紅王子と侍女姫  28

 

 

いつの間にか眠っていたようで、目を覚ましたディアナは深く息を吐いた。

胸に突然空洞が出来たようで、それが哀しいと感じる。魔法が解けたことでそう感じるのかも知れない。時間の経過と共に虚無感は消えるのだろうか。これからは侍女として過ごしていた自分を忘れ、貴族息女として過ごし、それを楽しいと思うようになれるのだろうか。

・・・・だけど、そうなることが王子の望みで、王子への贖罪となるなら。

 

「起きたか?」 

声のする方に頭を動かすと黒い瞳が自分を見つめているのが判る。ディアナはその瞳を見上げ、ルビーも素敵だけど夜空のような瞳も綺麗だと惚けたように見つめ続けた。

どちらも自分にはない輝きを持ち、それはとても力強い。

惚けたままぼんやりと見つめていると、その夜空が何度も瞬きをする。いいえ、夜空は瞬きしないわよねと苦笑すると、突然身体が震え始めた。何が起きたのかと驚いて背を正し、そこでようやく気が付く。自分は王子の身体に凭れ掛かっていたのだと。

地震のような振動は王子が震えたからだ。いつまでも寄り掛かっていたから憤慨されたのかと蒼白になり慌てて立ち上がろうするが、目の前が急に暗くなり膝から力が抜けた。

 

「っと、ディアナ! まだ無理に動かない方がいい。軽い貧血のようだ」

「いえっ・・・・殿下に凭れ掛かって眠っていたようで、大変申し訳御座いません。あの、もう大丈夫です。もう立てますから、ローヴ様の許へ」

「いや、ディアナが寝ている間にローヴから連絡があり、こちらの部屋に来るそうだ。来たら魔法が解けているのか確認してもらうが・・・・何か変わりはあるか?」

 

そう問われ、この気持ちは伝えていいのだろうかと逡巡する。哀しい、寂しいと感じる気持ちを伝えて、王子はどう思うだろう。魔法が解けたというなら、それだけでいい。これ以上お忙しい王子の邪魔にならないように、確認が出来たら自分は自領に戻るだけなのだから。

 

「いえ、私に問題はありません。殿下は何か御変わりになられましたか?」

「俺にも問題はない。手の痣は消えているし魔法も解けただろう。まあ、ローヴにはっきり言われるまで確証を得らえないが、何となくそんな気がしている」

 

王子に変わりはないようだ。今、自分が感じる気持ちも、きっと時間の経過と共に変わっていくだろう。魔法導師長に確認して頂き、魔法による繋がりが解けたと判断が下れば、すべては終わりになる。王子が自分に謝罪を繰り返すこともなくなるはずだ。

大国であるエルドイド国の王子を悩ませていた、魔法による繋がりが断ち切れているとはっきり判ればいい。いつまでも過去に捕らわれているべきではない。元凶である自分は、一刻も早く目の前から消えるべきだ。

 

「ローヴ様から良い報告をお聞かせ頂けるよう、心より祈っております」 

胸に手を当てディアナが目を閉じると、王子から軽い咳払いが聞こえて来た。

もしや自分が凭れ掛かり眠っていたせいで動くことが出来ず、寒くなったのだろうかと窺うと、頬を上気させた王子が自分を見つめている。

 

「殿下、お顔が赤いですが風邪でしょうか。寒気は致しませんか? ローヴ様を待たずに先ほどの部屋に戻り、温かいお茶でもお飲みになった方がよろしいのでは?」

「いや、大丈夫だ! 顔が赤いのは・・・え、赤いのか? さ、寒い訳じゃないから心配するな。・・・それよりディアナに訊きたいことがあるのだが、尋ねてもいいだろうか」

「何なりとお尋ね下さいませ」

 

寒くはないと言った王子の顔が益々赤く染まっていく。

心配になるほどの顔色に眉を顰めると、王子は腕を持ち上げて顔を御隠しになる。そこで不躾にまた王子の顔を注視していたことに気付き、自分は何故学習しないのかと慌てて顔を伏せた。

魔法を解くために何度も王子の顔を見つめることがあったが、普通の貴族息女は許可を受けてから恭しく拝見するだろう。これでは王子が望む貴族息女には程遠い。王子の顔を見ることに慣れてしまった自分を叱咤し、ディアナは唇を噛んだ。魔法が解けたのなら、それこそ貴族息女らしく振舞うべきだろう。

顔を伏せたまま何度も自分に言い聞かせていると、王子から掠れた声が掛かる。

 

