紅王子と侍女姫  23

 

 

王弟の姫君が蔑む言葉で王子を侮蔑していた。

エレノア姫が言うように、王子の母親は魔法導師だったのだろう。

それを知っている周りの者たちが、王子をどのように扱っていたのかは判らない。

だけどローヴから見せて貰った王子の過去の様子から、エレノア姫の言葉から、決して良い待遇では無かったのが伝わって来る。

垣間見た過去の王子が、廊下の曲がり角や会議室扉前で幾度も強張った顔になっていたのを思い出す。きっと心無い者たちの悪意ある囁きが聞こえて来たのだろう。王子の母親は魔法導師だと、王子も魔力を持つ者だと聞えよがしに囁かれ、刺さるような視線に耐え続けたのか。他の人とは異なる力を持つ王子として陰から軽侮され、それを知りながらも同時に周囲から王位継承者として注視される日常を送る。多くを望まれ、時に強いられ、しかし王子はそれらに応えるべく努力を怠らずに続けていた。

 

それなのに私は知らなかったという無知で王子の傷を抉ったのだ。

その上、母親に似ていると髪を自慢しリボンを見せつけた。

 

「綺麗じゃない! お前が御姫様みたいだと? 王宮に呼んで貰った身分の癖に何を言っている! お前なんか姫じゃない! そんなドレスを着る資格もない、ただの侍女だ。王子に向かって無礼にも程がある!」

 

少年の怒声と共に手が伸び、少女の頭に結ばれたリボンを掴み解いた。

激しい怒りと憤りに顔を歪ませた少年は手の平を少女に突き出し、彼の黒い瞳が瞬時に紅く染まる。見えない何かが少女に弾け飛び、その勢いで後ろに倒れ込んだ。

 

蒼白になったディアナが少年を見ると、彼は突き出した腕をそのままに驚愕に目を瞠り、薄く開いた唇を震わせていた。倒れ座り込んだ少女を揺れる瞳で見つめ、そして悲しいほどに顔を歪ませる。伸ばしたままの腕は震え、紅い瞳が揺れながら元に戻っていく。

 

私はなんてことをしたのだろう!                

王子を傷付けたのは間違いなく自分だ。

魔法を持つことで長く苦しんでいた王子に、私は何て愚かなことをしたのか。王子がその後、何度も私のリボンに謝罪を繰り返していたのは、自分が放った魔法を悔いているからだ。実際に怪我させることはなかったが、放った魔法力で少女を押し飛ばした事実が彼を苦しめる。

気にしないで欲しいと、昔のことだから忘れて下さいと伝えても彼は納得しないだろう。

幼い私の言葉は彼の心の瘡蓋を引っ掻き血を流し、そしてそれは今も痛みを伴い苦しめ続けている。早くその傷を塞ぎ、離れなければいけない。

リボンも私自身も、王子の前から消えなければいけない。

 

あの時の全ての言葉を思い出した。王子の目が紅く染まっていたのも思い出した。

きっと言われたくない、見られたくないことだっただろう。

迷子になった私の言葉を上手に拾い、綺麗な花と噴水を見せてくれた優しい彼に、私が返したのは彼が望まぬ冷たい言葉の刃だ。

 

手の内のリボンが熱を持ったまま私の胸を締め付ける。淡く輝き続けるリボンに指を添わせると、そこへ幾つもの何かが滴り落ちた。目を瞬くと、それはどんどん手の内に零れ落ち、リボンが歪んで見える。

 

「泣いて・・・・いるの?」

 

鼻の奥が熱くて痛い。こんな経験したことがない。

泣くなど、記憶の中の自分をいくら探しても覚えがない。侍女仕事で思わぬ怪我をしたり、思うようにいかずに辛いと感じることはあったが泣いた記憶はない。

今、泣いている自分が信じられない。そして自分なんかが泣いていいのかと苦しくなる。

 

「・・・泣いてる、場合じゃ・・・ない、のに」

 

そう思うのにぼろぼろと零れ出した涙は一向に止まる気配を見せず、ディアナは眉を寄せて声を堪える。地面に座り込み、膝上に置いた手の内にリボンを乗せたまま、声を押し殺して涙を流し続けた。

脳裏に浮かぶ言葉は酷く哀しいもので、全て思い出したと告げた時の王子の顔を想像するだけで更に涙は溢れて来る。あとからあとから流れ零れる涙が頬の傷に沁みるが、それよりも苦しいほどに跳ね回る胸の鼓動が痛い。

