紅王子と侍女姫  96

 

 

「では・・・飲まされた物の影響で、殿下が化け物に見えると言うのですか? 先ほどの恐ろしいものが殿下だと、・・・本当はギルバード殿下だったと、そうおっしゃるのですか?」

レオンから聞かされる説明に、ディアナは直ぐには驚くことが出来ない。

まさか、そんなはずがないと笑みを浮かべながら首を振り、レオンに同意を求めた。

同時に膝上の手が震え出し、心臓がやけに早く鼓動を打ち始める。レオンの悲痛な表情を前に、まさかと思うことが申し訳なく思えてきた。所載無げに視線を落とすと、化け物の姿が脳裏に甦る。

――――部屋の扉が開くと同時に、ドロリと溶けた赤黒い溶岩の塊がギーギーと耳障りな音を立てながら現れた。頭頂部と思われる部分から臭気を発してドロドロと溢れ続ける溶岩。凄まじい熱を放ち、一瞬にして部屋を埋め尽くす蒸気には腐臭が混じり、強い吐気を覚えて口を塞ぐ。恐ろしさの余り目を外せずにいると、それはジリジリと自分に近付いて来るように見えた。

その瞬間、ディアナを襲ったのは生理的嫌悪と恐怖だ。

見てはいけない。見るだけで穢れてしまう。そう思わせる忌むべき悍ましい存在。

足元から這い上がる嫌悪と怖気に頭が真っ白になり、自分のものとは思えない叫び声が上がった。自身の叫声で硬直が解けたディアナは、すぐにローヴの背に縋った。化け物の姿が視界から消えても部屋に残る気配、匂い、全てがディアナを怯えさせる。

「・・・・・・」

だけど、何処かで似たようなことがあったような気がする。

最近、同じように叫んだことが無かっただろうか。

濁った水底に何か見えるような気がして、だけどそれが何なのか見当もつかない。漠然とした不安めいたものに眉を顰め、そして深く考えることを止めた。それよりも気になることがある。

「あの、殿下は・・・どちらに?」

その問いにレオンが困ったような笑みを見せる。気付けばローヴの姿はなく、もちろん化け物もいない。跪くレオンの横に膝を着き、重ねて尋ねると渋々といった態で答えてくれた。ギルバード王子はローヴを呼び出し、話し合いをしていると。

「ディアナ嬢が殿下に・・・、いえ化け物に叫んだのは今が初めてではありません。これで二度目なのですが、記憶にはないようですね。それも飲んだ薬の作用というなら、カイト殿に伝えなくては・・・・。ああ、大丈夫ですよ。瑠璃宮の魔法導師がすぐに解毒剤を作りますからね」

「・・・二度目?」

もう怖い思いはさせませんとレオンが言うが、二度目の言葉がディアナを打ちのめす。目の前が揺らいで見え、どういうことなのか理解出来ない自分が恐ろしく思えてくる。一度目はどこで叫んだのか、それはいつのことなのか、全く覚えがない。胸に重い石を詰められているように感じて苦しくなる。

 

「殿下は御理解されております。飲まされた薬の作用で叫んだこと、自分の姿がディアナ嬢の目に化け物に見えていること、解毒剤を飲めば元に戻ることを。ですからディアナ嬢が気に病む必要はありません。我が国の魔法導師はとても優秀ですから、解毒剤もすぐに出来ますよ。それより少し痩せましたか? 王城に戻りましたら、急いで舞踏会用ドレスの採寸をやり直した方がいいかも知れませんね」

「そんな・・・。こんな時にドレスなど」

「いいえ、国王陛下の生誕祝いの舞踏会に参加されることは決定事項です。ですから周囲から感嘆の声が上がるくらいに着飾らねばなりません。そしてギルバード殿下の婚約者として堂々と参列されるのです。これ以上愚かな考えを実行しようとする馬鹿が現れぬよう、殿下の婚約者としてディアナ嬢の存在を周知徹底させます。―――ですが、今回のことでディアナ嬢が殿下の婚約者は厭だと、アラントルに引き籠りたいと、そうおっしゃるのでしたらドレスの採寸は止めましょう。いかが致しますか?」

 

レオンの表情はいつもと同じなのに、少し違うようにも見えた。それはディアナの気持ちを尊重しようとしているようにも、試しているようにも聞こえる。王子の側にいることで何度も危ない目に遭ったが、それでも側にいる覚悟はあるのかと、侍従長としてのレオンに問い掛けられているようだ。

 

「私は・・・ギルバード殿下のお側に、いたいです。ずっと側にいると私は殿下に誓いました。ドレスの採寸もします。殿下の婚約者として、喜んで舞踏会に参列させて頂きます」

声は多少震えたが、真っ直ぐにレオンの目を見て伝えることが出来たとディアナは安堵した。

覚えがないとはいえ、二度も王子に叫んでしまった。考えると胸が苦しくなるが、解毒剤を飲み元に戻ってから誠心誠意謝罪しよう。王子は謝罪を受け入れ、気にするなと笑ってくれるはずだ。逆に、王子の方から謝って来るかも知れない。その時は私から王子を抱き締めてみようか。きっととても驚いた後、嬉しそうに笑ってくれるだろう。

その笑顔を見るためにも、今は項垂れている場合じゃない。どんなに苦くても、どんなに大量でも、解毒剤を飲んで王子の胸に飛び込むぞとディアナは震えそうな手を握り締めた。

 

