紅王子と侍女姫  35

 

 

直後、演奏がぴたりと止まる。そして一拍後、王宮楽団の華やかな演奏が始まった。

手を持ち上げられたディアナが強張りそうな顔をしっかりと上げ、流れるワルツだけに集中しようと震える足を動かす。大きな体躯の国王は柔らかなホールドで滑らかにリードする。踊り始めたディアナは舞踏曲だけに集中しようと思うのだが、張りのあるバリトンが間近で耳元に落ちるから、そのたびに足が震えて躓きそうになった。

 

「緊張することはない。そう音だけを聞いて・・・・上手いな」

「こ、国王陛下のリードがお上手でいらっしゃるからです」

「ギルバードより上手いか? 四人と踊ったんだよな。誰が一番踊りやすかった?」

「み、皆さま、お上手ですので順位などつけられません」

 

気付けば宰相夫婦が隣で踊りながら、ディアナに笑みを向けていた。引き攣った笑みを返して周囲を見ると、大きく目を見開いた王子の姿が一瞬だけ見えたような気がしたが、王弟夫婦や大貴族、大臣らが踊りに加わり、ホールは一気に賑わいを見せる。大きくターンした時にふら付きそうになると大きな手が腰を攫い、再びバリトンが耳に響く。

 

「髪飾りはレオンから、イヤリングは双子騎士、ローヴは靴、そしてギルバードはネックレスを贈ったようだな。私からは何を贈らせて貰おうか。女性に何かを贈るなど、数年ぶりでワクワクする。希望の品はあるか、ディアナ嬢」

「・・・っ! お、お気持ちだけで充分です。初めての舞踏会が王城で、それも国王陛下と踊ったことが一番の贈り物です。両親へ報告するのが今から楽しみで御座います」

「ディアナ嬢は魔法が解けて、その後問題はないのか」

「は・・・はい、御座いません。お気遣い頂き、ありがとう御座います」

 

大きな手から伝わる温もりと掛けられる声が素直に嬉しいと感じた。胸の鼓動は跳ね続けているが、ダンス自体は楽しいと思えるようになり、身体から余計な力が抜けて来たようだ。

 

「ギルバードが何度も貴女を抱き締めたようだが、謝罪はあっただろうか」

「謝罪なさることは御座いません。殿下の御優しいお気持ちには感謝しております」

「ずばっと問うが、ギルバードとは何処までいった?」

「殿下には東宮の庭園を二度、それと薔薇園を御案内頂きました。あとは騎士団様の専用馬場にて、御一緒に早駆けをさせて頂きました」

「・・・やっぱり腰抜けか」

 

低い呟きが聞こえたが、聞き返すのは不敬に当たるかしらと聞き流すことにした。

国王と共に踊ることにひどく緊張していたディアナだが、巧みなリードと次々に問い掛けられ答えている内に気付けばワルツは終了し、御辞儀をしようとして再び腰を攫われる。

豪快な笑顔が近付き、目を瞠ったまま固まっているディアナに国王が楽しげに言う。

 

「もう一度楽しませて貰おう! もう少し話したいこともあるからな」

 

そのまま手を持ち上げられ、舞踏曲が始まると踊り出すしかない。今度はメヌエットが流れ、持ち上げられた手でゆっくりとターンしていると王子の姿が見えた。王女を伴い踊っている姿を目にしたディアナが思わず俯きそうになると、国王が話し掛けて来る。

 

「ディアナ嬢は好いた相手がいるのか。自領に戻ったら結婚する相手が待っているとか、勧められた見合い話があるとか」

「いえ、おりませんし、ありません」

 

王子と同じことを訊くのは、親子で同じように自分のこれからを心配してくれているのだと思い、ディアナは深く感動した。もう魔法は解けていると安心して頂こうと笑みを浮かべると、国王も柔らかく笑みを返してくれる。何故か二曲も続けて国王と踊ることになったが、ゆったりした曲調に心拍数も落ち着いているようだ。ただ時折視界の端に王子の姿が映り、そのたびに胸に痛みが奔る。

 

