「ディアナ。俺は近い席にいるから、何かあったら呼んでくれて構わないからな」
「あの・・・・。魔法が解けた祝いを兼ねているとはいえ、使節団の皆様の接待をされる殿下や国王様の近くに田舎領主の娘が座るというのは・・・・やはり駄目だと思うのです。い、今からでも末席に移動は出来ないものなのでしょうか?」
「国王の指示だから無理だが、大丈夫だ。緊張することはないからな」
「・・・はい、殿下」
「本当に遠慮なく呼んでいいからな?」
舞踏会当日の昼少し前、カリーナと共に現れた王子にそう言われディアナは小さく頷いた。何かあったとしても一領主の娘が王子を呼びつけるなど無理だと思ったが、その気持ちが嬉しくて笑みを浮かべる。
レオンにせめて席はどうにかならないかとお願いしたが無理と言われたことを、当日王子にお願いしても無理な話で、その上席順は国王の采配と言われれば諦めるしかない。
もう、これ以上迷惑を掛けるつもりはない。舞踏会が終わったら自領に戻るつもりのディアナは、真っ赤になる王子の顔を見るのもこれが最後だと思うと、貴族息女らしくないと言われても目が離せない。王子の手が宙で彷徨うように動いているのも魔法の後遺症だ。もう二度とあの手が勝手に動くこともなくなる。あの大きく温かい手は、これから妃となる人を包むべきものなのだ。
ディアナはその手をじっと見つめながら気遣うような王子の声を聞いた。
「ほ、本当に遠慮なく呼べよ? それとレオンとは一曲だけでいいからな。必要以上に触ってくるようなら足を踏んでも構わない。思い切り踏んでいいからな」
「御心配頂きありがとう御座います。殿下から贈られたネックレスも嬉しいです。皆様からもいろいろ贈られ、ローヴ様からは先ほど靴をプレゼントされました」
「ではその靴で思い切り踏むんだぞ。・・・・それにしても奴ら、ドレスに合わせた品を贈ったと自慢していた。ディアナ、何で奴らだけ知っているのだ?」
宙で彷徨っていた王子の手がディアナに向けられるのを、カリーナが止める。
「殿下、いい加減になさって下さい。ディアナ嬢はこれから着付け準備をされますのに、いつまで部屋にいるおつもりですか? 殿下は着飾ったディアナ嬢を晩餐の席で楽しみにお待ち下さればいいのです。殿下も用意が御座いましょう!」
「しっ、失礼した!」
カリーナの呆れた声に、更に真っ赤になった王子が慌てて退室して行くと、早速舞踏会に参加する用意が始まる。入浴を済ませたディアナに、今度は魔法を使うことなく大きな鏡の前で丁寧な着付けがされ、袖を通したドレスに緊張が高まって来た。髪を巻かれて緩やかにまとめ上げられる。その髪にレオンからの贈り物である髪飾りを挿す。ガーネットの紅い輝きに合わせ、エディとオウエンからスピネルのイヤリングも贈られている。光の粉を撒いたような化粧を施され、最後に淡い紅をひく。鏡の中で変わっていく自分の姿にディアナは目が潤みそうだ。最後に王子から贈られたダイヤと真珠のネックレスが首にされる頃には小さな震えが治まらなくなっていた。
「殿下以外、他の皆様は揃って赤い宝飾を贈られているのですね。白い肌とプラチナブロンドに映えてとても素敵ですわ」
「も、勿体無いことです。緊張して私、ダンスなど踊れない・・・・」
「ローヴからの贈り物の靴には赤い水晶ですか。まあ、皆さま凝ってらっしゃる」
「こ、これは水晶なんですか!? 私、お、踊れません!」
朗らかに笑うカリーナを前に、ディアナは数々の高価な宝飾を万が一にでも落としたらどうしようと固まってしまう。するとカリーナがディアナの手を持ち上げると震える指に銀色に輝く指輪を嵌めながら微笑んでくれた。目を瞬いていると、指輪は宝飾が落ちないよう呪いをかけている魔道具だと言われ、ディアナは安堵して手を握り締める。
全ての着付けが終わる頃には赤みを帯びた日が差し込む夕刻になっていた。
昼から始まった着付けにこんなに時間が掛かるものなのかと驚いていると、貴族の位が高くなるほど女性の着付けには時間が掛かると言われ、驚くしかない。
扉を叩く音がして、返事をすると満面の笑みを浮かべたレオンが鷹揚と顔を出し、ディアナの姿を前に大きく目を見開き褒め称える。
「まるで月光から生まれた女神かと見紛うばかりの美しさですね。今宵、貴女をエスコート出来る幸せに息が止まりそうです。では舞踏会会場へと向かいましょうか、ディアナ姫」
手を取られて部屋から出る際にディアナが思わず振り返ると、カリーナさんが大丈夫だと言うような柔らかな笑みを浮かべていた。
そう大丈夫、きっと数時間のことだ。
国王からの魔法解除の祝いを受け取り、そして明日にでも早急に自領に戻ろう。
遠くから王子の幸せを祈り、齢を取ってから王子と踊ったことを懐かしいと思い出せたらいい。今はただ貴族息女らしく振舞うべきだと、ディアナは馬車に乗り込んだ。
「殿下は王女の出迎えに先にダンスホールとなる大広間にいらっしゃるはず。ディアナ嬢の美しい御姿を見たら・・・・。ああ、想像するだけで笑いが零れそうなほど楽しみですね。その髪飾りもディアナ嬢に良くお似合いです」
「レオン様、本当に素晴らしいお品をありがとう御座います。今日はどうぞよろしくお願い致します。で、出来るだけ早く踊って下がらせて下さいませ」
思わず本音が零れるが、レオンはディアナの手を握り笑みを零すだけ。
返答がないことが不安になり、縋るように御願いを繰り返すと小首を傾げられる。
「で、出来るだけ殿下の御目に触れないようにしたいのです。ですから」
「おや、それはどうしてですか? 無事に魔法が解けたことを祝う場も兼ねているのでしたら、その姿を充分に目に焼き付けて差し上げねば、殿下も残念がることでしょう」
「いいえ、祝いなど必要御座いませんのに・・・・」
祝いどころか魔法の後遺症で勝手に動く手足に戸惑っている王子を思い浮かべると、ローヴに相談した方がいいのかと悩んでしまう。自分が近くに居ると王子の足が勝手に動き、意思に反して手が伸びて私を抱き締めてしまうのだと。
いや、魔法の後遺症で手足が勝手に動いてしまうといっても、自分が近くに居なければいいだけの話だ。ローヴに相談するまでもなく自分が自領に戻ればいいだけ。
いつか来る妃にそんなことを知られたら、王子の未来に傷が付く。
それだけは阻止したいとディアナは膝上の手を強く握った。肘まである手袋がきゅっと音を立てるのを耳に、ふと一度でいいから王子の黒髪を撫でてみたいと思い浮かび、その考えに心臓が大きく跳ねた。
「ディアナ嬢、どうされましたか? 心配はいりませんよ。側にずっと居ますから」
「・・・・・あ、ありがとう御座います、レオン様」
何故急にそんなことを考えたのか、自分の不遜な考えに羞恥を覚え俯くと肩を叩かれた。窓から見えるのは王城の大門だ。そこから幾台もの馬車が並び、大勢の貴族が集まっているのが解かる。華やかなドレスに身を包んだ貴婦人たちが馬車から降りると、水路に掛かる橋を渡りホールへと流れて行く。
淡い光を放つ園燈が広い王宮庭園を彩り、夜の帳が完全に降りるのを待ち侘びているように見える美しい空間。入り口では着飾った貴族を、お仕着せの従者が恭しく出迎え、燕尾服の御者が馬車を移動していく。
物語を読んでも想像出来なかった世界を、ディアナは馬車から呆けたように見つめていた。
