紅王子と侍女姫  66

 

 

ローズオイル蒸留手伝いが終了したディアナは、午後の勉強時間まで東宮図書室で黙々と本を読み続ける。膨大な量の書籍を誇る図書室にはエルドイド国の歴史に関することや王宮の様々な行事の詳細、近隣国の歴史書、そして著名な物語や詩、他国の料理本まであった。

思わず料理の本に手が伸びそうになるが、まずは歴史の復習だと本を開く。

魔道具のお蔭で理解しやすいとディアナは深く感心してしまう。午後の勉強はローヴと雑談を交えながら進められ、それでも多くのことを学ぶことが出来た。 

 

―――――問題は二日おきに王宮に訪れる仕立屋とのやり取りだろうか。

 

「お嬢様の髪は本当に艶があり美しい髪で御座いますわぁ。当日の髪型はどうされますの? ドレスに合わせて煌びやかなハットかリボン、それとも羽を御用意しましょうか」 

「腰の細さを強調するドレスのデザインを考えて参りました。いかがですか?」 

「肌の白さを強調するよう、デコルテを大きく開けたドレスのデザイン画で御座います。胸周りは精緻な刺繍を施したフリルを配し、蠱惑的な魅力をアピールさせましょうか」 

「濃い色合いにされるのでしたら、最高級の絹リボンを組み合わせましょうねぇ」

「こちらは妖精をモチーフとしたドレスのデザイン画ですの。ご覧下さいませ」 

「どのドレスがお好みですか? ああ、一着と仰らずにお気に召したデザインを全て作られてはいかがでしょう。殿下もきっと喜ばれますわよぉ!」 

「そうですね。しかし流行は直ぐに変わりますから、イブニングは二着だけにしておきましょう。それと動きやすいデイドレスを十着くらい頼みます。直ぐに届けて頂きたいのですが宜しいですか、マダム」 

「ええ、直ぐに! デイドレスもお嬢様に御似合いの品を届けさせますわ」

 

大量のデザイン画をグイグイ見せてくるマダム・エルサに、ディアナは強張った笑みを浮かべるのが精一杯だった。デザイン画を見て細かな指示を出すのは同席するレオンで、殿下侍従長として王子の側に居なくていいのだろうかと尋ねたいが、マダムと上手く喋れる自信が無いディアナは黙って任せるしかない。 

黙ったままのディアナは部屋の中央に立つよう指示を受ける。

マダムの助手が様々な布を宛がい、そのたびにマダムが目を細めて紙に筆を走らせていく。光沢のある高級な生地、精緻な刺繍が施された大幅のリボン、厚みのある温かな上質な布地などが自分の質素なドレスの上に宛がわれるたび苦しいほど動悸がしてしまう。救いを求めてレオンに視線を向けるが楽しそうに手を振られるだけで、ディアナは静かに項垂れた。

 

「お嬢様の可愛らしさにドレスのアイディアがどんどん溢れて来ますわ!」 

「ディアナ嬢は大変可愛らしいですからね。殿下の盛装も決まりましたし、舞踏会でのお披露目が楽しみです。ああ、このデザインはリボンを数か所だけにした方が良いでしょう」

「そうですわね! その方がドレープが綺麗に見えますわ」 

お披露目の言葉に緊張が奔り目が潤んで来るが、ふとここ数日王子の顔を見ていないと眉を寄せる。

レオンは仕立屋が来るたびに顔を出すが、王子はどうしているのだろう。

 

「・・・あの、レオン様。殿下は御忙しいのでしょうか」 

「殿下はいま、国王の命により他国へ足を運ばれております。明日の午後にはお戻りになりますので、直ぐにディアナ嬢の許へ足を運ばれましょう。今は御寂しいでしょうが明日の午後には御会い出来ますから御安心下さい」 

レオンの艶を含んだ口調にディアナは顔が紅潮しているのを自覚する。

最近王子から手紙が届かなかったのは自国を離れていたためかと安堵するが、それを知らされなかったことに寂しさを感じた。いや、寂しいと感じるなど烏滸がましいとディアナは強く目を瞑る。王子が優先すべきは政務であり、その一環で他国に行くことをわざわざ自分に報告する必要などない。ただ仕立屋が来るたびにレオンが訪れるから、王子も王城に居るのだと勝手に自分が思い込んでいただけ。

 