「ディアナには、その、す、好きな男性は・・・・いるのだろうか?」

「いいえ、おりません」

「お、親に勧められている縁談はあるのか?」

「いいえ、ありません」

「き、訊きたいのはそれだけだ。ありがとう」

「・・・いいえ。 ? 」 

 

何の質問だろうと首を傾げるが、もしやディアナの今後を懸念して下さっていると思い至り、胸が熱くなる。王城から離れるまでは王子に心配を掛けないよう、貴族息女らしく振る舞おうとディアナは強く決心した。

ふと、王子の婚約者だと言っていた王弟息女であるエレノア姫が思い出される。

王子を蔑むような言葉を口にされていたが、もしかして王子が連れて来た自分の存在に憤慨されていたのかもと考えた。自分の婚約者が他の女性を連れて来たら、それは面白くないだろう。それも領地視察に向かったはずなのに予定より一週間も遅くなり、遅くなった原因の田舎領主の娘を連れて来て、それを東宮に泊まらせているとなれば悋気を起こされるのは当たり前だ。

それなのにエレノア姫の心中を察することもせず、私は彼女の言葉に抗っていた。

未来の王妃に対し、なんと恐れ多いことを口にしたのだろう。何度も自分は妃候補などではないと伝えたが、あの様子では伝わっているのか判らない。それも含めて、婚約者である王子にも謝罪をした方がいいだろうか。

顔を上げると仄かに頬を染めた王子も自分を見つめていた。

どうしてこんなに目が合うのだろうと胸の鼓動が跳ねる。そして一度目が合うと、自分から視線を外すのが何故か難しい。だからいつも王子が顔を隠されるまで見つめてしまう。その黒曜石の瞳を見つめながら、ディアナは口を開いた。

 

「殿下。私、王宮の庭園で殿下の――― 」

「どうやら上手く魔法が解かれたようですね、殿下」

 

その時ディアナの言葉を掻き消すようにローヴが現れ、遅くなりましたと恭しく告げると鷹揚に近付いて来た。早速、王子の手に浮かんでいた痣の消失を確認し、ディアナの脈を計ると穏やかな笑みを零す。

 

「ローヴ、どうだ。繋がっているという魔法は解けたか?」

「ええ、どうやら解けている御様子。ですが、短時間だけという可能性もあります。ディアナ嬢は疲労が見られますので、薬湯をお飲みになり身体を休ませて下さい。詳しい調べや話は後ほど改めて行います。殿下はすぐに執務室へ向かいますように。王が結果を知りたいと、首を長くしてお待ちで御座います」

 

王とともに、胡散臭い笑みを浮かべながら王宮に向かったレオンを思い出し、何を言われるか想像するとげんなりした。しかし報告は早急に行うべきだろう。 

「面倒だが仕方がない。ディアナは部屋に戻り、ゆっくりと休め」

「わかりました。・・・・殿下、あの・・・お疲れ様でした」

「ああ・・・・。あとで部屋に顔を出す」

 

立ち上がったディアナがドレスの裾を持ち丁寧に頭を下げる姿を見つめ、ギルバードは高揚する胸を押さえながら踵を返した。歩きながら、魔法を無事に解くことが出来たと安堵の息を吐く。 

ディアナがドレスの釦を外し始めた時は叫びそうになったが、結果、上手くいった。互いの痣を重ね合わせたことを思い出しながら手を見ると、ディアナの胸元が脳裏に浮かび、全身が熱くなる。また許可もなく不埒な真似を仕出かしてしまったが、とにかく魔法は無事に解けた。

ディアナはかなり疲労したようで、目を閉じると直ぐに眠り始めた。その顔を見つめながら肩を寄せると彼女の身体が凭れ掛かって来て心臓が跳ね上がり、不埒な動きをしそうになる自分の手を慌てて押さえ込む。魔法で繋がっているからディアナに触れたいのだろうかと思っていたが、痣が消えても気持ちは変わらなかった。

魔法が解けたので自分の城に戻りますと彼女が口にするのを考えるだけで、胸が痛くなる。離れたくない、離したくないと思う気持ちは更に増し、しかし、それをどう言葉にしたらいいのかが判らない。

彼女に伝えたい言葉をいろいろ考えていると、それは自分だけの問題ではないと気付かされる。自分の想いを上手く伝えられたとして、それに対して彼女がどう応えるかなど想像するまでもない。王子である自分の想いを受け止めるということは、いずれこの国の王妃になるということだ。今の彼女なら言葉を発することなく蒼褪めて倒れるだろう。

