紅王子と侍女姫  67

 

 

甘い時間はあっという間に過ぎるもので、王子は恭しくも大仰に扉を開いて登場した王太子殿下侍従長に首根っこを掴まれ連行されて行った。 

その姿を呆けたまま見送ったディアナは自身の唇をそっと押さえ、濡れた感触に息が止まりそうになる。深く、それでいて甘く優しいひと時を思い出して指先が震え、その指先が触れるのは少し前まで愛しい人と重なっていた唇だと目が潤む。

 

侍女として過ごしていた頃は美味しく料理を作れた時やたくさんの野菜が収穫出来た時、織物が完成した時、天気が良く洗濯物が一気に乾いて片付けを済ませることが出来た時などに自分は幸せだと満足していたが、その時の気持ちとは比べ物にならないほどの幸せを王子から与えられている。

もっと王子のために努力したい。 

王子の役に立てるよう、王子が癒されていると感じて貰えるよう、王子に喜んで頂けるよう、そのための努力ならどんなことも厭わないと強く思う。

好きだと伝えてくれる唇が重なる喜びを、黒曜石のような瞳が自分を見つめてくれる喜びを、力強い腕に抱き締められる喜びを教えてくれた王子が心から笑ってくれるなら。王子の側に居たいと望む自分を今は烏滸がましいとは思わない。もっと望まれるように努めたいと思う自分が面映ゆく、変わっていく自分に戸惑いながらも心が温かくなる。

 

 

 

自国の歴史を含めた王宮関連の勉強はローヴと魔道具のお蔭でディアナが思うよりも早く終了し、足りないと自覚していた貴族息女としての一般教養や他国の歴史を学び始めた。勉強が終わると王子のために菓子を作り、そして二人の時間を過ごす。

今日も王子から手紙が届けられ、ディアナの部屋で会うことになった。

 

「これはチーズクリームのパイか。・・・んっ、甘くて美味しい!」 

「そう言って頂けると嬉しいです。殿下、次は何をお作り致しましょうか」 

「ディアナが作る菓子はどれも美味しいから任せるよ。楽しみにしている」

 

豪快に食べる王子に紅茶を差し出し、笑みを零しながら互いに見つめ合う。真っ直ぐに見つめられ戸惑うことも未だあるが、嬉しいと素直に思えるようになっていた。今日は大きなパイを三種類と大きなプディングを用意したが、いつものように豪快に食べる王子を見ると足りなかったかしらと心配になる。

 

「ローヴがディアナは呑み込みが早いと褒めていた」 

「魔道具のお蔭で御座います。音楽を聴いている内に自然と覚えられ、楽しく学ばせて頂いております。殿下も同じように学ばれたのですか?」 

「俺はスパルタ教育だった。各教科の博士が何事も書いて覚えろと、何時間も椅子に拘束された。腰が痛くなったと文句を言おうものなら騎士団演習場に連れて行かれて剣の鍛練。魔道具の存在を知ったのは、ずいぶん後になってからで、文句を言う気にもなれなかった」

 

不貞腐れた顔でパイを頬張った王子が、ディアナに優しい眼差しを向けてくる。 

穏やかな時間がゆっくりと流れていくのを感じていたが、ふと王子の妃として明確な立場になった自分が思い浮かんだ。国王主催の舞踏会で多くの貴族に傅かれる中を歩く自分の姿を想像して思わず眉が寄ってしまうが、自分が見つめるのは王子だけだと目を瞑る。まだ想像だけでも蒼褪めそうになる自分だが、一生懸命学び続けたら誰の前でも自信を持って背を正せるようになれるはず。

そう信じてディアナは顔を上げた。

 

「ディアナ、疲れた時は休むんだぞ。無理する必要はないからな。菓子作りも無理しなくていいからな。俺はこうして一緒に過ごせるだけで嬉しいから」 

「ありがとう御座います。でも菓子作りは続けたいです。殿下が美味しそうに召し上がって下さるのを見るのが、何よりも嬉しいのです」 

「夢中で食べている俺はだらしない顔だろう? 遠慮なく笑ってもいいぞ」 

「そんな、笑うなど致しません。作った菓子をたくさん召し上がって頂けるのは嬉しいことですし、殿下の顔はいつも凛々しくて目が離せなくなりますのに」

 

