紅王子と侍女姫  78

 

 

小麦の視察を終えると、挨拶もそこそこに帰国の旨を告げた。

その後急ぎ国境まで移動し、小休憩のために停まった馬車の中で視察書類をまとめ終えたギルバードは、レオンに書類の校正を頼むと、座席にぐったりと倒れ込んだ。

視察国から訪れた早々にギルバードの妃に関する話題が出たが、まだ自分は若輩であり勉強中であることを理由にやんわりと話を逸らした。事前に宰相から話を聞いていたお蔭で心構えが出来ていたが、それでも衝撃はすごかったとギルバードは顔を顰める。

 

今回、視察に訪れたのは同盟国であるバールベイジ国。

ギルバードに婚姻を申し込んでいる第二妃の娘ビクトリアは、四年前にエルドイド国で催された舞踏会に参加したという。その舞踏会でエルドイド国の王子を初めて目にした彼女は、父王に強く懇願した。

どうしてもギルバード王子の妃になりたい、と。

富国強国のエルドイド国と懇意になりたい国は数多くあり、王位継承者であるギルバードの許には国内外から多くの婚姻申し込みが舞い込んでいる。王宮で催される舞踏会には王子と懇意になろうと、着飾った多くの令嬢、王女が集まる。

それを知ったビクトリアは悩んだ挙句、奇策を思い付き実行に移した。それは他国より多くの魔法導師を集めることで、そして集めた魔法導師に様々な術の開発支援を行なう。魔法導師が尽力した結果は多岐に亘り、その内の一つ寒冷地でも丈夫に育つ小麦の開発で、エルドイド国の王子を呼び寄せるに成功した。

 

「ビクトリア姫様は殿下より一つ下の十九歳。思い込んだら一直線、四年もの月日を殿下を自国に招くためだけに費やして来られた。・・・怖いほど愛されていますねぇ、殿下。ディアナ嬢の存在が知れたら、もっと怖いことになりそうで、私も緊張してしまいました」

「・・・話しを聞いていて良かった。出来るだけ視線を合わすことなく過ごせたはずだ」

「それがストイックだとか、騎士然として素敵だわ~などと受け取られていないように祈るばかりです。あの視線を思い出すだけで、流石に・・・・」 

いつも飄々としているレオンが言葉を濁して窓外へと視線を投じる姿に、ギルバードも黙したまま鳥肌が立つ腕を擦った。

舞踏会などで国内外の貴族の令嬢らと会う機会は多いが、正直、彼女に会った記憶はない。ましてや貴族息女の背後関係に気を取られることが多く、顔など覚えているはずもない。しかし今回視察後に紹介されたビクトリア王女を目にして、生涯忘れることはないだろうと顔が引き攣りそうになった。

 

胸の谷間も露わにアラゴン・オレンジのドレスを身に纏った王女が差し出すのは、明らかに媚薬系の香り漂う紅茶。さらに頭から香水を被ったかと思うほどの息苦しい匂いに、思わずレオンに視線を向けると、こっちを見るなと顔を逸らされた。強張った笑顔で紅茶を退けつつ視察の内容について話しを始めたが、視界の端に王女が薄気味悪い笑みを浮かべながら紅茶をじりじりと近付ける動きが見え、その場から思わず立ち上がりそうになる。場の雰囲気を承知しているだろう担当大臣が焦ったように話を進めるが、王女からの視線が突き刺さるようで集中できずに苛立った。

足元から這い上がるのは恐怖に似た寒気だ。

何故王女が何時までもこの場にいるのかと問う視線に気付いた大臣が、額に浮かぶ汗を拭いながら口を開く。ビクトリア王女が集めた魔法導師のお陰で寒冷地に強い小麦が実ったのだと。その経緯については王女が詳しいため同席しているのですと話し、改めて王女を紹介された。生育過程の説明をしてくれるならと覚悟を決めると、王女が挨拶とともに舐めるような視線を投じて来た。その視線から逃げるように立ち上がり深く御辞儀をした途端に王女から嬌声のような悲鳴が上がり、何事かと顔を上げてしまう。

目が合った瞬間、一気に赤味を増した王女の顔色と発作かと思うほどの荒い息遣いを漏らしながら身悶える様に目を瞠っていると、大臣が慌てたように売買交渉を始めましょうかと大声を上げた。

ドレスが揺れ動くたびに顔を歪めたくなるほど瘴気のような香水が漂う中、ギルバードは強張った笑顔のまま小麦の売買契約を始める。クスクスと気を削ぐような忍び笑いが纏わり付き、苛立ちが顔に出ないように努めるだけで疲労困憊となり、早々に話しを切り上げた。

もちろん苗の購入にまでは至らず、今回は断念しようと決める。どうにか最後まで笑顔を貼り付けながら王城を離れることが出来たギルバードは、もう二度とバールベイジ国には足を踏み入れないぞと心に固く誓った。

 

「二年間の視察中、あちこちから見合い用の肖像画が送られてきました。もちろんバールベイジ国からも送られて来ておりましたが、王女本人を目にして、かの国の王宮絵師を褒め称えたくなりました。良くぞあそこまで現実を無視した空想画を描けたものだと、同時に絵師としての矜持を無視せざるを得なかった状況を想像し、思わず落涙しそうになりましたよ」

「おま・・・、そこまでは女性に対して」

「殿下しかおりませんので構いませんでしょう。王女の媚びた笑みと吐き気を催す香水、似合わぬドレスから覗く脂肪の塊に、何度窓を開けて深呼吸したいと思ったことか。ましてや媚薬入りの紅茶。惚れた相手を得ようと行動を起こすのは好ましいことですが、視察及び交渉の場に於いて、あれは呆れてしまいました。どのような淑女教育を受けて来られたのやら」

 

滔々と吐き捨てるレオンのあからさまな嫌悪を示す態度に、ギルバードは心底驚いた。

どの年齢層の女性にも分け隔てなく美辞美麗を吐き続けた男が、東宮侍女や街の売り子や視察先の領主奥方にまで甘い台詞を撒き散らした男が、他国の王女に対し、ここまで辛辣な言葉を吐くのは初めて見たと凝視する。

 

「何ですか、殿下。いくら私でも全ての女性を褒め称えるなど無理ですよ。生理的に受け付けない女性もおります。その中で最大級に受け付けませんね、あの王女は」

「そ、そうか。・・・まあ、取り敢えず視察は終わった。では侍従に報告書を任せて急いでアラントルに向かうぞ! 騎士団はこのまま王城に戻るよう指示をしてくれ」

「わかりました。ああ、ディアナ嬢の御両親の前では王子としての品性を失わずに対応して下さいね。たった数日会わないだけで熱い抱擁やキスなどをされますと御両親も驚きますでしょうし、ディアナ嬢に泣かれてしまいますよ」

 

目の届かない場所でしたら結構ですがと言われ、視察出立前にディアナを馬車に押し込んでキスしたことかと顔を背ける。あれは確かにやり過ぎたかと反省しながら、思い出して顔がにやけてしまうのを止めようがない。恥ずかしいと目を潤ませ頬を染めるディアナが可愛過ぎて何度誓いを立てても、自粛しようと思っても、手が勝手に動いてしまう。

ここ最近は抱き締めるだけじゃ足りないと、貪るようなキスをしている自分だ。 

「ディアナ嬢の御両親の前では、その顔も自粛して下さい」

「・・・わかった」

 

呆れたような嘆息を耳にして、馬車の窓に映る自分の顔を見る。確かにディアナの両親に見せるべき顔ではないと思うが、彼らの前では高潔な王子然として見せると息を吸い込んだ。

レオンが馬車から降りて侍従に報告書を渡し指示する姿を見ながら、早く彼女に逢いたいと思いを募らせる。アラントルに着いて、直ぐに両親に婚姻の承諾を戴こう。ディアナと結婚したいと、ディアナを王太子妃に望んでいると伝え、未来永劫幸せにすると誓おう。

 

「レオンッ、まだか!」

「殿下ぁ。レオンから聞きましたが、これから愛しい姫を迎えに行かれるそうですねぇ」

「大声で侍従長を呼ぶなんて、そんなに急いで会いたいってぇ?」

「愛しの姫に早く逢いたいのは判りますが、度量が狭いと嫌われますよぉ」

「そうそう。王子は物語の終盤に登場すると、相場が決まっているんですから」

「戻ったら、また騎士団宿舎の厨房で料理してって伝えて下さいねぇ」

「え、あの彼女ぉ!? 俺、今度会えたら口説こうと思っていたのにぃ!」

「俺もっ! あんな美味しい料理を作ってくれるなら、超大切にするし!」

「俺は一緒に厨房に立ちたい! すげぇ可愛いよなぁ。細いしっ!」

レッオ―ンッ! まだかぁ!! 