「私たちも行きましょうか」
「は・・・・はい」
流れに乗って馬車は大ホール前へ到着し、先に降りたレオンが恭しくディアナへと手を差し出す。震えそうな足を叱咤しながら橋を進み、レオンと共に入り口で招待状を出迎えた従者に渡した。
「セント・フォート公爵嫡男、レオン・フローエ様、リグニス侯爵三女ディアナ・リグニス様。ようこそ御出で下さいました。本日はごゆるりとお過ごし下さいませ」
笑みを浮かべるレオンに腕を引かれ、大勢の貴族が集まる晩餐の広間へ向かう。血の気が引いて俯いたまま歩くディアナを優雅に誘導し、レオンが楽しげに話し掛けて来るが、相槌を打つのが精いっぱいだ。
「ディアナ嬢、幾人かに挨拶がありますので、少しだけ離れますね。ああ、御心配なさらずに。エディとオウエンがおりますから」
「う、わぁ、すごくすごっく綺麗だね! イヤリングも白い肌に映えて超似合う!」
「ディアナ嬢の姿を見たら、殿下なんか口開けっ放しになること間違いなしだ」
直ぐにエディとオウエンの声が聞こえて振り向くと、二人は笑みを浮かべて背後に立っていた。二人は揃いの濃碧の騎士服を身に纏っている。房の付いた肩の紋章は国章を模した金と銀。腰には飾りのついた剣を下げている。その立ち振る舞いは王太子殿下付き騎士らしく、それでいて陽気な笑顔にディアナもつられたように笑みが零れた。
「エディ様、オウエン様。イヤリングを贈って下さった礼が遅くなり申し訳御座いません。そして私などより御二人の方がとても素敵ですわ」
「御礼よりも一度踊ってくれたら嬉しいな。イヤリングのお礼に」
エディが楽しげに言う言葉に思わず項垂れそうになるが、ドレスの裾を持ち腰を落として微笑み返すことにした。少し残念そうにエディに笑い返され、「次回は踊ろうね」と言ってくれるのに安心して頷くと、オウエンも「じゃあ、俺も」と場を和ませてくれる。
「それにしても人がとても多いですね。王城での舞踏会はいつもこんなに賑わうのですか? それに私の気のせいかも知れませんが、み・・・見られている感じがして」
ディアナが周囲に目を向けると、自分を見つめる視線の多さに戸惑った。急ぎ視線を逸らしてエディとオウエンを見ると、肩を竦めて顔を寄せて来る。
「レオンと一緒に登城しただろう? 宰相の息子であり公爵家の嫡男、王太子殿下付き侍従長って長い肩書を持っているレオンと一緒に姿を見せた美しい女性は誰だと注目されているだけだよ」
「レオンの嫁候補かと貴族息女たちが射るような視線を向けているけど、気にすることはないよ。実際にことに及ぶなんてことないだろうし、俺たちが側に居るから安心してね」
「・・・・・・・・」
出来ることならこの場から消えてしまいたいと真剣に願うディアナへ、不意に声が掛けられた。振り向くと王弟息女であるエレノアが白藍の豪奢なドレスを身に纏い、扇で口元を隠しながら胡乱な視線を向けている。急ぎドレスの裾を持ち低頭すると、冷ややかな声音がディアナの背を強張らせた。
「貴女、まだいらしたの。王主催の舞踏会だというのに、よく顔が出せたものね」
「畏れながら申し上げます、エレノア・フォン・アハル様。ディアナ・リグニス嬢は国王陛下より直々に招待を受けられました賓客で御座います」
「どうぞ御言葉使いを改められますよう、お願い申し上げます」
俯くディアナの横でエディとオウエンが硬質の声色で伝えると、エレノアの持つ扇がぱちんと高い音を響かせた。身を竦ませるディアナの前からゆっくりと彼女が離れるのが判り、眩暈のような感覚にふら付きそうになる。直ぐに両側から腕を支えられ、顔を上げるとエディが眉尻を下げて「大丈夫だよ」と笑みを見せてくれた。
