紅王子と侍女姫  51

 

 

船底の貯蔵庫に足を踏み入れると、鼻を突く腐った食材の異臭や船底特有の饐えた匂いがギルバードの苛立ちに拍車を掛ける。こんな不衛生な場所にディアナを閉じ込めているのかと怒りで拳は震え出す。視界に映るもの全てを破壊したい衝動が込み上げてきた。それをぐっと飲み込み、声を張り上げる。 

「ディアナー! 俺だ、ギルバードだ! 何処にいる」 

周囲を凍らせているため船自体は動けないが、寄せる波により僅かに揺れを感じた。

周囲に充満する悪臭と船酔いに苦しんでいないだろうかと焦りが生じる。大声で繰り返しディアナの名を呼び続けるが返答は無く、焦燥感に苛立ちが膨れ上がった。

ディアナの香りを追うことも出来ず、出来ないことに不安が増して苦しくなる。

酒樽や食材が積み込まれた箱を虱潰しに調べるが一向に見つからない。ここではないのかと周囲を見回したギルバードは紅く染まる瞳を細めた。手首に巻かれた淡く輝くリボンに口付けながら、魔法力が暴走しないよう念じて呟きを落とす。

 

「ディアナ以外は・・・・消え失せろ」 

呟きを落とした瞬間足元から風が立ち上がり、小型の竜巻に変じて壁に大穴を開けた。貯蔵室に置かれていた酒樽や芋や果実が弾かれたように外へと放り出され、代わりに冷えた夜気が入り込む。

雑多な物が消え失せた室内には長箱だけが残されていて、ギルバードは渇いた咽喉に無理やり唾を飲み込みながら近付いた。錠を剣の柄で叩き壊し蓋を開けると甘いローズオイルの香りが立ち上がり、この中に間違いないだろうと安堵の息を深く吐く。

まず目に入ったのは白い布に包まれた何かだ。その白い布の上から幾重にも縄が巻かれており、一部分がモゾモゾと動き出した。

 

「・・・・ディアナ、か?」 

急ぎ縄を切り、布を取り外しながら名を呼ぶと、くぐもった呻き声が聞こえてきた。プラチナブロンドが見えたと同時に箱から出して膝上に乗せるが、乱れた髪でディアナの顔が見えない。不自然な腕の様子に後ろ手に縛られていると判り、縄を解くと彼女は顔に手を伸ばそうとした。しかし痺れているのか手は震え、声もなく力なく凭れ掛かってきた。 

「ッ! ディアナ、大丈夫か? 悪いっ、悪かった! ・・・・こ、怖かっただろう」  

長く縛られていただろう腕が痛まないように気を付けながら抱き締めると、ディアナの全身がさらに震え始めた。どう慰めたらいいのか、何を言えば震えが止まるか、最適な言葉が見つからないギルバードは愕然とする。 

 

最初の王妃が亡くなった時、国王には二人の娘がいるだけで、暫定的とはいえ王位継承権は王弟とその息子が受け継いだ。しかしその後、瑠璃宮の魔法導師が国王の子を産み王妃となり、第一位の王位継承権はその男児のものとなる。

それを王弟がどのように思ったかなど、彼自身と王弟派たちの態度を見ていれば厭でも知れる。

国王以外の立ち入りを阻む瑠璃宮に、魔法力を持つ自分が早くから出入りしていたことが叔父の苛立ちの原因の一つだろう。唯一の王子が邪魔だと考えた王弟派が悪意ある噂を広めたり、毒薬や蠍、毒蜘蛛、刺客などの様々な仕掛けを企てたが全て失敗に終わり、王子を亡き者にするのが難しいと判断した王弟が新たに考えたのがエレノアとの婚姻だ。

それを耳にしたギルバードは、自分は王弟である叔父の望みを叶えるつもりはないと伝えていた。

だが叔父と直接会うことは避け、人を介して言葉を届けただけだ。叔父は昔から自分を忌避し、会えば怒りに満ちた視線を向けてくる。そんな相手と腹を割って話し合うなど出来る訳もない。

 

その後、王太子妃がエレノアに決まったと噂を広げていたようだが、庭園や舞踏会で顔を合わせても微笑むでもなく、ましてや近寄ろうともしない二人の関係性に周囲が訝しみ、他の貴族から多くの婚姻話が王宮へ持ち込まれ出した。やがてギルバードが全領地の巡察に出た隙を狙い、正式な王太子妃主催と銘打った舞踏会が王弟とエレノアによって勝手に催されていたらしい。

しかし地方巡察から戻った王子は侯爵息女を伴っており、さらには東宮に滞在させた。

その上、先の舞踏会では他国の王女とだけ踊る王子の姿が皆に注目されており、貴賓席には王子が連れて来た侯爵息女が腰掛け、さらに国王とファーストダンスを披露していたのだから、それを目にした王弟やエレノアは激しく苛立ったことだろう。 

その苛立ちの矛先がディアナに向けられると、何故考えなかったのか。

こんなことになる前に厭でも直接顔を突き合わせ、エレノアを妃にするつもりは毛頭ないとはっきり伝えるべきだった。憤怒を押し殺しながら浮かべる胸の悪くなるような笑顔を見るのが嫌で、ただ逃げていた愚かな自分を振り返り、ギルバードは腕の中のディアナに謝罪した。 

「俺が・・・俺の対処が遅くて怖い思いをさせてしまった。悪かった、ディアナ。申し訳ない。もうこんなことは二度とないから・・・・。本当に・・・・申し訳ない」 

頭を横に振ろうとするディアナを押し止め、ギルバードは遣る瀬ない思いで謝罪を繰り返す。謝罪を受け入れて欲しいと顔を見ると猿轡で塞がれているのが判り、慌てて布を外した。 

「気付くのが遅くなって悪い! 苦しかっただろう。ああ、口端が赤く擦れている」 

「だ・・・大丈夫、です。殿下が来て下さっただけで・・・・、もう充分です」

 

噎せ込むディアナの背を擦りながら猿轡で赤く擦れた口端が痛そうだと顔を顰めたギルバードは、聞こえて来た言葉に動きを止めた。

―――――もう充分? それは、どういう意味だ。

救出に来てくれたから、それ以上の気遣いは必要ないという意味だろうか。

きっとそういう意味での台詞だろうと思いたいところだが、エレノアに何を言われて攫われて来たのかが判らないだけに、ギルバードの思考は悪い方へと流れていく。 

王子の側に居て危険な目に遭った。こんな騒動に巻き込まれてまで王子の側に居るのは勘弁だ、愛想が尽きた、魔法が解けたのだから早く帰して欲しい、もう充分だ。・・・・・そういう意味だろうか。

おまけにディアナの気持ちを自分に振り向かせる努力も中途半端なままで、救出に来たはいいが船の壁には大穴が開き、魔法を使ったのがバレバレだ。ディアナががっかりする要素が満載過ぎて、考えていくと目の前が暗くなり呼吸の仕方すら判らなくなる。

ディアナの言う『もう充分です』とは、どんな意味合いが含まれているのか。 

胸に凭れ掛かるディアナを前に、ギルバードは自覚できるほど蒼褪めた。ディアナを危険な目に遭わせてしまった不甲斐なさに泣きたい気分になり、国王からの辛辣な伝言が頭の中を駆け巡る。抱き締めていた腕を離した方がいいのかと力を抜き、でも放したくないと囲い続ける。 

ふと、頬に何かが触れるのを感じて意識を向けるとディアナが指を伸ばしているのが判り、ギルバードは驚きに目を瞠った。

 

「殿下がここまで来て下さった。それだけで・・・安堵しました。ですから殿下からの謝罪など勿体無いことで、私の方こそ・・・私などのために、こんな遅い時間に御多忙の殿下を奔走させてしまったこと、お許し下さいませ」

「ゆ、許すなどっ! それは俺が言うべき台詞だ!」 

「・・・もう一度、殿下の顔を見ることが出来て、嬉しい・・・です」

「こんな顔で良ければ幾らでも見てくれ! いや見ていて欲しい。出来ることならずっと、一生見ていて欲しい! 俺も、俺もディアナを見ていたい!」

 

擦れて赤くなった口端の治療をしなくてはならないと、ディアナが見つかった報告をしなくてはいけないと頭の奥で騒ぐ声が聞こえるが、伝えられた言葉が嬉しすぎて舞い上がり頬に触れる手を掴み思わず口付ける。指先が少し冷たく感じて眉を寄せるとディアナが驚いたように手を引いた。また許可もなく口付けてしまったと慌てていると、一度引いたディアナの手が伸びて手首に巻かれたリボンに触れる。

 

「これは・・・・私のリボン、ですか?」

「そ、そうだ。ディアナを助けるために魔法を使う許可を貰ったが、魔法が暴走しないように枷として手首に巻き付けた。やはり、これは俺が持っていたい。いいだろうか?」 

そう尋ねるとディアナが嬉しそうに笑うから、キスしたいと思う自分を必死に制する。こんな時に不埒な真似は慎むべきだと騎士道精神を頭の中で唱え始めると、自分の手が引っ張られるのを感じた。顔を上げてギョッとする。ディアナが手首のリボンに唇を寄せているではないか。 

「ディッ!?」 

「再び会うことが出来た嬉しさに思わず・・・。殿下、許可もなく触れたことをお許し下さいますか?」 

仄かに頬を染めるディアナからの信じられない言葉と行動に、ギルバードが口を開けたまま凝視していると、彼女は耳朶まで赤く染めて俯き、可愛らしい顔を隠してしまった。

突然のことに驚き過ぎて返答が出来ずにいると、静かに離れて行こうとするから急いで引き寄せ抱き締める。力を抜き素直に凭れ掛かるディアナの熱を感じて、夢じゃないようにと必死に祈るギルバードの耳にディアナの掠れた声が聞こえて来た。 

「もう一度・・・殿下に逢うことが出来て・・・・嬉しくて」

「お、俺もだっ! ディアナ、本当に怖い思いをさせてしまい、申し訳ない」 

 

早く戻ってディアナの傷の手当てをしなければ、無事に見つけ出した報告をしなくてはと思うのだが、久し振りの抱擁に胸が高鳴り動く気になれない。

開けた大穴から入り込む夜気は冷たく、攫われた彼女の恐怖を思うと何時までも船にいない方がいいと解かっているのだが、腕を離すことも立ち上がることも出来ずにいた。腕の中のディアナが余りにも愛おしく、抱き締める腕の力が強くなりそうになり、何度も我に返る。乱れた髪を撫でていると、ディアナが問い掛けてきた。  

「あの、どうして私が船にいると判ったのでしょうか?」 

「届けられた菓子の礼を伝えたいと、ディアナの部屋に行こうとしたんだ。遅い時刻だったから先触れを出したが部屋に居ないと報告を受けて・・・・。俺の名を騙った輩に、ディアナは呼び出されたんだな」

「はい・・・・、その通りです」 

「俺の名を騙り、ディアナを攫った輩がいる」 

「はい、存じております」 

「今回の騒動はその輩が原因であり、だが捕らえてあるから安心して欲しい」 

「はい、殿下」

  

ディアナの落ち着いた返答に、彼女は全てを理解しているのだとギルバードは唇を噛む。 

会えて嬉しいと言ってくれたが、王城に戻ってから心身に受けた疲労と恐怖を思い返し、王宮から離れたいと訴える可能性がある。今は胸に凭れ掛かってくれているディアナだが、その心の中を窺い知ることは出来ない。干上がったような咽喉に無理やり唾を飲み込み、離れるなど言わないで欲しいと願いながら抱き締める腕に力を入れた。 

どれだけ彼女が安心出来るよう言葉を紡いでも、エレノアは従妹であり王弟の娘だ。

王子の名を騙ってディアナを呼び出したことや、他国の船に売り飛ばそうとしたことを彼女が認めたとして、王族の一員を裁くことが出来るのか過去例がないだけに判らない。最終的には国王が処断を下すことになるだろうが、王族の実弟とその娘を処断するのは難しいことだろうとギルバードは歯噛みした。 

だが、ディアナの部屋に行こうと思わなければ、彼女は知らぬ間に遠い国に連れ去られていたのだ。王太子妃の座を得たいがための愚かな企みに、自国の人間を陥れようとした王弟とエレノアを許すことは到底出来ない。

ディアナが早く自領に戻りたいと願ったら、今までの努力は水の泡だ。いや、言うほどの努力もしていないが彼女が恐怖を感じて家に帰りたいと願ったら、その願いを受け入れるしかない。そう考えただけで胸が押し潰されそうなほど苦しい。だけど、それが彼女の願いなら・・・・。 

重苦しい考えに没頭していたギルバードの胸内から、躊躇うような声が聞こえて来た。 

「あの、先ほど殿下が来て下さっただけで充分嬉しいと伝えましたが、出来ましたら・・・殿下にお願いしたいことが・・・・あります」

「・・・・っ!」

 

考えていたことが現実化したかと、蒼白になったギルバードの咽喉から妙な音が漏れる。

気丈に見えたがやはり怖かったのだろう。

恐ろしい目に遭い親元に帰りたいと思うのは当たり前のことで、ディアナのことを心底愛しく想うなら、その願いを叶えるべきだろうとギルバードは涙目で宙を睨み付けた。

しかしディアナがアラントル領に戻っても二度と会えない訳じゃない。

自分が未来の花嫁にと望むのはディアナだけだ。彼女の気持ちが自分に向くまで、何度でも足を運べばいいじゃないか。大丈夫だ、出来る。俺はやれば出来る!

 

「か、覚悟はしたくないが、大丈夫だ。な・・・、何でも言ってくれ!」

「このようなことを申すのは、はしたないと存じてはおりますが・・・・、殿下の髪に触れさせて頂いても宜しいでしょうか? 攫われて殿下に二度と会えなくなると思った時、もう一度殿下に会うことが出来たら髪に触らせて頂きたいと願いました。それと出来ることなら・・・・殿下のルビーのような瞳も見せて頂きたいと」 

「・・・・・・?」 

睨み付けていた宙から視線を移し、俯くディアナを見下ろす。顔を手で覆っているから表情がわからず、言われた言葉の意味も頭に入って来ない。思っていたことと真逆のことを言われたような気がしたが、それが本当に耳に届いた言葉なのか理解できない。 

「ディアナ。悪いが、もう一度言ってくれないか?」 

「あ、あの・・・殿下、の・・・っ」

 

顔を覆ったまま喋るから声がくぐもって良く聞こえない。その手を顔から離そうとすると首を振って嫌がられ、再度問い掛けるとディアナは立ち上がり走り出した。それも顔を隠したまま走り出し、向かった先は大きく開いた穴だ。ギルバードが急いで抱き留めると悲鳴を上げられ、動揺して手を離すと再び走り出そうとする。

 

 

 

 

 

 

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