「いえ・・・。殿下が王城にお戻りになりましたら、御身体をお休み頂くようにお伝え下さいませ」 

「おや? それは本心ですか、ディアナ嬢」

「え・・・。あ・・・はい・・・」 

片眉を持ち上げたレオンの顔から視線を外す。

王子と一緒に過ごす時間が増えるほど今まで知らなかった感情が胸を締め付ける。今までの生活では誰かに逢えなくて寂しいなど思うこともなかった。そんな相手などいなかった。

本心かと問われ胸を締め付ける感情に戸惑いながら、正直な気持ちは直ぐにでも殿下に逢いたいと思う気持ちだけだ。自分は確かに寂しかったのだと実感する。

 

「殿下はディアナ嬢に報告する間もなく強制的に出立させられましたから、今頃はかなり苛立っておられるでしょう。ですからお戻りになりましたら存分に癒して下さいね」 

片付けを済ませたマダムが後日仮縫いに参りますわと挨拶する中、ディアナの耳にレオンが苦笑交じりに囁く。王子から書簡が届けられなかったのは、たったの三日だ。 

「私は・・・自分がこんなにも欲深な人間だとは知りませんでした」 

「欲がない人間など、この世にはおりませんよ。生まれ落ちた瞬間から人は欲を持ち、それを満たそうと努めるのです。赤子は乳が欲しいと泣き、子は遊び疲れると温かい食事と寝床を求め、齢を経れば長寿と若さを望む。その欲を満たそうとする努力は好きですよ、私は。他者に迷惑が掛からない限りは・・・、ですがね」 

「・・・レオン様」 

最後の言葉にはいつもの飄々とした感じがなく、吐き捨てるような口調に聞こえたのに胸が大きく跳ねる。レオンが口にした対象が誰かを感じたディアナは、頭に浮かぶ女性の姿を急いで打ち消そうとした。 

王弟が幽閉されていると、食事を運ぶ東宮侍女が衛兵と話しているのを耳にしたのは最近のこと。王子やローヴからそれに関しての話をされることはなく、立ち入ってはいけない領域だと自分でも了承している。ただ御息女であるエレノアのことは気になっていた。自尊心が高いと見てわかるほどの彼女が、今はどうされているのだろうかと気になり、そのたびに余計なことだと自分を戒める。

魔法を解くためとはいえ、自分が王子と共に王城に足を踏み入れたことが彼女の自尊心を傷付けたのだろう。待ち望んでいた王妃への未来が、田舎領主の娘によって塞がれることになると考えたエレノアは私を他国の商船に引き渡した。それほど嫌われていると解かっているのに自分が何か言うべきでも、考えるべきでもない。

自分は自分が出来ることを精一杯努力するだけだ。

 

「ディアナ嬢、何か難しいことを考えていませんか? 可愛らしい顔が曇っておりますよ。それよりも明日は殿下を癒すために菓子作りをしましょう。ディアナ嬢手作りの菓子を目にされたら、仕事の疲れなど吹っ飛ぶこと間違いなしですよ」 

「はい。殿下が喜んで下さるなら、幾らでもお作り致します」 

柔和な笑みを浮かべるレオンに、王子の周りには温かい人がいっぱいいて下さると心から嬉しくなる。

 

翌日、レオンに連れられ東宮厨房に向かった。

東宮厨房の料理人たちはディアナを笑顔で迎えてくれ、季節の果物をふんだんに使ったタルトを作る手伝いをしてくれる。少し前の自分なら東宮厨房に足を踏み入れるなど申し訳ないと怖じ気ついていただろう。だけど今の自分は王子の癒しが出来るなら、どんなことでも出来そうな気がして面映ゆくなる。 

「私どもの分も作って下さるとは、ディアナ嬢は本当に優しいですね」 

「このタルト、カスタードたっぷりで、めちゃ美味しいよ!」 

「果物がたっぷりで甘酸っぱくて、さっぱりしてて、幾らでも食べられるよ!」 

レオンと双子騎士からの称賛の声を耳にして、ディアナは嬉しいと微笑んだ。大きな窓から穏やかな日差しが降り注ぐ厨房近くの室内には庭園から運ばれた花が活けられ、ソファにゆったりと寛ぐ三人が出来たての菓子を食べていた。 

「殿下は夕刻前にお戻りになる予定ですが、ディアナ嬢はこちらで御待ちになりますか? それとも私と一緒に、王城正門まで出迎えに行きますか?」

 

レオンが楽しそうに問い掛けて来るが、一介の貴族娘が殿下の出迎えに行く訳にはいかないだろうと断った。気にすることは無いと双子騎士が笑うが、自分の身分や立場を考えると首を横に振るしかない。すると食べ終えたオウエンが真面目な顔でディアナを見上げて来る。 

「そろそろ、殿下の婚約者として皆に顔を覚えて貰った方がいいんじゃない?」 

「御許し下さい」

「そうだよ。舞踏会で国王と踊っていたのも知られてるし、未来の王太子妃が出迎えに来ましたよって宣言しちゃったら? 殿下はすげぇ喜ぶと思うけどな~」

「御許し下さい。・・・・本当に」 

ディアナが顔色を変えて首を振ると、レオンが室内に明るい声を響かせる。 

「ディアナ嬢は様々なことを学ばれている最中と伺いましたが、殿下のために必要なのは少しの勇気と決意だけですよ。殿下を愛しいと御思いになる、その気持ちだけで殿下はどんな試練も困難も乗り越えましょう。・・・・・至極単純な御方ですから」 

「そうそう、殿下の性格は単純明快! 前に伝えたでしょう? 殿下は頑固で融通が利かない、心から尊敬すべき御方だと。だからディアナ嬢を諦める気も手離す気もないって、殿下を知る人には周知の事実。もう覚悟を決めちゃったら?」

 

オウエンが紅茶を飲みながらディアナを見上げて来る。舞踏会が始まる前にオウエンから確かに聞いた話だと思い出すが、だからといって直ぐに覚悟が出来るはずもない。自分に自信が持てるよう今は一生懸命学び、役に立てるよう模索し続けるだけだ。好きになった相手が王子なだけに、浮ついてなどいられないと強く思う。 

「もう少し・・・、殿下のために役立つ人間になる努力を続けたいのです」 

「それがディアナ嬢の決意なんだね。いや~、惚れられているね、殿下は」 

「惚れ・・・・・」 

エディの言葉に発火したのではないかと思えるほど熱を放つ頬を押さえると、双子騎士から可愛いーと囃された。 

「殿下のために努めようとされるディアナ嬢の健気さに、私は胸を打たれました。そこまで想われている殿下が心底羨ましいです。女性心理を理解されない朴念仁が、どうして可憐なディアナ嬢にそこまで想われ尽くされているのか頭を捻りたくなりますが、王太子の侍従長としては心より歓迎致しますよ」 

「レオン様・・・・もう、お止めになって下さい」 

「レオン、そろそろお迎えに行った方がいいんじゃないか?」 

オウエンの声に肩を竦めたレオンが立ち上がり、軽く御辞儀をして退室した。熱を持ったままの頬を押さえているディアナは顔を上げることが出来ずに、双子騎士の忍び笑いを耐えるしかない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ディアナーッ! 変わりはなかったか!?」 

「殿下、御帰り・・・・っ!」

 

破壊音と共に開かれた扉から現れた王子に挨拶しようと立ち上がると、あっという間に抱き締められた。大きな腕に絡め取られ、ディアナの顔は王子の胸に痛いほど押し付けられる。 

「ディアナに事情を説明する間もなく出立させられてしまい、全く王には文句を山のように言っても足りないほどだ。何も伝えることが出来ずに・・・・本当に悪かった!」

「い、いえ・・・大切な御公務で御出掛になっていたのですから気になさらないで下さい」 

ディアナはぎゅうぎゅう締め付けて来る腕からどうにか顔を出し、謝罪の言葉を口にする王子に笑い掛けた。それに王子は国王より任された公務で王城を離れたのだ。のんびり東宮に滞在している自分に説明する必要などあろうはずもない。それよりも戻ったばかりの王子の顔を正面から見たいと腕から抜け出すと、真っ赤な顔が目の前に現れた。 

「お顔が赤いです、殿下。お疲れで熱でも出たのでしょうか」

「いやっ! こ、これはディアナの許可もなく抱き締めたことに恥じているだけだ」 

それでもディアナの腕を離そうとしないから、何と答えていいのか王子以上に顔が赤らんでしまう。腕を掴まれたまま互いに言葉を探しながら密やかに呼吸していると、背後から扉を軽やかに叩く音が聞こえて来た。

 

* 

 

「羞恥に悶える殿下を見るのは愉しいですが、一刻後には国王の許へ報告なさりに行くのでしょう? 無言で突っ立っているだけでは愛しい女性の心を掴むことは出来ませんよ」 

「レオンッ! な、なぁ・・・っ!?」 

「ディアナ嬢、お茶を御用意致しました。のちほど殿下を迎えに参りますので、それまではごゆっくりお過ごし下さいませ。・・・・殿下、騎士道精神をお忘れなく」 

「わっ、解かっている!」 

ほくそ笑みながらテーブルにトレーを置いたレオンが、ディアナの腕を掴んだままの王子を細めた目で見つめる。部屋に足を踏み入れた勢いで、またしてもディアナの赦しもなく抱き締めてしまった自分だ。騎士道精神を叩き込み直し不埒な行いはしないと誓ったはずなのだが、たった数日ディアナに逢えないだけで触れたい欲が強まっていると自覚し、レオンからの視線を甘受する。

それでも掴んだ手を離したくないと口を尖らせると、レオンが盛大に噴き出した。 

 

レオンが退室して部屋が静まり返ると、手を繋いだままの彼女が気になって来る。掴んだ手を離したくはないが、急に抱き締めてしまった自分の粗暴な行いをディアナがどう思っているのだろうと考えると動悸が激しくなる。落ち着こうと深呼吸して、目を瞠る匂いに意識が呆けた。 

「・・・菓子、がある?」 

「あ、あのっ殿下に・・・お作りさせて頂きました・・・ので、宜しければ召し上がって頂けますでしょうか。直ぐに紅茶を用意させて頂きますので一緒に」 

「ディアナの手作りか!?」

 

腕の中のディアナを見下ろすとコクコクと頷く顔が見え、ギルバードは破願してしまう。手に力が入りそうになるのに気付き、息を吸い込みながらディアナを見つめた。 

「嬉しいよ、ディアナ。抱き締めて・・・・いいだろうか」 

「っ! あ・・・は、はい・・・」 

少し俯いたディアナの耳朶が赤く染まっているのを目に、ギルバードはそっと腕を回して彼女を抱き締めた。先ほどは気付かなかったが彼女から立ち昇る薔薇の香りに口端が持ち上がり、そっと頭にキスを落とす。愛しいと思う感情が溢れて強く抱き締めそうになる自分を制しながら、頭の隅に転がる騎士道精神を必死に叩き起こした。

「・・・ありがとう。早速食べさせて貰うよ」 

離れがたいと思いながら腕から解放すると、ディアナは目を瞬きながらお茶を淹れ始めた。テーブルには大きなタルトがあり季節の様々な果物が飾られている。一口食べると果物の酸味とカスタードの甘味が咥内いっぱいに広がり、ギルバードは満面の笑みを浮かべながら食べ進めた。

 

*

 

「すごく美味い! これは俺が全部食べてもいいのか?」 

「もちろんで御座います。それと殿下にお礼を申し上げたいと思っておりました。舞踏会用のドレスを御贈り頂き、ありがとう御座います」 

「もう出来たのか?」 

「いえ、まだで御座います。仕立屋のマダム・エルサ様とレオン様に御任せしてしまい、どんなドレスになるのか私も存じ上げませんが、とても・・・・」 

美味しそうに菓子を食べる王子に笑みが零れたディアナだが、ドレス製作を話し合うマダムとレオンを思い出し、笑みが強張ってしまう。

王子の衣装と揃いにしましょうとレオンが提案し、マダムがそれでしたら最高級の布地を用意致しますわと微笑んでいた。王宮に持ち込んだ布地でさえ高価な品なのに、それ以上は心臓が止まってしまうとレオンに訴えたが、彼は目を細めて曖昧な笑みを浮かべて頷くだけだ。レオンの頷きは、自分の言い分を理解してくれた訳ではないと解かるからディアナは蒼白になる。

どれだけ高価なドレスになるのか想像するのも怖いし、まだ不明瞭な立場の自分が国王陛下生誕祝いの舞踏会で王子と揃いの衣装を身に纏うなど考えるのも恐ろしい。 

 

「ディアナ、すごく美味しかった! 次はパイがいいな。って、また作ってくれるか? 忙しいなら無理は言わないが、ディアナの作る菓子は俺好みの味で本当に美味しい」 

「・・・・・・ええ、もちろんで御座います」 

気付けば用意していた菓子は全て消えていた。

たくさん召し上がる王子のためにと果物たっぷりの大きなタルトを用意したはずだが、足りなかったのかとディアナは目を瞠る。次はもっとたくさんの菓子を作ろうと決意しながら紅茶を注いでいると、王子に見つめられている気配に気付いた。 