 

どっと沸く盛大な笑い声と共に騎士らがいってらっしゃーいと盛大に手を振り、レオンが悠然と馬車に乗り込んでくる。余計なことを喋りやがってと睨むが、奴はのんりびと足を組みながら口を開いた。 

「ああ、そういえば殿下。アラントル領主に土産など用意されましたか? まさか手ぶらで侯爵家子女を嫁に欲しいと申し込むおつもりで?」 

「ぐ・・・。何が喜ばれるか、相談に乗って欲しい」 

「もちろんで御座います。・・・ああ! このような御相談を殿下からされる日が来るとは、王太子付き侍従長として大変喜ばしく存じます。とはいえ殿下は若干二十歳の世間知らず、まずは女性への気遣い、配慮などを馬車の中で説かせて頂きましょう」 

三つしか違わない癖にと思いながら、ギルバードは黙ったまま頷くしかない。

女性や世間一般に関することは確かにレオンの方が熟知している。見る目もあり、博識だと認めざるを得ない。自分が世間知らずだとは思わないが、ディアナへの気遣いや贈り物は、悔しいが何時もレオンに指摘されてから動いているのが現実だ。

 

「まずはディアナ嬢を翻弄していると自覚することが先決です。淑女を馬車に押し込み髪を乱すほど口付けるなど、常日頃御自身が口にされている騎士道精神はどこに置き忘れて来ましたか? ディアナ嬢は殿下がされること全てに否と言わないでしょうが、エルドイド国王太子としての自覚を持ち、紳士的な態度で接するべきでしょう。違いますか、殿下」 

「・・・・・」 

ギルバードの問いに思わず視線が泳ぐ。

ディアナを前にすると、いつの間にか何かがプチンッと音を立てて切れ、気付けば彼女を腕に掻き抱いている自分だ。確かに堪えることが必要だと自分を叱咤してレオンからの苦言を耳にしながら、甘やかなディアナの咥内を思い出てしまう。

震える小さな舌、零れる吐息交じりの声、柔らかな唇の感触。

逢いたい気持ちは増すばかりで、逢えた時に自分が落ち着いて我慢出来るかなど正直自信がない。レオンの苦言を真摯に受け止めつつ、きっと抱き締めてしまうだろう自分が想像出来て、思わず口元が緩む。途端に前に座る侍従長から舌打ちと共に蹴りが入った。

もちろん、痛いと文句を言うつもりは無い。もう少しでディアナに会えると思うだけで全てに寛容となり、レオンの舌打ちさえも祝砲に聞こえてしまう。

 

 

 

 

だがアラントル領に到着してリグニス領主に面会を申し込むと、出迎えたリグニス侯爵家の執事であるラウルにひどく驚かれた。ギルバードとレオンは顔を見合わせ、急に湧き上がる不安に声を震わせる。 

「・・・王城より、前もって書簡を送っていたはずだが」 

「い、いいえ、届いておりません。王太子殿下が来られることとは、ジョージ様も知らないはずです。た、只今お知らせして参りますので、応接室にてお待ち下さいませ」 

「そんなはずは・・・。では、ディアナ嬢は? 四日、いや遅くとも三日前には到着しているはずだが、彼女は・・・・ディアナ嬢は城に居ない、のか?」

「来ておりま・・・せん」 

驚きに目を見開くラウルが、取り敢えずこちらにと応接室へ案内し、慌ただしく部屋を出て行く。しんと静まり返った部屋に残されたギルバードとレオンは互いに眉を顰め、窓から見える景色に視線を投じた。

 

「殿下、道中何かあったのでしょうか。ローヴ様が馬車に術を施し、双子騎士が警護に就いておりますのに、書簡すら届いていなかったなど」 

「ただの物取りなら双子が充分対応出来るはずだ。それなのにまだ到着していないなど何があった? 何が考えられる? 王城からの書簡すら届いていないなど、まさか・・・・」

 

浮かんだ考えに、ざわりと悪寒が這い上がる。

扉が叩かれ領主が現れると、ラウルと共に青ざめた表情で転がるように部屋に入って来た。レオンが落ち着くようソファへ座らせ、ゆっくりした口調で問い掛ける。

 

「ジョージ・リグニス様、挨拶より先に御伺い致します。ここ数日、王城より書簡が届けられた事実はないのですね。それとディアナ嬢は御戻りになって・・・いないと」 

「は、はい。ま、魔法が解けたと報告は受けておりますが、その後、王城より書簡は一切届いておりません。娘は・・・ディアナは王城より、どのように戻る予定だったのですか? 乗合馬車か、それとも」 

「王城が用意した馬車だ。盗賊などに備え、警護騎士も二人就けた」 

「では、何故・・・」

 

それはこっちが訊きたいとギルバードは奥歯を噛み締めた。

蒼褪めた領主の背を擦りながら町の警吏に連絡しましょうかとラウルが話すのを耳にして、最近の領地内で誘拐などがあったかを問うと、隣国との境より時折物騒な輩が来ることはあるが、町の警吏を軸に漁師や酪農業を営む者たちに、あっという間に捕らえられると答えが返って来た。治安維持のために自主的に見回りもされており、他から来る者による被害は何十年もないという。

 

「領地の民は皆顔見知りで、見知らぬ者が来たら直ぐに連絡が来ます」 

「い、いつディアナの馬車はアラントルに入ったのだろう。ああ、ラウル! まずは直ぐに近くの、隣のヴァルター領地に、りょ、領主に連絡を!」 

蒼褪めたジョージ・リグニスはソファに足をぶつけて床に転び、立ち上がろうとしてソファごと再び引っくり返る。ラウルが慌てて助け起こすが、立ち上がることも出来ないくらい狼狽していた。領主の前に跪いたギルバードは眉間に深い皺を寄せて口を開く。

 

「・・・他領に連絡をせず、悪いが話しをここで止めて欲しい」 

「で、ですが殿下! ディアナが、ディアナを、ディアナに、な、何かあっては」 

「リグニス様、落ち着かれて下さい。大丈夫です、ディアナ嬢は必ずお助け致します。慎重な調べが終わるまで、無用な騒ぎが起こらぬようアラントル領地内に箝口令を布きます」 

レオンが書簡の件や王子が訪れたことを他に知る者はいるかと問うと、ラウルは領主にしか伝えていないと答える。次期領主であるロンとカーラは夫婦で旅行に出掛けており、奥方も従姉妹に誘われ隣国に出掛けたため、城に従事する者たちに休みを取らせ、執事とのんびり過ごしていたと話す。

 

「殿下の視察が終わり次第、魔法が解けた報告をディアナ嬢を交えて直接領主様に説明するためにアラントルで落ち合うことになっておりました。王城より書簡を送り、ディアナ嬢がアラントルに到着した後、殿下が訪れる。その予定でした」 

「そ・・・そうですか。しかし、何故ディアナは戻らないのでしょう」 

「それは早急に調べます。申し訳ありませんが、こちらに王宮の者を呼び寄せます。しばらくの間は城を借り切りますので、従事者らを休ませたままでお願い致します」

 

もちろん構わないと頷く領主の肩を叩き、安心して欲しいとレオンは微笑んだ。 

そして表情を落とした王子が黙したまま部屋から出て行くのを見送り、ラウルに町一番速い馬を用意するよう伝え、領主に紙とペンを頼んだ。急ぎ王宮に届けたい書簡があると。

 

外に出たギルバードは城の南側にある畑に向かった。 

温かな日差しが降り注ぐ畑には青々とした野菜が早く収穫しろと風に揺れている。本当なら今日ここにはディアナがいたはずだ。今夜は何を作りましょうかと浮かんだ汗を拭いながら笑みを浮かべ、籠いっぱいの野菜を見せてくれていたはず。 