目を大きく見開いた王子の表情に、ディアナは自分が何を言ったのかと慌てて顔を伏せた。男性の顔から目が離せないなど口にした自分が恥ずかしくなり、同時にいつまでも学ばないと情けなくなる。

 

「・・・それなら、これからもどうか俺から目を離さないでくれ。ディアナがその瞳で俺を見ている。そう思うだけで俺はどんな困難にも立ち向かうことが出来るだろう。ディアナがこれからも見続けたいと思うに値する男になると誓うから」 

「・・・・殿下」

 

真摯な声に顔を上げると手を握られる。王子の温かい気遣いと優しさに瞳が潤みそうになり、ディアナが目を瞬いていると大きな手が頬を包み込み、眦に柔らかなキスが落ちた。

 

「あっ! 許可もなく・・・ごめん」 

「い、いえ。許可など・・・・・そんな・・・・いりませんから」 

「時に許可は必要ですよ、ディアナ嬢。そのままでは殿下に際限なく求められ、結果、御困りになること間違いなしでしょう。たまには駄目だと叱ることも必要です」

 

突然背後から聞こえて来た第三者の声に悲鳴を上げて立ち上がろうとするディアナを引き寄せ、ギルバードは大きく息を吐き出した。振り返らずともレオンの声だと判り、いったい何時からいたのだと、何処まで見られたのだろうと苛立ちが沸き立ってくる。

 

「レオン、明日のことか? 休憩が終わったら執務室に戻るから」 

「申し訳御座いませんが、宰相より明日のことで急ぎの話があるので来て頂きたいと伝言を承ってます。それと、ディアナ嬢に明日の視察のことは御話しになりましたか?」

 

レオンから仕事の話しが聞こえ、顔を上げると眉を顰めた王子がディアナを見つめていた。明日は視察に行くと聞こえたが、何故そんな顔をされるのかと首を傾げると王子が大きな溜め息を零す。

 

「はぁ・・・。この間戻って来たばかりだが、またしばらく王城を離れることになった。今回はレオンを同行させての視察となり、たぶん前より長くなると思う」 

「お仕事が御忙しいのですね。どうか御身体には充分お気を付けて行ってらっしゃいませ。お戻りになりましたら、また菓子をお作りさせて頂きます」

 

ディアナの言葉にギルバードは掴んだままの手に力が入りそうになった。

今回王より命ぜられたのは、同盟国で新たに品種改良された寒さに強い小麦を視察することだ。エルドイド国は領土が広い分、寒暖の差も大きく収穫高に大きな差が生じる年がある。自国でも栽培出来るか開発者との話し合いも必要で、出来たら苗の売買交渉もしたい。そうなると長引く可能性も出て来るだろう。

しかし最近のディアナは以前よりずっと綺麗で可愛くて、何より微笑みながら見つめてくれるようになったのだ。一時でも離れるのが辛いと思うのは仕方がないと口を尖らせる。見つめ合える心地良さを満喫していたギルバードは呻き声を上げながら頭を掻き毟った。

 

「殿下、呻いている暇などありませんよ。さっさと立ち上がって王宮執務室へ足を運ばれて下さい。それとディアナ嬢。三日後に仮縫いをしますとマダム・エルサから連絡がありましたので、当日は双子騎士が迎えに行くまで図書室にて御待ち下さい」

 

呻き続ける王子が気になるが、戸惑いながらレオンに頷く。

しかし仮縫いと聞き、ディアナは視線が彷徨ってしまう。アラントルの姉に絹の下着を送って欲しいと手紙を出したが、まだ届いていない。街に買いに行きたくてもお金を持っていない自分だ。

恥を忍んでカリーナさんにお願いしてみようと考えがまとまった時、レオンが手を叩いた。 

静かに扉が開かれると三人の東宮侍女がそれぞれに箱を持ち運んでくる。テーブルに置かれた箱はどれも大きく、煌びやかなリボンが上品に括られていた。レオンを見上げると垂れた目を輝かせて直ぐに開けて見て欲しいと言う。リボンを解くと箱の中には五着の綺麗なデイドレスが入っており、もう一つの箱も同じだった。そして最後の箱を開けたディアナは慌てて蓋を閉じる。

 

「レ・・・レオン様、あの・・・・」 

「ああ、それは僭越ながら勝手に御用意させて頂きました」

 

笑顔で答えられたディアナは真っ赤になりながら、コクリと唾を飲み込んだ。箱の中には絹の下着が入っており、どうしてレオンがそこまで用意したのだろうと困惑してしまう。助かったと思う気持ちと同時に激しく動揺してしまい、素直に礼を伝えることが出来ない。

 

「どうしたディアナ、真っ赤な顔になって。その箱の中身に問題が?」 

「い、いえ! あ、レオン様・・・その、お気遣い頂きまして、ありがとう御座います。正直なところ、大変・・・・あの、助かりました」 

「いいえ。女性の憂いを取り除くのも男の役割ですから、気兼ねなく御着用下さいませ。足りないようでしたらマダムに注文して下さい。カリーナ様に頼んでも構いませんからね」

 

足りないと言われても大きな箱いっぱいに詰められた下着の数に、羞恥と共に血の気が引く思いがして首を横に振るのが精一杯だった。持参した質素な自分のドレスとは比べ物にならないほど上質なドレスが計十着と、綺麗な光沢の絹の下着。失礼だと思いながら、購入金額を考えそうになる。それも、それを用意したのが王太子殿下付き侍従長ともなれば、今の自分はちゃんと呼吸出来ているのかしらと不安になるほどだ。

 

「では殿下は急ぎ宰相の許へ向かって下さい。それと、ディアナ嬢にお時間が御座いましたら、明日より王城を離れる殿下と私のために菓子を作ってはくれませんか? 少しでもディアナ嬢から離れるのを厭う殿下を宥めるためにも、是非お願い致します」

 

楽しげなレオンの声に王子の舌打ちが重なり、思わず笑みが零れてしまう。顔を上げると王子が手を差し出していて、素直に手を重ねると厨房まで一緒に行こうと誘われた。部屋を出ると近衛兵に恭しく御辞儀され、慌てて手を離そうとすると強く握られる。

 

「ディアナの覚悟が整うまでは妃に関して公表しないが、俺の気持ちの中はすでに決まっている。だから嫌がらずに、どうかこのまま手を握らせてくれ」 

「い、嫌がっている訳ではありません。ただ私が・・・・」 

王子と手を握ることを嫌がっている訳ではない。王子の側に居たいと自分も望み、そのための努力をしている最中だ。だけど周囲の自分を見る目も気になるし、恭しげに御辞儀をされるのも未だ戸惑ってしまう。質素なドレスを身に纏った田舎娘が皆に傅かれるのはやはり心苦しい。知らず俯いてしまうと顎を持ち上げられた。

 

「ディアナ。慣れない環境で戸惑わせていると思うが、それでも離したくない。俺が心から望むのは君だけだ。必ず幸せにすると誓うから、ディアナのこの手もその心も決して離そうなど思わないでくれ」 

 

真っ直ぐに見つめて来る黒曜石が僅かに顰められているのを目に、ディアナは繋がれた手を握り返した。自分の気持ちを正直に伝えることが互いを想い合うことだと口を開く。

 

「正直・・・戸惑うことは多々ありますが、殿下から離れようとは思いません。戸惑うのはまだ自分に自信が持てないからです。でも私も殿下の御側に居たいと望み、そのために学んでいます。ですから離れるなど致しません」 

「ディアナ・・・。いま、抱き締めてもいいか?」 

少し掠れたように聞こえる声がディアナの耳に落ち、途端に膝から力が抜けそうになる。掠れ、熱を孕んでいるような声色に心臓が大きく跳ね、直ぐに返事をすることが出来ない。

繋がっていた手が離れるとディアナを包み込むように柔らかに抱き締められる。王子の腕に包まれながら、何故いつもと違うと思うのだろうと自身の胸を押さえた。腕の強さも温かさも同じはずなのに心臓が痛いほど跳ね続け、渇いた咽喉に唾が上手く飲み込めないと目を瞬く。どうしたらいいのかと俯くと更に強く抱き締められ、頭に落とされるキスの音に思わず叫びそうになり口を押えると、背後から咳払いが聞こえて息が止まりそうになる。

 

「殿下、無粋なことは言いたくないのですが宰相を待たせておりますので、申し訳ありませんが、そこまでにして頂きますか? ・・・一週間ほどで戻る予定ですしねぇ」 

「レッ! い、居たのか!?」 

「一緒に部屋を出ましたので、ずっと背後に控えておりましたが?」 

抱き合っていた場所は廊下だと気付き、激しい羞恥に逃げ出したいと思っても王子の腕は離れない。恥ずかしさに顔を伏せているとレオンから声が掛けられた。

 

「ディアナ嬢、殿下を御連れしても宜しいですか?」 

「っ、はいっ! あ、足を止めてしまい申し訳御座いません」 

「足を止めたのは殿下の方です。お二人の仲睦まじい姿を目にするのは大変喜ばしいのですが、宰相に呼ばれておりますので御許し下さい」 

「い、いえ。御政務の方が大事で御座います」 

「ディアナの方が大事に決まっている! ディアナ、俺のために作ってくれる菓子を楽しみにしているからな。戻ったらダンスの練習をしような。それと舞踏会で王と躍るのは一曲だけだ。王にもそれは伝えておくが、しつこく誘われても決して頷くなよ。いいか、王と踊るのは一曲だけ! あとは俺とだけ踊ると約束してくれ、ディアナ」

 

身体が離れたと同時に王子が矢継ぎ早に語り出し、しかし目を瞬いている内にレオンに引き摺られて王宮へと連れて行かれた。東宮厨房から料理人が顔を出し、何事かとばかりにディアナを見つめて来るから恥ずかしくて堪らない。

 

 

***

 

 

王子が出立して二日後、東宮図書室で本を読んでいると双子騎士が顔を出した。 

「ディアナ嬢、仕立屋が来るから王宮に移動するよぉ」 

「明日は一緒に街に行って買い物でもする? それとも乗馬する?」 

王宮へ向かいながら双子騎士に問われたディアナは国王の誕生祭に何か贈り物が出来ないかと考える。姉に絹の下着を送ってくれるよう頼んだ手紙にお金も一緒に入れて欲しいと書いたが、まだ届かない。アラントル領は広大なエルドイド国の端に位置し、手紙が届くのに最短でも四日は掛かる。それから荷物が送られるとなれば、もう数日は掛かるだろう。

 

「あの、買い物は別の日に御連れ頂けたら嬉しいです」 

「じゃあ、乗馬に決定だね。騎士団長に馬場を使うって伝えておくよ」 

「今度は俺の馬に乗ってね、ディアナ嬢」

 

エディが前に約束したよねと、笑いながら仕立屋が待つ部屋の扉を叩いた。

仮縫いでドレスを脱ぐこともあるだろうと双子騎士は隣室で待つこととなり、一人残されたディアナは緊張に顔が強張りそうになる。いつも話すのはレオンばかりだったため、一人でマダムと会話出来るかしらと扉の陰で頬を叩く。

室内に入るとマダム・エルサの他、付き添いの女性が三人いた。普段マダムが連れて来る付き添いの女性は二人のはずだが、仮縫いのために増えたのかしらと思っているとマダム達が静かにソファに移動し、挨拶も会話もないまま腰掛けてしまう。 

 

「あの、マダム・エルサ様?」 

 

ディアナの問い掛けに返事もしない三人の表情はどこか虚ろに見えた。そしてディアナが戸惑っている間にソファに深く身体を沈ませると目を閉じて眠り始めてしまう。いつもと違うマダム達の態度と行動に目を瞠り、振り返るとその初めて見る女性が表情も変えずにゆっくりと近付いて来た。

その表情に肌が粟立ち、何かがおかしいと頭の中に警鐘が鳴る。

大声で隣室の双子騎士を呼ぶべきかと思ったが、不用意なことをしてマダム達に何かあってはいけないと前を見据えた。無表情のまま近付く女性の目的が間違いなく自分だと判ったディアナは、この場から離れた方がいいと考え踵を返すが、扉に向かう途中で背後から伸びて来た手に捕まりそうになり必死で振り払う。そして振り払い逃げ出したディアナの頭上に布が覆い被さり、声を殺して布を掻き分け顔を出すと 

―――――景色が一変していた。

 

「こ・・・・ここは・・・・?」 

布から脱して見えたのは一面の緑。

何があったのか理解出来ないディアナは呆然と立ち尽くす。

足元には苔生した地面と大きな岩がいくつも見え、太く高い樹木が何処までも広がっていた。湿っぽい土と樹木の清々しい匂いに、今いる場所は山の奥深い場所だと判る。遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、眩しい日の光が葉擦れから零れ落ちて地面に白く歪な円を描く。ディアナはどうして自分がここにいるのか判らず、周囲を見回した。

 

「エ、エレノア様!?」 

振り向くと黒い外套を羽織ったエレノアと、仮縫いのために来たはずの付き添いの女性がいた。

女性が杖を振り上げると同時に姿を変え、ローヴやカリーナが身に着ける魔法導師の衣装となり、そして男性へと姿を変える。足を震わせながら場を離れようとすると幾本もの蔦がディアナへと伸び、そして手足に巻き付いてきた。

 

「なっ?・・・やっ!」

「御機嫌よう、王城には場違いな田舎娘。ギルバードがお前を連れて来たせいで、私の輝かしい未来が失われてしまったわ。―――今日はその礼を伝えるために招待しましたの」 

 

エレノアからの冷ややかな表情と憎々しげに吐き出される台詞を耳にして、ディアナは何故自分がここに連れられて来たのか、厭でも理解出来た。王弟が幽閉された今、王城での彼女の待遇は以前と同じという訳ではないだろう。血の気が失せたような顔色と憎悪に満ちた瞳が、得るべきだった輝かしい未来を返せとディアナに訴えているように見えた。

だけど王宮瑠璃宮の魔法導師が、どうしてエレノアに協力しているのかが解らない。ディアナが隣に立つ魔法導師に視線を移すと、エレノアが片眉を上げて嘲笑を零す。

 

「あらあら、これに助けを求めようとしても無駄よ。彼は瑠璃宮に住まう卑しい魔法導師たちとは違い、とても優秀な者だから。私の願いを叶えるために遣わされた魔法使い。愚かな王子の間違いを正すために私の手助けをしてくれる他国から来た者。だから、お前に惑わされることもない」 

「殿下を・・・・正す?」 

「そう、愚かな王子は田舎娘に誑かされて血迷われてしまった。お前が王城に来てから私の立場と名誉は穢され、御父様までもが幽閉されてしまった。それも全て、全部、お前が来てからのことよっ! お前がギルバードの妃候補など私は認めない! 突然現れ、国王まで誑かす卑しい娘! お前が未来の妃など、私が赦さない! 私の城から、王城から出て行きなさい!」 

「エレノア様、私の話をお聞き下さい! 私は殿下も国王様も誑かすなどしておりません。殿下のために努力したいと、殿下の御側に居たいと望むだけです!」

「田舎娘が大それたことを望むものね。お前に相応しいのは王城などではないわ!」

「殿下と約束したのです! 離れないとっ」

 

ディアナが叫ぶと同時に魔法導師の杖が振り払われ、手足に巻き付く蔦が増えて身体が後ろへと引っ張られた。勢いよく太い樹肌に叩き付けられ、息が止まる。痛みに顔を顰めながら二人に視線を向けると、魔法導師が呪文を詠唱し始めたのが見えた。

シュルシュルと擦り音を立てて増えていく蔦が身体を覆い始め、緑の蔓が無数に絡み合う。指先を動かそうとすると引き攣れた痛みを感じ、見ると巻きひげの吸盤が食い込んでいた。

 

「エレノア様っ、殿下は・・・・殿下の御気持ちを無視なさるのは」

「勝手に口を聞くなど許さぬ。お前が姿を消せばいいだけのこと。余計なものを王城から排除するのは未来の王妃としての務めです。ほら、ここは田舎娘に相応しい場所であろう? この山は隣国との境界域。普段は誰も足を踏み入れぬ場所。朽ちるが先か、獣の腹に入るが先か・・・楽しみにされるといいわ」

「エレノア様! お願いで御座い・・・っ」

 

絡み付く蔦が大木とディアナを同化するかのように数を増やし、口元までもを覆い始めた。緑の縄に幾重にも打たれた状態では口を開くことも出来ず、目を瞠ってエレノアを見つめるしか出来ない。

ディアナの様子に満足げな笑みを浮かべた彼女は、背後の魔法導師へ優雅に振り向いた。

 

「さて、御父様の許へ行き、喜ばしい報告を伝えねば」 

「・・・エレノア様。この少女は王太子殿下の妃候補、なのですか? エレノア様を陥れる危険極まりない者とお聞きしておりましたが、ただのか弱い一人の少女にしか見えません。ここでこのまま少女を罰するのではなく、一度ローヴ様の意見を伺いたいのですが・・・・」

 

困惑した表情を浮かべる魔導師は、最近グラフィス国から瑠璃宮に来たばかりで王城内の事情がまだ良く理解出来ないと眉を寄せる。王族を守るために存在する瑠璃宮の魔法導師としてエルドイドに来たのだから、王族であるエレノアの言う通りに動くよう言われ付き従って来たが、少女の言葉を耳にして、魔法導師長の意見を聞きたいと訴えた。

エレノアが表情を落とし、魔法導師に問い掛ける。

 

「お前が腰に提げているランタン、それがあれば王城に戻れるのよね」 

「はい。エルドイド国にまだ不慣れな私のために、用意して頂いた魔道具です」 

「持ち上げ、指示するだけで王城に戻れる魔道具ね」 

「ええ、そうですが・・・その前に、本当にこの少女は王太子殿下を陥れようとしているのでしょうか。この少女の言う通り、王太子殿下と直接お話し合いをされた方が良いと思うのですが」

 

魔法導師の言葉にエレノアの表情が歪み、短い哄笑を上げて身体を震わせた。困惑した魔法導師が思わず退くと、エレノアは激しく睨み付け指を突き付ける。

 

「お前は王族のために王城に居ることを赦された卑しい存在の癖に、王族である私に意見を述べると言うのか? ギルバードと話し合いですって? 汚れた血を持つ穢れたアレと、この私が何を話し合えと? アレが為すべきことは、黙って私を妃に迎えることだけよ。この大国で最も権力ある妃の座を、この私に渡すと口にするだけでいい!」

「あ、貴女様は私を謀ったのですか!? この少女が貴女を陥れると言うのは」

「この女は私から未来を奪おうとしている恐ろしい女なのっ!!」

 

魔法導師の腰に手を伸ばしてランタンを奪うと同時に、エレノアは手に隠し持っていたナイフを彼の胸に深く沈ませる。突然の惨劇にディアナのくぐもった悲鳴は深淵に零れ落ち、魔法導師は目を瞠ったまま苔生した岩肌に倒れた。

 

「エ、エレノア・・・・様・・・」

「お前の用は済んだ。さあ、王城へ!」

 

エレノアが笑みを浮かべてランタンを持ち上げると、その姿は瞬く間に掻き消えてしまう。

ディアナの目の前には倒れた魔法導師の姿があり、その身体から流れるものが苔生した地面を違う色に染め始めた。助けたいと必死に身体を揺するが蔦はその数を増すばかりで、伸びてきた蔓が口だけでなく頭までを押え込む。抗おうとするも手足は動かせず、そして視界が緑に覆われてしまった。

 

 

 

 

 

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