「それならば長い間魔法で迷惑を掛けた分、王城でゆっくり過ごすがいい」

「いえ、領主・・・いえ、両親に報告もありますし、姉夫婦への挨拶もあります。式の後、すぐに王城に向かいましたので、祝いも碌に出来ずにおりましたから」

「親や姉には手紙を書き、もうしばらく王城に滞在すると連絡しておくように。まだ不肖の息子が仕出かした魔法に対する詫びが出来ていない。そうだ、ディアナ嬢は乗馬が出来ると聞いた。今度は私と一緒に早駆けを楽しもうか」

「こ、このように盛大な舞踏会に招待されただけで、もう充分で御座います」

「舞踏会への招待は押し付けた形になったし、これは魔法が解けた祝いだ。詫びは別の物を用意させて貰おうと思っていた。自領から出たことが無いと聞いたからな、あちこちゆっくりと物見遊山でもするがいい。費用は王城持ちだから遠慮はするな」

 

頭の芯がぐらりと揺れる。国王の言葉を即答で断るのは不敬にあたるのだろうか。

国王が満面の笑みを浮かべながら、城下を案内するから一緒に歩こうかと言い始めた時にはドレスの裾を捲って逃げ出したくなった。今までの人生、こんなにも困った事態に陥ったことはなかった気がする。どうしたらいいのか悩んでいると曲が終わり、ディアナは震える足を叱咤して腰を屈めて御辞儀をした。

 

「次の機会にもお相手をお願いする」

「こ、光栄で御座います。ありがとう御座いました」

 

王に手を握られたままホールを離れ、これでようやく部屋に下がれると息を吐いた瞬間、ドレスを摘み上げていた手を持ち上げられた。驚く間もなくホール中央に連れて行かれ、引き寄せられた腰をホールドされたことに驚き顔を上げると妖艶な笑みを零すレオンがいて、ディアナは目を瞠ったまま首を振った。

 

「次はテンポの速い曲が流れるから、この間のように楽しく踊りましょう」 

もう下がらせて欲しいと口を開く前に音楽が流れ始まり、ディアナは東宮の部屋で耳にした曲に合わせて足を動かすしかない。

 

 

 

 

「・・・ッ!」

「ギルバード殿下、どうなさいました?」

 

レオンがディアナの手を掴みホールに移動するのが見えた。踊り終えて王女と共に使節団のいる席へ戻ったギルバードは歯噛みし、しかし動く訳にはいかない。王女から問い掛けられ、意識をダンスが始まった大広間から移そうとするが、すぐに視線はホールへと向いてしまう。

椅子の手摺を強く握り締めながら身体が前のめりに倒れていたようで、咳払いをしながら背を戻した。

 

「い、いえ。なんでもありません」

「ギルバード、お前は若い癖にたった二曲で休憩か。王女、楽しまれておるか?」

「はい、アルフォンス国王陛下。ギルバード殿下のリードはとても素晴らしく、夢のようなひと時で御座いましたわ。そう言えば先ほど国王陛下と御一緒に踊られていらした女性は、どちらの姫君でしょうか」

「彼女は私の賓客だ。自国に住まう侯爵の娘で、大変世話になった御嬢さんだ」

 

楽しそうに笑いながら王女を交え使節団と話を始めた国王の横で、ギルバードはギリギリと椅子の手摺を握り締めた。ディアナがどれだけ緊張していたかを考えるだけで急ぎ救い出したい気持ちになるが、王女の接待を一任されている立場では離れる訳にはいかない。

続けざまに二曲踊り、満足げな顔の王を見てディアナが解放されるだろうと踏んでいたのに、今度はレオンが彼女を攫って行った。周囲からは国王と踊った娘が今度は宰相の息子と踊っているとざわめく声が厭でも届き、想像以上に注目を浴びているとわかる。

謁見の間では緊張が過ぎて足が縺れそうになっていたディアナを思い出し、ハラハラしながら見つめていると隣に座る王女から声を掛けられる。

 

「次も踊って下さいますか、ギルバード殿下」

「いえ、王女を熱い視線で見つめている我が国の者たちとも是非踊って下さい。美しい王女を独り占めすると、あとでどのような報復を受けるか考えるだけで大変怖いですので」

「まあ、美しいなど! 嬉しいですわ、ギルバード殿下」

 

頬を押さえる王女に乾いた笑を落とし、視線をホールに向けた。レオンがディアナの腰を必要以上に引き寄せ、あまつさえ顔を寄せて何かささやいている姿に思わず立ち上がりそうになる。それを押し留めたのは周囲から甲高く響く貴族息女たちの悲鳴だ。

 

「あの女性は誰!? 先ほどは国王陛下と踊っていたのに、今度はレオン様を独り占めされているわ」

「見たこともない顔よね。 まさか・・・レオン様の婚約者とか!」

「そんなのないわ! きっといつもの遊び相手よ!」

「でも国王陛下が二曲も続けて踊られていらしたわ。その後にレオン様よ」

「レオン様が結婚なさるの? あの女性と? そんなぁ・・・」

 

耳に届いた言葉の内容にギルバードの思考は固まる。頭の中は真っ白になり、視線の先にいる二人が早いテンポに合わせてステップを踏みながら楽しげに笑い合っているように見え、表情を強張らせたまま手摺が軋むほど強く握り締めた。

曲が終わりに近付くとレオンがゆっくりと庭園側に移動するのが見え、急ぎ立ち上がり足を向ける。

王女の驚いた声が聞こえたが、それよりも二人を見失わないようにする方が先だった。ダンスを見つめる人々を掻き分けながら庭園に近い場所でステップを踏んでいる姿を見つけ、曲が終わるの待っていると周囲から耳を疑うような言葉が聞こえて来る。

 

「いいか、次は俺が彼女を誘う。国王陛下と踊った後に、殿下付き侍従長とも踊っていたんだぞ。きっと名のある貴族息女なのだろう。顔を覚えて貰うだけでもいい」

「俺はそんなの関係なしに踊りたいな。あの肌の白さを間近でじっくりと眺めたい」

「先に俺に踊る権利をくれ。あの細い腰を引き寄せ、胸に縋らせたい」

「確かに細い腰だ。それに頬が紅潮して・・・・あの瞳もいい」

「踊りながら口説くのは俺の方が上手い。頼む、先に踊らせてくれ」

 

聞こえて来た内容に思わず腰の剣に手が伸びそうになり、急ぎ自重しようと深呼吸を始めた時に曲が終わりを告げ、慌ててレオンとディアナの姿を探す。

長い間侍女として控えめな日常を過ごしてきた彼女が、初めての舞踏会で王と踊ることになった。その上過ぎる緊張と疲労で蒼褪めた顔が肌の白さを際立たせ、周囲からいろいろな意味で注目を浴びている。

ようやく二人を見つけ出すとレオンがディアナを連れて庭園に向かう姿に、他の貴族子息が我先にと追い掛けようとしているのが見えた。踊り終えた彼女の頬と広く開いた肩口が淡く染まり、戸惑いに揺れる碧の瞳と艶やかな唇が扇情的にも見える。自分だけがそう見えるならいい。しかし他の男どもも同じように見つめていると判れば、このままにしては置けない。

 

「レオン! ディアナ!」

  

王子の声に近くにいた貴族子息が驚いた顔で振り向き、慌てたように散開していく。

周囲の者たちと同じように驚いたような顔で振り向く彼女の顔に、ギルバードは安堵した。振り向いたディアナが急ぎドレスの裾を持ち腰を屈めるが、やはり疲労があるのだろう。身体が傾きそうになるから急ぎ手を伸ばしたが、それよりも早く隣に立つレオンが彼女の腰を攫うように引き寄せて支えた。

 

「ディアナ嬢、お疲れですか? 静かな場所で少し休みましょうか」

「は、はい、大丈夫です。レオン様」

「そうだな。誰も来ない静かな場所で、ゆっくり休んだ方がいい」

「お気遣い感謝します、殿下」

 

王子とレオンの言葉を耳にした周囲の者たちが、慌てながら離れていく。

しかしある程度離れたところから王子と王子付き侍従長に挟まれた女性は何処の息女だと囁き、遠巻きに見つめ続けていた。ギルバードが顔を上げて強く見据えると、それらも散って行く。大広間から次の舞曲が奏でられ、次の踊りが始まったのだろう。庭園から人が消え始めたのを確認してギルバードが俯くディアナを見ると、僅かに眉が寄っていた。

 

「ディアナ、疲れたか? レオン、何か軽い飲み物を持って来い」

「殿下は王女から離れてよろしいので? 接待のお役目はどうなさいました?」

 