「ちょいと牽制に来ただけだろう。この間の一件があるから、俺たちも物言うことが出来るよう許可を頂いている。あっちも気にすることないからね」
「・・・・気が遠くなりそうでした」
周囲のざわつきに顔も上げられなくなったディアナは、この場から少しでも離れられないかと尋ねた。オウエンが手を取り腕に絡ませ、庭園で休憩しようと誘ってくれる。その間、エディはレオンに報告に行くと言う。
「ディアナ嬢はさ、王直々の招待を受けた賓客だから、堂々としていたらいいよ」
「・・・あの、晩餐はどのくらいの時間を掛けるのでしょうか」
「その時によるだろうけど、他国の使節団を招いているから時間を掛けることはしないと思うよ。長いと疲れちゃうだろうからさ」
「そ、そうですか。・・・・良かったです」
「まあ、二、三時間くらいじゃないかな。歓談をしながら食事して、その後に舞踏会の会場作り。それから夜中過ぎまで、時には朝まで踊り続けるよ」
オウエンの説明に今度ははっきりと眩暈を感じ、近くの園燈の支柱に抱き着いた。賑やかな声が聞こえ、顔を向けるとまだホール前には長蛇の貴族による列が出来ている。
「休息のための部屋もあるけど、ディアナ嬢は席から離れない方がいいかもね。どこかに行く時は必ずエディか俺に声を掛けてくれると助かるな」
「は、はい。そのように」
集まった貴族の鋭い視線を思い出し、レオンの横に座る自分がどのような目で見られるか厭でも想像する。胃の腑が鈍い痛みを訴え、出来ることならこのまま昏倒したいと願ってしまうが、それでは招待してくれた王に申し訳が立たない。
蒼褪めるディアナはオウエンに誘われ、庭園のガゼボに腰掛ける。晩餐が始まるまではここで気楽に過ごそうと持ち掛けられ、その気遣いが嬉しいと肩から力を抜いた。
「庭園の明かりにネックレスが輝いているよ。殿下が女性に何かを贈るなんて、初めて見た。ディアナ嬢が気になっているんだね。ディアナ嬢は殿下のこと、どう思うの?」
オウエンの言葉に首筋に手を向けた。つけた時は冷ややかな宝飾も既に肌と同じ熱を持ち、しかし首に提げられた重みがディアナに緊張を思い出させる。
「とても・・・・とても御優しく、誠実な御方だと存じます。昔のことを長い間忘れずに御心に留め置かれ、今回魔法を解くために誠心誠意尽くして下さいました。無事に魔法が解けたのも殿下の御心によるものだと思っております」
「おまけに真面目で頑固で、だけどディアナ嬢を前にすると抱き上げちゃうし、時に面白いほど狼狽しちゃう。宿でのことも、あんなに慌てている殿下は初めて見たよ」
「宿でのことは、勝手に部屋を出た私が悪いのです。その節は皆様にも御心配をお掛けして申し訳御座いませんでいた。で、ですが殿下が頑固だというのは」
「頑固ですね。頑固で融通が利かない、心から尊敬すべき御方で御座います」
驚いてディアナが目を瞠ると、オウエンが肩を竦めながら笑みを零す。
「だから幸せになって欲しいと突いてしまうのです、俺たちは」
「殿下を突いて・・・・しまわれるのですか?」
「はい、見ていると大変じれったくて。今日の舞踏会ではどのような行動を起こされるか、今から大変楽しみで御座います。ぽかんと口をあけっぱなしにするか、何かアクションを起こすか。賭けようかと思ったのですが、みんな同じ意見で賭けになりません」
オウエンの言っていることの意味が判らず目を瞬いていると、エディとレオンが姿を見せ、そろそろ着席の時間だよと告げて来る。その言葉を耳に、ディアナは唾も出ないほど咽喉が渇き、直ぐには返事が出来なかった。