「あ、あの・・・何か?」 

王子の柔らかな視線に、ディアナの頬がじわりと熱を持つ。黒曜石の輝きを持つ瞳に映し出されているのは自分だと思うだけで息が詰まりそうになり、思わず問い掛けてしまった。紅茶を出すと同時に手を差し出され、隣に腰掛けると包み込むように手を握られる。

 

「ディアナが俺のために菓子を作ってくれたことと、見つめても目を逸らさずにいてくれることが嬉しいんだ。ローズオイルの香りもディアナによく合っている」 

「・・・・っ」 

嬉しそうな王子の笑みを前にディアナは目を瞬いた。握られた手から伝わる熱で身体中が熱くなり、同時に王子の言う通りだと自覚する。王子を敬愛する気持ちに変わりはないが、畏れ多いと視線を避けるような態度を取ることは無くなった。 

ディアナと視線が合う。 

それが嬉しいと言ってくれる。 

王子の言葉はいつも心を温かくしてくれると、ディアナは包み込む手を握り返した。幾度も瞬きをしているはずなのに王子が歪んで見え、鼻の奥がつんっと痛いほど熱くなり泣き笑いしたくなる。

 

 

「ディアナ!? どうした?」 

「わ、たしも・・・・殿下に見つめられるのが・・・嬉しいです」 

眉を寄せながら今にも泣きそうな顔を見せるディアナに、一瞬ギルバードは戸惑った。

また何か戸惑わせるようなことを口にしたかと動揺するが、耳に届けられた言葉に息が止まりそうになる。少しずつ変わっていくディアナに、その愛しさに、頭の奥が痺れる感覚に支配され、気付けば彼女の身体を抱き締めていた。

こんなにも誰かを愛しいと思ったことは無い。握り返された手の温かさに、鼻の奥が熱く感じる。温かくて、熱くて、この想いをどう伝えたらいいんだと唇を震わせる。ディアナが言葉にして応えてくれることが、嬉しくて愛しくて、胸が潰れそうだと思った。 

「ディアナ・・・・好きと言う言葉では言い表せないくらい、愛しいよ」 

胸の中でディアナが頷くのを感じ、もっと強く抱き締めたいと身体の向きを変えようとして彼女の身体が強張るのを感じる。慌てて腕を広げると小さな悲鳴が聞こえ、見下ろすとディアナの髪が胸の釦に絡まったのだと判った。 

「ごめん! 動かずにいるから・・・。前にもあったな、こんなの」 

「・・・・はい」 

釦から髪を外すディアナが笑んでいるのが見えた。

以前、乗馬の後に具合の悪くなったディアナをベッドに運び、そこで押し倒しそうになったのを思い出したギルバードの額にじわりと汗が浮かぶ。

あの時ははっきりと意識していなかった自分だ。レオンに朴念仁と揶揄されても気にもならなかったが、ディアナはどう思っていたのだろう。意識してからも一人ではどうしていいのか悩むばかりで、結局は彼女を振り回すばかりで、こうして互いの気持ちが通じ合えたのはレオンやローヴ、悔しいが国王からの煽りやお節介のせいだと解かっている。

 

「本当に・・・・俺はまだ足りないところだらけだ。ディアナが勉強している間に少しでも心身共に成長出来るよう、もっと努力が必要だと実感するよ」 

「そんな! 殿下に足りないところなど御座いません」 

「いや、周りからの助けが無ければ何も出来ない情けなさを重々承知している」 

髪を直すディアナを見つめながら自嘲していると、柔らかな笑みが返って来た。

「それは殿下が優しい心を御持ちだからです。だから周りの人たちが手を差し伸べるのでしょう。優しく皆に慕われる殿下と想いが通じ合えたことは本当に奇跡のようで、だからこそ私はお役に立てるよう、側に居られるよう学びたいのです」 

彼女の凛とした声に胸が熱くなり、ギルバードはディアナの前に跪き手の甲に唇を寄せた。顔を上げると目を丸くするディアナがいて、その驚いた顔も可愛いと笑うと恥じらいながらも見つめ返してくれた。 

今更ながらディアナと出逢った十年前の自分を褒めたくなる。 いや、感情を爆発させてディアナに魔法をかけてしまったことは申し訳ないと心から反省するが、あの出会いが無ければ今の自分はない。

 

甘やかな薔薇の香りを纏うディアナの頬をそっと包み込む。

ゆっくりと目を瞬く彼女から目を離せずにいたが、やがて二人同時に目を閉じた。

 

 

 

 

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