意味あり気な声色で目を細めて肩を竦めるレオンからの問いにギルバードが言葉を詰まらせると、ディアナが顔を上げて、ようやく口を開いた。

 

「殿下、もう私は部屋に下がらせて頂きますので、飲み物は結構で御座います」

「部屋に戻る前に軽く飲んでおく方がよろしいでしょう。直ぐにお持ちしますから、こちらで御待ち下さい。ディアナ嬢、先ほどは素敵なダンスをありがとう御座います」

 

庭燈が仄かな灯りを投げ掛けるガゼボにディアナを誘導すると、腰を屈めたレオンが手を持ち甲に口付けを落とす。直ぐにその手をギルバードが攫い、拭こうとするからディアナは目を瞬いた。長手袋をしているし、触れるか触れないかくらいの儀礼的なものだ。何もかも初めてのディアナにはそれが当たり前だと思っていたが、もしかしてレオンが勝手にしていることなのだろうか。

 

「部屋に・・・・戻るのか?」

「はい。思いも掛けず国王陛下と踊ることになり驚いておりますが、魔法が解けた祝いをして頂き、嬉しく思います。殿下も・・・王女と踊られておりましたね」

「あ、あれは接待という仕事の一環で」

「とても・・・、とても素敵でした。子供の頃に読んだ物語のようで、とても」

 

椅子に腰掛けたディアナは目を伏せたままで切なげに見える笑みを浮かべている。

ガゼボ内にふわりと広がるベビーピンクのシフォンドレスに埋まるように座る彼女の肩口は大きく開かれ、赤い薔薇のコサージュが幾つも飾られている。プラチナブロンドに映えるガーネットの髪飾りとスピネルのイヤリングが薔薇のコサージュと合い、悔しいが良く似合っていた。

清楚で上品な雰囲気を醸し出す彼女は初めての王城舞踏会参加ということもあり、目新しいものが好きな貴族子息たちが注目する要素が多すぎる。注目されるほど綺麗な上に、可愛い彼女は王と踊っていた。それも姉たちの舞踏会デビューで一緒に踊ったのが最後で、久しく踊っていなかった王が二曲続けてだ。その後はレオン。宰相の息子であり軽薄な奴と踊るのを注目していたのは貴族息女。

双方から注目されていたにも拘らず、彼女だけはそれを知らない。

その上ダンスが素晴らしく美しかった。それは自分の欲目だけではないのは王や宰相が良く知っているだろう。その彼女を他の男とこれ以上躍らせるのは我慢出来ない。

 

ガゼボから大広間に視線を向けると、宰相が王女と踊っている姿が見えた。あとで王と宰相からネチネチと弄られる自分が想像出来るが、仕方がないと肩を竦める。

 

「ディアナが王と踊っているのを見て驚いた。それも二曲続けてだ」

「私も本当に驚きました。御断りをしたのですが気付けば舞曲が流れていまして、終わったと息つく間もなく次へ。国王様はとてもダンスがお上手でいらっしゃいます」

「その後、何故レオンと・・・いや、攫われるように連れて行かれたのだろう」

「でも良い思い出となりました。一生の記念で御座います」

 

顔を伏せたままのディアナの隣に腰掛けた後で「座ってもいいか」と尋ね、頷かれる前に彼女の手を握り締めた。

 

「・・・ディアナ、俺とも踊ってくれないか?」

 

僅かに肩が揺れた気がした。長い睫毛がゆっくりと瞬くが瞳は伏せたままで唇が開く。

 

「大変光栄では御座いますが、私はこのまま部屋に戻らせて頂きます。殿下はどうぞダルドード国使節団と王女の御接待をお続け下さい。これ以上の気遣いは必要御座いません」

「気遣いではない。ディアナが気になって仕方がないだけだ。・・・気付けばここまで来ていた」

 

ギルバードは心を込めて真剣にディアナを見つめた。しかし驚いたような顔が自分を捉えたと思ったら、瞬時に蒼褪め深く俯く。掴んだ手が震えているのが判り、眉を顰めると彼女の口が戦慄きながら開いた。

 

「・・・申し訳・・・・御座いません」

 

項垂れたまま震えるディアナに、ギルバードは掴んだ手を強く握り締めた。

 

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー