女の精神は当時に遡っているのだろう。

じっと、探るように見つめるディアナの瞳が一際大きく見開く。

目を逸らすことが出来ずにいるギルバードが、同じ時、同じ場所の光景を頭に浮かべると、彼女の瞳がゆっくりと閉じられていった。

 

「立ち上がった男の子を見上げて・・・・。王子様の目を見て」

 

目を閉じた途端、ディアナの頭の中に真っ暗な闇が訪れた。

深い闇の中、自分の手も足も見ることが出来ない。その闇を切り裂くような音が聞こえ、目を凝らすと闇の中に剣の切っ先が動くさまが見える。いくら切り裂いても闇は闇のまま、何に向かって剣を振り立てているのか判らないまま恐怖に襲われ、ディアナは急いで逃げ出した。踏み出す足元に紅い何かが跳ねる。慌てて踏みつけないようにするが、足を踏み下ろす直前に見えるため、どうしても踏んでしまう。そのたびに酷いことをしているようで足を止めたくなるが、背後から聞こえる闇を切り裂く音に背を押される。

何故、剣は私に向かって来るのだろう。

足元の紅いものは何なのだろう。

私は・・・・・何から逃げているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー