紅王子と侍女姫  64

 

 

翌日、ディアナは早朝からローズオイル蒸留の手伝いを始めた。

夜明け間近の時刻から薔薇の蕾を摘み始め、専用の釜に湯を沸かして摘んだ蕾を入れる。水蒸気蒸留のため小屋の中は湯を沸かし始めると同時に熱気に包まれ、その中で水や薪の追加分を何度も運び、高湿度の小屋で庭師たちと共にディアナは汗だくで動き続けた。

特殊な形の釜の頭から伸びる細い金属の管が大きな水槽をくぐるようになっており、その水槽へ冷たい水を何度も注ぎ込む作業もある。冷やされた蒸気が水滴となり管から滴り落ち、落ちた水滴が容器に溜まる。溜まった水滴が分離して油部分が上に浮き上がると、それを専用のガラス瓶に移す。庭師三人とディアナは交代で薪や水を運び、合間に冷たいお茶で何度も涼を取った。

 

「御嬢さん、休める時にしっかりと休みなさい」 

「男でも倒れる時があるくらいだ。ひたすら湯を沸かしている小屋にいるから、熱気で脱水になることもある。だから水分を取り、休むことも仕事の内だよ」 

「わかりました。皆さんに迷惑を掛けないよう、気を付けます」

 

流れる汗を拭いながらディアナが真摯に頷くと、高齢の庭師が気負うことはないと笑ってくれる。初めての作業は見るもの触れるもの全てが楽しくて、あっという間に昼となった。今日の分は終わったと言われ、ディアナは急いで着替えて東宮図書室へ向かう。

 

「お待たせ致しました、ローヴ様」 

「いいえ、ちょうど私も来たところです。まずは昼食にしましょうか」 

「・・・・東宮の図書室で食事をしても良いのですか?」

 

問題はないとローヴが笑うから、用意された食事を遠慮せずに食べることにした。ローヴと共に食事するのは初めてだと緊張しながら食べていると、柔らかい声が掛かる。

 

「ディアナ嬢、食べながらで結構です。今日から我がエルドイドの歴史を御教えしますが、決して難しいものではありません。難しいと考えるから難しいのであって、物語だと思えば多少は楽しくなりましょう。・・・・こんな風にね」

 

ディアナが目を瞬くとローヴは袖から輝石を取り出し、食事が乗るテーブルに置いた。

白色の輝石をローヴがひと撫ですると軽やかな音楽が流れ出し、よく見ると霞のようなものが宙を舞い始めたのがわかる。食べながらでもいいと言われたが、ディアナは急いで咥内の食べ物を飲み込むと、背を正してテーブル上の輝石を見つめた。

 

「ローヴ様、・・・・これは?」 

「この魔道具は歴史を楽しく学べるように工夫しておりまして、王都に住まう貴族の子供は、幼い頃にこの魔道具で自国の歴史を音楽と共に楽しく学びます」 

「そ、そうですか。初めて知りました」

 

輝石から立ち昇る靄のようなものは良く見ると字を模っており、それが音楽と共に耳を擽る。ディアナの頭の中に建国からの長い歴史が吸い込まれるように流れ込み、過去の国王と共に戦場を駆ける騎士たちの姿や、何処までも広がる田畑を耕す農民たち、凪いだ海を辛そうに見つめる猟師たちの姿が浮かんだ。繰り返される戦に出兵される父や子を見送る家族の姿や、静けさを取り戻した戦場を訪れた年老いた女性が赤黒い地面に額づきながら号泣する姿が浮かんだ時は思わず目を背きたくなったほどだ。

何度も大きな戦があり、その都度国の領地が増え、やがて戦が終わり内政が落ち着く頃には王城主催の舞踏会が催され、大勢の貴族が煌びやかな衣装に身を包み参列する様子が見え始めた。各地から届けられる農作物や魚介類に目を細めて笑みを浮かべるのは時の国王だろうか。隣に控える重臣らしき男性に大きく頷き喜びを顕わにしている様子が見て取れた。 

戦場での光景は胸が痛むものばかりだが、時の移り変わりと共に穏やかな風景が多く見られるようになり、やがて現国王陛下の時代とわかる光景が現れる。 

そこで音楽が止まり、ディアナは夢から覚めたように目を瞬かせてローヴに視線を向けた。

 

「大まかでは御座いますが、我が国の歴はこのようなものでしょう。詳細は書物で調べることも出来ますが、寝ている間に夢の中で学べるように枕元へこの輝石を置いて下さい。では今日はこれで終わりとします」 