―――何があったと誰に問えばいい。 

ローヴが馬車に施した目隠しで、盗賊などには目を付けられることなく到着していたはずなのに。

ディアナが出迎えてくれると思っていた。はにかんだ笑顔で、優雅な御辞儀で、賑やかな双子騎士と共に玄関に姿を見せてくれると思っていた。

 

「・・・ローヴッ!」 

やり場のない怒りが暴走しそうだと、揺らぐ紅い視界に手を広げる。指輪に向かって叫ぶと強く目を瞑り、アラントルに到着してからの映像を見せた。

 

『殿下・・・、状況は把握しました。至急、魔法導師に馬車が辿った道を調べさせながら向かわせます。明日早朝には到着しますので、それから【道】を作ります』 

「一人は真っ直ぐアラントルに向かわせろ! ・・・正直、レオンが同行していなければ暴走していたかも知れない。ローヴ、馬車にかけた術が破られる可能性はあるのか?」 

『術自体は容易に消せましょう、同じ魔法導師なら。ですが何かあった際は内側からしか開けられぬよう二重に術を施しておりました。ですから殿下、・・・私は怒っているのですよ。馬車ごと攫われたなど、あってはならないことですから』

 

今まで聞いたことの無い低く冷ややかなローヴの声が頭の中に響く。抜けるような青空を見上げながら、ギルバードは強く手を握り締めた。

 

「ローヴ・・・王に王弟派の動きを探るよう伝えてくれ。あとエレノアが消えた後、他の貴族が噂していることなど、全て調べあげるよう俺の密偵に連絡を。あとはディアナ捜索の途中、万が一俺の魔法が暴走しないよう、急ぎ枷となる魔道具を作ってくれ」

 

ディアナの実家のあるアラントル領地に何かあっては困る。自重するつもりだが、感情を抑え切れるか自信が無いと正直に伝えた。ディアナが傷付けられ、航行不能なほど他国の商船を破壊した自分だ。それをアラントルで繰り返す訳にはいかない。

自領を離れてから彼女は王城で何度傷付いたことか。これ以上、彼女に何かあるのは許されない。そう思っているのに、この事態だ。一領主の娘として攫われた訳ではないだろう。王城よりの書簡が届いていないことも併せ、妃推挙に関連して巻き込まれた可能性が大きい。

 

『殿下、魔道具など直ぐに作れる訳がありませんでしょう。そこは精神力で堪えて下さい。ある程度は魔法使用を許可しますが、相手を傷付けることはいけません』 

「自制出来る訳がない! 今回は・・・追うことすら出来ないのに!」 

「殿下、ローヴ様との会話はもっと密やかにされて下さい。これでは周囲に駄々漏れです。今は何をするにも警戒が必要でしょう」

『レオン殿が来られたのなら、私は私で為すべきことを致しましょう。・・・殿下、今嘆かれていいのはディアナ嬢の親だけです。何が起こっているのか判らぬまま、殿下の苛立ちに付き合わせるのは許されません。それを心に御留め下さい。・・・・では』

 

ローヴの声が頭から消えると、言われた内容にギルバードは慌てて振り向いた。姿を消したギルバードを追い掛けて来たのだろう、息を切らしたレオンが王城へ今回の経緯を書面に記し早馬にて送ったと、領主は今にも倒れそうだったため休んでもらったと話す。

ディアナの父である領主の心痛を慮ることもなく場を離れた自分を振り返り、ギルバードはレオンに謝罪した。しかしレオンは恭しく御辞儀し、問題ないとほくそ笑む。

 

「あの場で感情を爆発されなかっただけで充分です。それよりローヴ様はなんと?」 

「魔法導師に馬車が辿った道を追わせると。魔法導師がアラントルに到着次第、【道】を作るそうだ。俺からは王に王弟派の貴族を調べるよう指示し、噂を全て調べるよう密偵に伝えて欲しいと頼んだ」 

「そうですか。ああ、ローヴ様に出立した早馬が無事王城に到着出来るよう、お願いして下さい。王弟派の貴族はグラフィス国の一件後は散開したはずで、次の王位継承権を持つ者へ取り入っている可能性がありますね。まあ、次の王位継承権は殿下の姉君達のお子様方ですから、諂う貴族などに取り入る隙などありませんがね」 

「次から次へと・・・! 何故、俺を狙わない!」 

「先の舞踏会や、グラフィス国商船への拉致の件でディアナ嬢の存在が多くの貴族に知れることとなりました。東宮滞在も長くなりましたし、それでいて立場は不明瞭。アラントル領自体がかなり田舎ですし、侯爵といっても名ばかりで王都では無名ですから、それが逆に関心を集めるのでしょう」 

 

地方領主の娘が何故東宮に居るのか。何故王弟、及び王弟息女と係わることになったのか。

王弟の罪が暴かれた場にいた貴族らには、ディアナは王子が二年間の視察終了時に連れて来た女性だと知られていることだ。さらに王がはっきりとディアナの名を紡ぎ、彼女が王太子妃でも問題ないと言った。 

但し正式に決定したことではないと、正式な発表があるまでは不用意な発言が流布されぬよう箝口令を布くと付け加えらえた。薄い笑みを浮かべる王の視線に、その場にいた皆は承諾する。王の背後には瑠璃宮があると知って尚、逆らう者など王城にはいない。

しかし、それでも噂となって流出するのは避けられないことで、それを今悔いていても仕方がない。

今すべきは、王城からアラントルまでの道筋を隈なく探しながら、その周囲で何かあったか調べること。しかし術を掛けられた馬車に手を出すなど、まず常人では考えられない。エルドイド王城より術が施された馬車が出立する。それに手を出そうなど、魔法に通じる者なら考えもしないだろう。背後にいるのは瑠璃宮であると解かるのだから。

だが実際、ローヴにより術が施された馬車は消えた。 

 

「他国から来ている見合い話で、一番執拗だったのは何処だ」 

 

振り返るとレオンが端的に答える。

バールベイジ国、ビクトリア・ビルド・バールベイジ王女だと。

  

「王女からは毎月欠かさず絵姿が届いておりました。殿下も御存知のように大幅に修正された空想画が。全ての申し込み者を調べておりますが、我が国に密偵を忍び込ませた国は四つ、バールベイジ国はその一つです。王城に侵入しようとしたのは二国で、その内の一つはバールベイジ国。・・・もうこれは執念というか、妄執に近いですねぇ。全く、殿下も特異な御方に惚れられたものです」 

「あの王女が・・・ネチネチと陰から調べ上げ、ディアナを攫ったと?」 

「可能性の話しです。今回の件にビクトリア王女が係わっていない可能性もあります。しかしローヴ様の術を見破り馬車ごと攫い、その前に王城より届けられた書簡を奪う。執拗に隙を窺いながら魔法導師を使役するなど、一貴族には出来ません。特に自国の魔法導師は係わりを持つことさえ厭うでしょう」

「王城を出た辻馬車に狙いを定めたのは・・・。届いていない書簡か」

「盗んだ書簡の文書を拾い、地方領主の許を殿下が訪ねると知り、術が施された辻馬車を追う。中にいるのは王太子付き護衛兵として有名な双子騎士。そして可憐な女性が一人。巷で噂されている、東宮に滞在する貴族息女と狙いを定め」

「・・・・レオン、もういい」 

 

握り締めた拳が震え、目の前が紅く染まる。揺れる視界に浮かぶのはディアナの泣き顔だ。誰が彼女を泣かせている? 俺の大事なディアナを! 数日前に会った王女の顔が浮かび、奥歯がギリリと軋む。 

 

「殿下、血が・・・」 

「構わん! それより明日早朝に魔法導師が来る。直ぐに【道】を作るから、応接室を使わせて欲しいと領主に伝えてくれ。・・・ディアナは必ず無事に取り戻す! 必ず、絶対に!」

「御意!」 

 

苛立ちが音を立てて髪を逆撫で、今にも紅い視界に溺れそうだと目を閉じる。濡れた口端を拭い手を払うと、畑を取り囲む雑木林から一斉に鳥が飛び立つ音が辺りに響いた。

 

 

 

 

 

 

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