では、どうするか。もちろん無理強いなどしたくないし、するつもりない。

しかし、もう自分の中では彼女以外考えられないのだ。 

「ちくしょう、・・・・どうしたらいいんだ?」 

苦手意識を持っていた事だけに頭が沸騰しそうだとギルバードは立ち止まる。

思わず零れた独り言に、応える者などいない・・・・はずだった。

 

「どうしたらいいとは、もしやディアナ嬢に関することで御座いましょうか!」

「・・・レッ!」 

何時の間に王の執務室前に辿り着いていたのか、薄く開いた執務室扉から覗くレオンの瞳はチェシャ猫のように細まり、口角はいやらしく上がっている。人間、驚きが過ぎると声も出せず、思考も身体もその動きを止めると知った。

執務室の扉がゆっくりと開かれ、レオンが中に入れと恭しく促して来る。思わず首を横に振りたくなったが、自分は報告のために足を運んだのだ。覚悟を決めて執務室に足を踏み入れると、興味津々の視線が突き刺さる。ああ、何を言われるのか怖い。

 

「さあ、ギルバード! 報告を述べよ」

「・・・・はい」

 

正直、気が重いが報告すると告げたのは自分だ。自分の執務室同様、デスクの上には山と積まれた書類があり封蝋された手紙も多数見える。蝋の上には名だたる貴族の印璽が押されているのが見え、また舞踏会や誕生会の招待状だろうと思えた。

 

「で? 魔法は上手く解けたか。ディアナ嬢への負担無く、無事に解くことが出来たのか。もちろん治療も済ませてあるよな。エレノアの件はお前にも責任があるのだから」

「・・・魔法は無事に解くことが出来ました。ディアナ嬢への負担は・・・多少あったようですが部屋で休むように伝えています。エレノアの件は私から深く謝罪をしておりますが、私の知らぬ間に私の婚約者として振る舞っていることに関しては王にも責任があるのではないですか?」

「ほう、私にも責任があると?」

 

次々と書類に目を通しながら隣りに立つ宰相に指示を出していた王が、その言葉に片眉を持ち上げギルバードを見つめて来る。王の口端は大きく持ち上がり、目を細め楽しそうな笑みを浮かべていて、少しも驚いた様子がないことに腹が立つ。

 

「私が各領地を巡っている間にエレノアが王城で勝手に私の婚約者として我が物顔で振る舞い、舞踏会を開いていたそうではないですか。それを御止めにならないから、王が婚約者として認めていると周りが勝手に勘違いしているのですよ?」

「そんなの勝手に勘違いする奴らが悪いだろう。それより宰相のエドモンドより詳細を聞いたが、あのディアナ嬢が傷付けられた原因は彼女がエレノアに喰ってかかったからだそうだな。お前を侮辱するなと啖呵を切っていたそうじゃないか! それに関しては礼を伝えたのか? お前はどう思った?」

 

王が目を輝かせながら身を乗り出すのが見え、ギルバードは溜め息を零した。

ギルバードの嘆息に、楽しげにニヤリと笑みを零す王が更に突っ込んで来る。

 

「ディアナ嬢は確かに可愛い。可愛い上に気丈で、正しいと思ったことは相手が誰であれ自分の意見を述べることが出来る聡さもある。お前が惹かれるのも判るが、それを理由に断りもなく彼女を抱き締めて良い訳じゃない。王城に来るまでも何度も抱き上げていたそうだな。謁見の間に姿を見せた時は手を繋いでいたし、出て行く時には抱き上げていた。さっきは彼女に『何度も』と謝罪をしていたな。あれは『何度も抱き締めた』ということか? お前は謝罪しなければならぬことをディアナ嬢にしたという訳か」

「・・・・ッ!」

 

叩き込むように言われるとギルバードは何も返答出来ない。言われた内容をひとつひとつ頭に思い浮かべ、羞恥に顔を赤く染め上げて動けなくなったと言った方が早い。その上、ディアナに許可もなく口付けていることを知られたら、一体どんな視線と言葉を浴びせられるだろうと考えると呼吸さえも止まりそうになる。

喘ぐように息を吐きながら王から視線を外さないでいるのが精いっぱいで、視界の端でレオンと宰相が呆れたような顔を浮かべて嗤っているのが見えた。

 

「お前が女性に積極的になるのはいい。ディアナ嬢が嫌がっていないのもわかった。魔法が無事に解けたのも喜ばしいことだ。まあ、魔法に関しては自業自得で迷惑を掛けたことを重々謝罪しなくてはいけないが、優しい彼女はそれを甘受してくれるだろう」

「う・・・・あ・・・・」

「抱き癖のある王子と思われるのもいい。そういう王子もいるのだと世間知らずの彼女なら信じてくれるだろう。スキンシップ過多な王子だとアラントル領で噂になればいい」

「そ、それは・・・不本意、です」

「不本意と? では彼女にどう思われたい? 魔法を解いたから、もう終わりか?」

 

その言葉を耳にして、思うのはさっきまで悩んでいたことだ。自分の気持ちを伝えて、果たして彼女は受け取ってくれるだろうか。答えは否だ。戦きながら彼女は断るだろう。自分には無理だと、蒼白になって。または物言わずに卒倒するかだ。

そうならないように上手く伝えられる言葉を思い付けばいいのだが、ぽんっと思いつく訳もない。男女間の駆け引きなど知らないし、レオンのような手練手管も余りの奔放ぶりに呆れ遠ざけ目を背けていた自分だ。だが、今はそれが咽喉から手が出るほど欲しい。

彼女との間にあった魔法の繋がりが解かれた今、ディアナの帰城という時間制限まで浮上している。一刻も早くアラントル領に戻りたいと願う彼女に、帰るなと言うのも難しい。上手く繋ぎとめるための言葉を考えなくてはならないのだが、一向に思い浮かばない。だが諦める気にもなれないのだ。

 

「お、俺は・・・・ディアナに伝えたいことがある・・・です」

「それならば早く伝えるがいい。己の気持ちに素直になり、己の言葉で相手に真摯に伝えるがいいだろう。ただし、相手の気持ちをよく考えて言葉にしろ。押し付けることなく、気持ちを理解して貰えるよう紳士らしく振る舞えばいい」

「・・・・・」

 

言っていることは判るが、やはり難しいとしか思えない。考えれば考えるほど胸が重く感じ、どんな政務よりも難解で、どんな鍛錬よりも苦しいと感じる。

だが、自分自身が動かなければならないのは判る。

ふとレオンを見ると、奴は憎らしいほど妖艶な笑みを浮かべていた。

 

「まだ遣るべき政務は残っておりますが、本日は殿下もお疲れの御様子が見られますので、急ぎの分だけをお願いし、休みと致しましょう。遅い時間になりましたしね」

 

レオンの言葉に窓を見ると既に夜の帳が下りていた。昼前に彼女の部屋を訪れてから、あっという間の気もするが、確かにいろいろなことがあった。ディアナに十年間持ち続けていたリボンを返し、彼女があの庭園で俺の言った言葉を思い出して涙を流し、浮かんだ痣を重ねて魔法を解くことが出来た。

思い返すと急に疲労が両肩に圧し掛かり、ギルバードは虚ろな顔で息を吐く。

 

「ローヴから一時的に解かれた可能性もあるとのことで、明日もう一度確認すると言われています。急ぎの政務が終わりましたら、彼女の様子を見て参ります」

「ああ、長居はするなよ。彼女はリグニス家よりお預かりしている大切なお客人だ。許可もなく『何度も』抱き締めるなど、以ての外だぞ。抱き癖王子」

 

最後の言葉に唇を噛みしめると、レオンと宰相が肩を震わせているのが見え、親子だなと睨ね付ける。それも悪びれた顔もせず、揃って肩を震わせながら楽しげにキラキラと目を輝かせているから始末が悪い。

 

「・・・・失礼致します」

恭しく一礼して退室するとレオンが追い掛けて来た。意味ありげな笑みを浮かべたままなので敢えて無視していたが、苛立ちは表情に出ていたようだ。

レオンが楽しそうに小声で、「抱き癖王子」と呟くから速度を上げるが、奴は飄々とついて来る。それが余計に腹立だしい。

 

「余り遅い時間に淑女の部屋を訪れるのは、例え殿下といえど問題で御座いますので、伺うのでしたら早々に政務を終わらせるよう、頑張って下さいね」

「・・・わかっている」

「そう仰りながら殿下は遅くなっても彼女の部屋へ向かわれるのでしょうね。ディアナ嬢が入浴後でなければ良いのですが。・・・扉を開ける際は、重々お気を付け下さいませ」

 

その言葉にぎょっとして足を止める。以前、夜遅い時間になってからディアナの部屋を訪れた時のことを言っているのだろうが、何故レオンがその時の彼女が入浴後だったと知っているのかと目を瞠って振り返った。しかし足取り軽く追い抜かされ「早くしないと終わりませんよ」と言い捨てるので、嘆息を零して歩くしかない。

 

  

 

 

 

 

 

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