「あの、ローヴ様。・・・・これでお終いなのですか?」 

「はい、お終いです。今日はローズオイルの蒸留もありましたし、短期間で効率よく学べるよう工夫しています。ディアナ嬢、これでも結構な時間を要しているのですよ」

 

ローヴの言葉に図書室の窓を見ると、確かに日は大きく傾いていると解かる。驚きに振り返るとローヴが輝石を渡しながら、柔らかい笑みを浮かべて話を続けた。

 

「夕食までの時間、少し殿下に付き合っては頂けませんか」 

「え、あの・・・・、私は構いませんが殿下は御忙しいのではないですか」 

「忙しいでしょう。ですから癒しを求めるのです。ディアナ嬢は殿下が慈しみたいと切望する御相手であり、殿下の活力の元でもあります。少しでも貴女に会いたいと、忙しい政務の合間に二人きりの時間を工面する殿下の願いを、どうか叶えては下さいませんか?」

 

ローヴの言葉に返答も出来ず真っ赤になったディアナが俯く寸前、図書室の扉が盛大に開かれる音に驚き、目を瞠って振り向くとそこにはギルバード王子の姿があった。

荒い息を吐き、肩を大きく上下させ、何かから逃げて来たのではないかと思われる王子が足早に近付いて来るのを、ディアナは目を瞠ったままで待ち受ける。

 

「ディアナ!」 

「はいっ!」

 

名前を呼ばれて思わず立ち上がるとギルバード王子に手を掴まれ、何故か図書室から走り出した。本当に何かから逃げているのかしらとドレスを持ち上げる。

東宮図書室から飛び出すと扉前の近衛兵が目を丸くしているのが見え、そのまま目の前の応接間らしき広い部屋に入るが、何故か王子は中庭に面した大きなガラス扉を開き部屋から出てしまい、足早に次の部屋へと向かう。その部屋も突っ切るように走る内にディアナの足が縺れそうになると王子に抱き上げられ、悲鳴を上げそうになると口を塞がれた。

 

「頼む、今は叫ばないでくれ! ・・・レオンの奴が、俺がディアナに会いに行くと言ったら自分も同行すると煩くて、宰相に書類を届けに行かせている間に逃げて来たんだ」 

「そ、それは私に何か御用なのでしょうか?」 

「ディアナに用がある訳じゃない。奴がしたいのは、間違いなく俺へのイヤガラセだ」

 

レオンがどんな理由で王子にイヤガラセをしようとしているのか判らないが、気付けばまた抱き上げられている自分だ。人ひとりを抱き上げても颯爽と力強く歩く王子の姿に惚けていたディアナの目の前に、見慣れた風景が現れた。

そこは東宮薔薇園のある場所からほど近い場所で、午前中はここで薔薇を摘み、ローズオイルを蒸留する手伝いをさせて貰ったのだと思い出したディアナは一気に蒼褪める。

 

「で、殿下! お、降ろして下さいませ!」 

「まだ駄目だ、レオンは狡猾な奴だから・・・・、ディッ!?」 

「降ろして下さいっ!」

 

ローズオイル蒸留の手伝いの後、着替えはしたが軽く汗を拭っただけの自分を思い出し、汗臭いままで王子に抱き上げられている自分にディアナは蒼褪める。 

必死に王子の肩を押し足をバタつかせたディアナは、どうにか腕から解放されると蒼褪めたまま踵を返して駆け出した。今頃になってローヴにも汗臭いと思われなかっただろうかと頭を真っ白にしたディアナは、王子から出来るだけ離れようと周囲を見回す。出来ることなら部屋に戻って急いで頭から水を浴びたいと廊下に出るが、今いる場所は見知った場所ではない。ここから部屋に戻るのはどうしたらいいのかしらと見回していると腕を掴まれ、悲鳴を上げると近くの部屋に引き摺り込まれた。

 

「ディアナ! 何があった!?」 

「・・・っ、駄目です! 私から、は、離れて下さいませ!」

 

掴んだ腕を振り払おうとするディアナに驚きながら、それでも離すことなくギルバードは口を開けた。しかし開けた口から何を言えばいいのか判らず、それよりも何故離れなくてならないのだと胸が軋むように痛む。 

顔を上げたディアナが涙目で首を振るのを目に、ギルバードは静かに跪いた。

ディアナから再び悲鳴が上がるが、跪いた体勢のままで真摯に問い掛ける。

 

「・・・何故だ? 確かに突然先触れもせずに来てしまったが、何故ディアナから離れなくてはならない? ディアナの言う理由に納得出来るまで、俺はこのまま動かないぞ」 

「殿下、跪くなどお止め下さいませ! あのっ、り、理由は・・・・私が、あ、汗を掻いたままだからです。庭師様のお手伝いの後、まだ湯を浴びておりませんので汗の匂いがっ」 

「匂いが気になるのか?」

 

立ち上がった王子に腕を引かれ、蹈鞴を踏んだディアナは胸の中に引き込まれてしまう。慌てて離れようとするのだが両腕を掴まれた状態の上、悲鳴を上げる間もなく首筋に王子の顔が近付き、すんすんと匂いを嗅がれてしまった。

 

「匂いなどしないぞ。いつもの香りと変わらないと思うが、もしディアナから妙な匂いがしても俺は少しも気にしない。・・・・ディアナはそんなことを気にして俺から離れようと暴れたのか。まあ、いつもと違った元気な一面を見ることが出来て俺は嬉しいけどな」 

「・・・っ!」

 

耳に届いた言葉に王子の腕の中で暴れた自分を思い出し愕然と顔を上げると、そこには嬉しそうな笑みを浮かべた王子の顔があり、ディアナはハクハクと唇を戦慄かせるしか出来ない。そしていつの間に現れたのか、王子の背後に呆れた表情を浮かべる王太子侍従長が王子の頭上に鞘に入ったままの剣を持ち上げるのが見え、それは勢いよく振り下ろされた。

 

だっ!! ・・・痛っ、何だ!?」 

「ギルバード殿下、淑女に対して何をなさっておいでですか」 

「レ、レオン!?」

 

痛む頭を押さえて振り返るとレオンが呆れた表情でディアナに手を差し出す。追い着かれてしまったかと歯噛みする目の前で、何故かディアナは慌てたようにレオンの許へ足を運び、奴の背に隠れてしまった。

 

「ディ・・・アナ?」 

「全くっ、殿下は女性に対しての心構えや行動学をしっかりと根本から学ぶ必要があるようですね。殿下はカリーナ様と東宮女官長、どちらから教育を施されたいですか? ああ、両方からじっくりみっちり、ネチネチ~と教わるべきでしょうねぇ」 

「・・・・俺が・・・・何をしたというんだ」 

「はぁ、何たること! 御理解されていないとは、余りの情けなさに涙が溢れて来ますよ」

 

顔を伏せたディアナの背を撫でながらレオンが大仰に嘆息を零すのを、ギルバードは眉を寄せて凝視する。レオンが言っている意味が全く分からない上、ディアナの背を気安く撫でる仕種も気に喰わない。自分は汗の匂いが気になるというディアナが気遣わないよう、気にするなと伝えただけだ。ディアナがどんな匂いをしていても気にならないし、実際に嗅いでみたが気にするような汗の匂いなどしなかった。

ギルバードにはレオンに叩かれる理由も、ディアナが離れたがる理由も理解出来ない。 

眉を寄せたまま凝視していると、レオンが眉を顰めて呆れたように首を振る。そして顔を隠したままのディアナを部屋のソファへ座らせ、踵を返して近付くなり、ギルバードの首筋に生暖かい息を吹き掛けて来た。一気に総毛立つ気持ち悪さに蒼白となり悲鳴が上がる。

 

「なぁあああっ!? な、な、何をするんだ、レオン!」 

「・・・殿下は同じことをディアナ嬢にされたのですよ」 

「違う! 俺はディアナの匂いを嗅いだだけだ」 

「ああ、何たることっ! ディアナ嬢、侍従長として殿下の不埒な行動を心より深くお詫び申し上げます。どうか我が国に淑女の匂いを嗅ぐ変態王子がいるなど、アラントル領で吹聴されませんよう、心よりお願い申し上げます」 

「い、いえ、私はそんなことっ」

 

レオンの台詞に思わず顔を上げると、目を丸くしたまま呆然としている王子が見えた。

王子と互いの視線が重なった瞬間、全身が発火するのではないかと思えるほどに熱くなり、ディアナは真っ赤な顔を俯ける。

 

「・・・・俺が・・・・変態・・・・」 

「女性の匂いを嗅ぐ。殿下にそのような性癖があるとは存じませんでした。いえ、結構ですよ? どのような性癖があろうとも周りに迷惑を掛けないのであれば。しかしディアナ嬢がこのような態度を示すとあれば、それは許可なく行ったのでしょう?」

 

大きく目を見開いた王子が、ソファで俯き肩を震わせているディアナ嬢を見つめ一気に蒼褪める。その態度を見てレオンが苦笑に肩を揺らし、背後のディアナを振り返った。

顔を押さえた手も首も耳朶も真っ赤に染めてフルフルと震える彼女は可愛らしく、この場を自分が離れたら二人はどうなるのだろうと想像するのが楽し・・・・心配になる。

 

王子から、ディアナ嬢が妃になることを考える前に様々なことを学ぼうとしていると聞いている。学んだ後で妃になるかどうかを考えると言うディアナ嬢の気持ちを尊重し、自分はいつまでもその気になってくれるのを待つと伝えたが、どのくらい待てばいいのかと愚痴を零していた。同じ男として愛しい女性に手を出せない王子の焦燥感は理解出来るが、純朴なディアナ嬢の匂いを嗅ぐなどという不埒な行動を目にして放置する訳にはいかない。いや、こんな楽し・・・・心配事を放置して場を離れるなど出来る訳がない。

 

「ディアナ嬢、まずは落ち着きましょう。何か飲み物を運ばせましょうか」

「い、いえ。大丈夫で御座います」

 

顔を覆ったままのディアナの肩をレオンがそっと撫でるのを、ギルバードは呆然と見つめた。頭の中は未だ真っ白なまま、薄く笑みを浮かべて自分を見上げるレオンと俯くディアナを見つめ、ただ立ち竦むしか出来ない。

 

「殿下もお掛けになったら如何でしょうか。・・・・いやいや、二人の進展具合を影から見守ろうと思っただけですのに、殿下の奇妙な性癖を知ることになるとは」 

「レ、オン・・・・それは違うぞ。俺にはそんな性癖などない。ただディアナが離れようとするから汗臭くなどないと、いつもと同じような匂いだと伝えたくて」 

「それで許可もなく淑女の首筋に顔を突っ込んで、思い切り匂いを嗅いだと?」

「あ・・・・う」

 

口を開けたまま固まったギルバードに、レオンが嬉しそうに口角を持ち上げる。細めた垂れ目が妙にいやらしく見えるが、反論するすべを失ったギルバードは開けた口を閉じることが出来ないままディアナに視線を移した。僅かに頭を持ち上げたディアナが、顔から手を離して掠れた声を出す。

 

「レオン様、殿下をお咎めになるのは・・・もう、お止め下さい。殿下にきちんと説明せずに逃げようとした私が悪いのであって、ですから・・・・・」 

「殿下は悪くないと? いいえ、悪いのは間違いなく殿下ですよ」

 

ディアナの隣りに腰掛けたレオンに手を引き寄せられ、思わず手を退こうとするが柔らかな視線に縫い止められてしまう。はっきりと王子の方が悪いと言い切られ、急いで首を横に振るが、レオンは笑みを浮かべたまま語り続ける。

 

「ディアナ嬢が嫌がらずに匂いを嗅がせていたのでしたら、または匂いを嗅いで欲しいと望み首を差し出しのでしたら私はただの邪魔者ですが、そうではない様子が窺えました。ですから殿下の不埒な行いに、ディアナ嬢は憤慨されてもいいのですよ?」 

「す、直ぐに説明しなかった私が本当に」 

「でも急な接近と行為に、とても驚いたでしょう?」

 

王子がこれ以上悪く言われるのは困るが、確かに匂いを嗅がれるなど初めてのことに驚いたディアナは返答が出来なくなった。そろりと顔を上げると口を開けたままの王子が見え、どうしていいのか判らなくなる。鼻の奥が熱くなり、目が潤み出すから瞬きを繰り返して息を吸い込んだ。

 

「で、でも、殿下にされて厭なことなど・・・・・御座いませんから」 

「ほぉ! 殿下、御聞きになりましたか? 何とお優しいことで御座いましょう。殿下のために癒しとなり、殿下と歩むために歴を学び、殿下にされることなら例え匂いを嗅がれようが、急に抱き締められようが厭とは口にしない。そんな優しい女性に対しての振る舞いを、殿下こそ一から学ぶべきではありませんか?」

 

聞こえた言葉の内容に否とは言えない自分だ。悔しいがレオンの言葉に少しも言い返すことが出来ず、庇ってくれたディアナに対してもどんな謝罪を口にしたらいいのか判らない。女性に対する振る舞いを学べと言われたら、今はただ頷くしかないだろう。

 

「・・・・それに関しては後で話し合うとして、レオンは場を外してくれないか」 

「殿下、まずは心からの謝罪を」

 

ディアナの手を軽く撫でた後、レオンは優雅に立ち上がり部屋から出て行った。

 

静まり返った部屋に緊張が漲り、ギルバードは乾ききった咽喉にどうにか唾を流し込む。

まずは心からの謝罪を。

そう言われても頭の中は真っ白で、許可もなく抱き上げ許可もなく嫌がるディアナの匂いを嗅いだ自分が浮かび、上手く声が出て来ない。レオンに言われた『変態』の言葉が胸に突き刺さったまま、ディアナを見ることも出来ずにただ立ち竦むだけだ。

 

「殿下・・・・。あの、本当に申し訳御座いません。早々に説明をすべきでしたのに、あのように暴れるなど・・・・本当に・・・・」

 

掠れた声色に驚いて視線を向けると、項垂れたままのディアナが肩を震わせているのが見えた。慌ててディアナの前に足を向けると身体が震えるのが見え、どうしたらいいのか判らなくなる。自分は離れて欲しいと、汗を掻いたままだから匂いが気になると言ったディアナの匂いを嗅いだ不埒な変態王子だ。俺にされて厭なことは無いと言ってくれたが、レオンの言う通りそれはディアナの優しさだろう。ギルバードは拳を握り、静かに跪いた。

 

「ディアナは何も悪くない。女性への気遣いが足りないのは間違いなく俺だから、謝るべきは俺の方だ。だから違うと言わずに、謝罪を受け取ってはくれないか?」 

「いえ、本当に」 

「ディアナ、辱めてしまい申し訳ない。だけど本当に汗の匂いなどしないぞ。もし汗の匂いがしていても、俺は気にしないから。それよりも二人きりの時間をゆっくりと過ごしたい。だから・・・・赦してくれないか」

 

静かに話す王子の言葉に、ディアナは自分の方こそが悪いとは言えなくなった。跪く王子を前に急いで滲んだ涙を散らし、明日はローズオイル蒸留の手伝い後は直ぐに入浴しようと心に決める。ソファから降りたディアナは自ら王子の手を取り、握り締めた。 

 

「これから殿下に会う時は、その前に必ず入浴することにします。ですから殿下はもう気になさらないで下さい」

 

きっぱりと言い切るディアナは解決方法が見つかったと安堵の表情を浮かべる。しかし、大きく目を見開いた王子がひどく驚いた顔で自分を見つめて来るから、戸惑ってしまう。また貴族息女らしからぬことをしてしまったのかと眉を寄せると、じわじわと王子の顔が赤らみ始め、握り合った手が震え始めるのが伝わって来た。

 

「殿下? 御手が震えていらっしゃいますが」 

「い、いや・・・、俺がディアナに会う前に先触れを出していなかったのが悪いんだ。こ、今度からはこれから会いに行くと、時間を告げるようにするから」 

「はい、わかりました。ローズオイル蒸留のお手伝いで汗をたくさん掻きますので、殿下が大丈夫だと仰られても、どうしても気になってしまいます。ですから入浴した後に殿下に御会い出来るのでしたら、・・・暴れるなどハシタナイことは、もう二度と致しませんから」

 

泣きそうにも見える顔を俯かせたディアナに、ギルバードは急ぎ深呼吸を繰り返す。思い出しては駄目だと思うほどに先日見てしまったバスローブを羽織っただけのディアナが脳裏に浮かび、目の前の彼女の手が胸元を掻き寄せる場面が何度も現れてしまう。同じ東宮内にいるというのに、順序を吹っ飛ばして急くように足を運んでしまう自分だ。今回も前もって会いに行くと伝えておけば良かっただけのこと。レオンに冷やかされようが、からかわれようが、彼女を戸惑わせる自分の方が罪深い。

 

「俺は女性に対する振る舞いが無骨だと自覚しているが、これからは騎士道精神を叩き込み直し、不埒な行いはしないと誓う。だから俺を厭わないで欲しい」 

「わ、私が殿下を厭うなど、そのように思うことはありません」 

「ディアナを前にすると愛しいと思う気持ちが溢れて止められないんだ。愛しいと思うと手が伸びてしまい、気付けばディアナを抱き締めている。触れたら欲が出て、もっときつく抱き締めたいと思うが、これからはディアナの許可を貰ってから抱き締めると誓うからな。でもディアナから触れて来るのは大歓迎だ。いつでも構わないから」 

「・・・・・・・・はい」

 

はい、と返答していいモノなのか判らないが、王子から告げられる真摯な誓いの言葉を耳にして、他に答えようもなくディアナは羞恥に目を瞬いて俯いた。

 

 

 

 

 

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