このまま王城から飛び出して海に身を投じたいと思い浮かぶ。だけどそれは王子と繋がっている魔法を解いてからだ。その魔法を解くためにも、急ぎ王子に報告に行かねばならないと判っているが、全身から力が抜け立ち上がることが出来ない。

零れ落ち続ける涙を拭うこともせず、ディアナが項垂れていると声が掛けられた。 

 

「・・・泣いているのか、ディアナ」

 

聞こえて来た声に息が止まる。

窺うような声色と共に近付いて来る足音が背後に迫り、ディアナは慌てて立ち上がろうとした。逃げようとした訳ではない。逃げるつもりなどない。魔法を解かなければならないと強く決意し、王子からリボンを返して貰ったばかりだ。だけど泣き濡れ醜く歪んだ顔など見られたくない。こんな愚かしい自分を見ないで欲しいと地面に手をつき、王子から離れるために立ち上がろうとした。

 

 

 

***

 

 

 

ギルバードは彼女の部屋から飛び出した後、ディアナが行きそうな場所を探し続けた。

最初に考えたのは、もしかしたら先日行った厩舎に行き、アラントル領に戻ろうとしているかも知れないだった。馬に乗れる彼女ならそう考えてもおかしくはないと。

しかし騎士団員に尋ねるも誰も訪れていないと言われ、気分を変えるために彼女が好きな菓子作りをしている可能性もあると厨房を覗いた。しかし姿は見当たらず、そう言えば東宮厨房の場所を彼女が知るはずもないだろうと頭を抱える。

そしてディアナの警護に就いていた双子騎士を探した方が早いと、やっと気づく。部屋前に戻り二人を探し回るが簡単には見つからず、行き詰ったギルバードは瑠璃宮のローヴの許へ向かう。双子騎士を魔道具の手鏡で探すと王宮側にいると判り、急ぎ王宮に向かうとそこで慌てた様子のオウエンに出会った。

 

ディアナが独りで歩きたいと望むので、王宮庭園に面した大階段で帰りを待っていたところに王弟息女であるエレノアが現れた。ディアナがどういう立場にいるのか、レオンや双子騎士、王と宰相の他は誰も知る由もない。しかし、王子自らが連れて来た彼女は何時の間にか王宮従事者たちの間で注目されていた。彼女が妃候補として東宮に賓客待遇で滞在していると噂されているなど、ギルバード自身も知らなかったことだ。

 

強張った表情のエレノアが現れたことで双子騎士に緊張が走り、急ぎ場に向かった。

過ぎった厭な想像通りにガゼボに居るディアナに近付くエレノアが見え、二人は眉を顰める。王弟息女であるエレノアが、噂の渦中にいるディアナに対し、どんな態度でどのような話をするかなど容易に想像出来る。しかし王弟息女であるエレノアの前に、許しもなく姿を見せることが出来ない二人だ。庇うようにディアナの前に出ることも、ディアナの立場を説明する訳にもいかず、二人はそれぞれエレノアを退けられる立場と権限を持つ人物を連れて来ようと急ぎ駆け出した。

 

エディは王宮にいる宰相へ急ぎ願い出て、オウエンはギルバードを探しに向かう。

オウエンが王子と共に王宮庭園に到着した時、エレノアは既に王弟が政務に従事する西宮へ移動しており、宰相が困った顔で廊下へと戻って来たところだった。

 

宰相からディアナが言ったという言葉を伝えられたが、ギルバードは信じられないと首を振る。あのディアナが、王弟の息女だと常に高慢な態度を取る、横柄で純血主義で驕った鼻持ちならない化粧臭い従妹のエレノアに、彼女が毛嫌いしている自分を王子として敬えと、きつく見据えながら言ったという。

 

「エディからエレノア様がディアナ嬢に近付いていると伝え聞き、急ぎ向かいましたところ、激昂した彼女へと果敢に物申すディアナ嬢がおりました。殿下を卑下する発言を否定され、エレノア様を叱責されていましたよ。謁見の間でお会いした時の彼女とは全く違う様子に驚き、エレノア様が扇で殴打するのを止めるのが遅れてしまいました」

「エレノアがディアナを傷付けたと?」

「ええ。御諫めするのが遅れてしまい、ディアナ嬢の頬に傷を負わせてしまいました。手当は必要ないと言われましたが、直ぐに手当てをした方がいいでしょう」

「彼女は・・・・・ディアナは何処に?」

 

宰相が指差したのは王宮庭園の東側だ。

ディアナがいる場所は初めて出会った噴水のある茂みだろう。綺麗な花があると幼い彼女を誘った場所。草笛や葉船で楽しんだ時の笑顔を思い出す。

そして同時に自分がしてしまった愚かな態度も。

王宮庭園に点在する多くの噴水や茂みを、彼女はどのくらい探したのだろうか。茂みの向こうに目的の噴水が見えるほど近付いた時、ギルバードの耳に微かにしゃっくりあげる声が聞こえて来た。

 

風が吹けば掻き消えるだろう微かな声が聞こえ、ギルバードが誘われるように足を進めると、茂みの影に腰を落として深く項垂れているディアナがいた。

その儚げな姿を前に声を掛けるのを躊躇していると、彼女の膝上に返したばかりの紐が見える。彼女の震える肩と口元を押さえながらしゃっくり上げる姿を前に、ギルバードは自分を戒めるように静かに足を進め、出来るだけ声を抑えて話し掛けた。

しかし、抑えたはずの声に大きく肩を震わせディアナが慌てて立ち上がろうとする様子に、自分から離れようとしているのが判り、胸が切り裂かれるような痛みに襲われる。

ギルバードはまず自分の気持ちを解かって貰おうと彼女の顔を覗き込み、そして頬の傷を目にして思わず叫んでいた。

肩を掴み振り向かせ、涙に濡れて血を滲ませる傷痕に指を近付けるとディアナはそれを手で覆い隠そうとする。その手を掴み、反対の手を伸ばすと俯かれ、顎を持ち上げると横を向かれた。

 

「ディアナ、動くな!」

「・・・っ!」

 

大きく身体が震えるが、そろりと戻って来た顔を覗き込み傷に触れる。ぼろぼろと流れ続ける涙が傷の上を滑り、血を滲ませ顎から滴り落ちる様にギルバードは深く頭を下げた。

 

「ディアナが・・・俺の名誉を守ってくれたと聞いた。・・・ありがとう」

 

エレノアが自分のことを以前から蔑んだ目で見ているのは知っている。

滅多に会うこともない従妹だが、自分の出自を穢らわしいと言って憚らないことも耳に入っており、彼女の親である叔父が嗜める気がないのも、いや寧ろ煽っているのも周知の事実だ。その彼女が何故か自分の与り知らぬところで妃の第一候補になっていることや、婚約者として堂々と舞踏会を何度も催していたことなど、各領地視察で王城を離れることが多かったギルバードは全く知らずにいた。

今回の帰城でディアナを連れ戻った事が彼女の立場を揺るがしたのではないかと、レオンは語る。

それは彼女側の勝手な言い分だし、エレノアを婚約者にした覚えはない。王に文句を言っても、それをどうにかするのも王子としての裁量だと言われて終わりだろう。

頼るつもりはないが、しかし王城内で流れる噂を放置された文句くらいは言いたい。

 

「俺の名誉を守るためとはいえ、ディアナが傷付いたままでいるのは駄目だ。直ぐに治療をして欲しい。傷が残らないよう最善を尽くす。エレノアにも処罰を与える」

 

泣き止まないディアナを落ち着かせようとゆっくりと話し掛ける。

エレノアに何を言われたか解からないが、いつも必要以上に遜り自分を下卑する言葉を口にするディアナが、王弟息女である彼女に毅然とした態度で王子への対応を改めろと叱責したという話に心が震える。

離れようとはするが嫌われている訳ではないと判り、安堵したギルバードは彼女の涙を拭おうと頬から眦へ手を移した。

すると彼女は涙を散らしながら首を振り、深く項垂れてしまう。

泣き止むことを忘れたように嗚咽を漏らして身体を震わせるディアナの背を擦ると、地面に額を擦り付けんばかりに更に深く項垂れ、また首を振る。

 

「ディアナ、エレノアに何か厭なことを言われたか? 代わりに俺が謝罪しても、その涙は止まらないか? そのままでは頬の傷が痛いだろう、早く治療を」

「いいえ! それよりも、早く魔法を解いて下さいませ。ローヴ様にお願いをして、急いで魔法を解いて頂きたいのです。殿下、どうかお願い致します」

「魔法を解くって・・・・何かを、思い出したのだろうか。ここで・・・」

「思い・・・出しました。ですから、早く・・・・」

 

背を丸めたままのディアナから震えた声が響く。肩を掴んで身体を起こそうとしても、彼女は頑として承知しない。先に魔法を解いてくれと懇願を繰り返すばかりだ。

 

「・・・・判った。このまま瑠璃宮に行き、ローヴの許で治療を済ませて、その後に魔法解除をしよう。ディアナ、それでいいか」

「・・・・はい、宜しくお願い致します」

 

ゆっくりと彼女の背から力が抜けていくのが判った。静かに顔を上げるが、未だ涙は止まらないようで、濡れた頬から滴り落ちる涙が濃紺のドレスに滲んでいく。肩を引き寄せ立ち上がらせると、彼女はその腕を押し出し一人で立とうとするのが伝わって来た。

 

「ディアナ、俺のことが・・・・厭になったか?  魔法をかけた俺に、君から奪い去ったリボンを持ち続ける情けない男に、触れられるのも厭・・・・なのだろうか」

 

ギルバードの問い掛けにディアナは直ぐに振り向き、眉を顰めながら口角を上げ小さく首を横に振ってくれた。それは本心なのだろかと訝しみながらハンカチを差し出すと幾度か目を瞬かせた後、御辞儀をして受け取ってくれたが、手に持っていたリボンを包み込み、傷に宛がうことも涙を拭うこともしない。

 

「ここからローヴのいる瑠璃宮までは距離がある。・・・・歩けるか?」

 

小さく頷くディアナだが、少しの距離を歩いただけで身体が傾いだ。足を引きずる様子にギルバードが手を貸そうとするが、彼女は大丈夫だと泣きながら笑みを浮かべる。庭園を抜けて王宮回廊に到着する頃には痛みが酷くなったのか、壁を伝いながら僅かに苦しげな表情を浮かべた。

その顔を目にしたギルバードはもう限界だと壁を伝うディアナの手を引き寄せ、そのまま抱き上げる。腕の中で抗おうとするから強く抱き寄せ、じっと顔を覗き込んだ。

 

「足が痛むのだろう? 早く魔法を解きたいと言うが、このままでは瑠璃宮に到着するまで時間が掛かる。それに、その泣いている顔を誰にも見られたくない」

「っ! も、申し訳御座いません。みっともない顔をお見せして・・・・」

「謝って欲しい訳じゃない。足が酷く痛むのだろう? 痛いなら痛いと、我慢せずに話して欲しいだけだ。その顔も俺以外が見るのは・・・・厭だと思ったからで、みっともないなど思っていない」

 

そう伝えるとディアナの顔が悲痛に歪む。紐が包まれたハンカチを握り締めながら顔を覆い、全身を震わせた。ずっと泣き続けるディアナを前に、ギルバードはどうしていいか判らなくなる。

例えエレノアにどんな辛辣なことを言われても、彼女がここまで泣くとは思えない。

そして、魔法をかけた時の言葉を、あの時の状況を思い出したと震える声で伝えて来たのを思い出す。ギルバードは腕の中で静かに涙を流し続ける彼女を見つめた。

どの場面を思い出して泣いているのだろうか。

リボンを毟り取られた時の恐怖を思い出しているのか、魔法で突き飛ばされた時か、それとも感情のままに放った言葉で怯えている場面か。・・・・・全てに対してか。

 

「思い出したと言っていたが、泣いているのは・・・・それでか?」

 

顔を覆っている手が強く握られたのを目にして、やはりそうかと理解したギルバードは過去の自分を殴りに行きたくなる。今更だろうとは思うが、それでも胸に湧き上がる自分に対する怒りで目の前が紅く染まりそうになった。

初めて来た王城で楽しそうに笑みを浮かべていた彼女からの、他愛無い無邪気な言葉で暴走した感情。耳慣れた言葉だと言うのに抑えることが出来なかった情けない自分。その後十年間、彼女は侍女として働き続けたのだ。それも自分の住まう城で手を荒らし傷付け、それを当たり前として過ごしていた。貴族息女として過ごすことを厭い、普通のドレスさえ自分が着ていいのかと物怖じしながら。

 

王宮から瑠璃宮へ渡る通路が近付いて来た。王以外は立ち入ることの出来ない造りになっているが、魔法導師と同レベルの魔法力を持つギルバードは足を踏み入れることが出来る。腕の中にいるディアナも魔法が繋がっている今、足を踏み入れることが出来るだろう。それを本人が望まぬとも。

   

 

 

 

 

 

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