「・・・あ。でも、もう舞踏会に間に合わないのではないですか?」

「大丈夫です、国王は仮病を使って舞踏会の開催を延期しておりますから。ですからディアナ嬢は焦ることなく解毒剤の完成を待ち、その間にドレスの採寸と宝飾選びをしましょうね。解毒剤を飲めば、嫌でも元の殿下に逢えますし、一緒に踊ることも出来ますよ。国王と踊る約束をされているそうですが、前回同様、もちろん私とも踊って頂けますよね、ディアナ嬢」

「はい、是非」 

笑みを作ると、レオンの目が流れるように垂れる。柔和な表情に肩から力が抜け、ディアナは口端を持ち上げた。すると緊張が解けたのか、急に眼元が熱くなり涙が溢れてしまう。皆に気遣わせている申し訳なさと、王子に会いたい気持ちに胸が詰まり、大粒の涙となって床に零れ落ちた。

「・・・ギルバード殿下にお逢いしたいです。お話は、どこでされているのですか?」

「ここから離れた場所にいるようで私も存じませんが、直ぐに戻られるでしょう。それよりも寝台に腰掛けて下さい。そこの布の塊から少しでも離れて下さると助かります」

レオンが顎で示す場所には掛布に包まれたままの魔法導師たちがいた。レオンの手が腰の剣に添えられているのが見え、ディアナは急ぎ寝台の端、魔法導師たちから出来るだけ離れた場所に腰を下ろした。狭い部屋の中、寝台が半分近くを占める空間の床に男が三人転がっているのを茫然と見ていると、レオンが「殿下が焼きもちを妬きますよ」と笑う。ディアナが慌てて視線を逸らすと、レオンは小さく笑った後、肩を落として憂い顔を見せた。

 

「麗しい淑女に御成長されたディアナ嬢と再会なさってから、殿下は幾度か魔法を使っております。それはいいのです。殿下が魔法を使うことに何ら問題はありません。―――ですがっ! 普段王城に従事する者でも、魔法導師が魔法を使っている姿を目にすることは、皆無です。魔道具と魔法は全くの異なるものですし、しかし一度拝見したいと願っても、普段はローヴ様以外の魔法導師に会う機会もありません!」 

拳を持ち上げ熱弁を始めたレオンに、目を瞠ったディアナは思わず仰け反った。 

「殿下にも懇願しました。魔法を使うところが見たい。ディアナ嬢を救出に行く際には私を連れて行け。そう何度も訴えましたのに、あの鳥頭はそれを悉く忘れてしまう! ディアナ嬢を一刻も早く己が手に取り戻したい、柔らかな肢体を抱き締めたい、熱い口づけを交わしたい。それだけで頭がいっぱいになり、私の切なる願いなど、きれいさっぱりとお忘れになる」 

「・・・・あ、あの」 

「愛する者を守るため、敵の手から愛しの姫を奪還するべく魔法を使う殿下を見たいっ! 激昂して雷を放ったとか、相手を宙に放り投げたとか、ディアナ嬢を抱きながら空を疾走したとか。聞くだけでなく、実際に魔法を使われる際の、紅い目を、魔法を、私は見たいのです! 殿下付き侍従長として殿下の全てを把握しているはずの私が、殿下の魔法を目にしたことが無いっ。私が目にするのは、ディアナ嬢を束縛するかのように抱擁している場面ばかり。殿下が興奮覚めやらぬ様子でディアナ嬢に襲い掛かっている場面ばかりを目にするのは、正直申しましてスゴク苛立ちます!」 

「・・・そ、・・・も」

声を荒げるレオンに、それは申し訳御座いません、と謝った方がいいのだろうか。レオンに言われた言葉ひとつひとつを噛み砕いていくと目が潤むほど頬が染まり出す。確かに攫われ、助け出された後は王子に抱き締められることが多いが、束縛とか、抱擁とか、襲い掛かると言われては身の置き場がない。

ディアナが恥ずかしさに身を竦めていると、レオンが寝台から跳ねるように立ち上がった。 

 

「ローヴ様、・・・殿下は何と?」 

「レオン殿、殿下は先に王城に戻られました。今回の報告を国王へされた後、バールベイジ国との折衝内容を協議されるそうです。レオン殿はディアナ嬢と共にエルドイドに戻り次第、王宮第一政務室へ足を運ばれるよう、殿下より伝言を賜っております」

「そうですか、わかりました。・・・それと、ローヴ殿にお借りした指輪は使うことなくお返しします。普段使い慣れていないせいか、指輪の存在をすっかり忘れておりました」

「殿下の鳥頭に比べたら問題御座いませんよ」

音もなく部屋に姿を見せたローヴに驚くと同時に王子が先に王城に戻ったと知り、胸が痛くなる。

もしかしてと疑問を抱くまでもなく、自分の放った言葉に王子は深く傷付き、ディアナの顔も見たくないと王城に戻ってしまったのだ。 

あの化け物はレオンと部屋に入って来た。近くにはローヴもいた。もし本当に化け物が現れたとしても、レオンやローヴが動かずにいるはずがない。それにディアナが攫われた時、いつも一番に来てくれたのはギルバード王子だ。

―――――それなのに、その王子対して自分は。

王子が化け物に見えたとはいえ、ディアナが放った言葉は確実に王子の心を傷付けたことだろう。この場に王子の姿がないのが何よりの証拠だ。蒼褪めた顔を覆う手の感覚がない。今、ここに居ない王子が何を思って王城に戻ったのか、そればかりが頭の中をグルグル回る。

どうして叫んだのか――――それは怖かったからだ。

突然現れた化け物に恐怖を覚えて叫んだ。叫ばずにいることも、冷静になることも出来なかった。あんな恐ろしい目に遭ったのは初めてだったから。そして王子に向かって、来るなと何度も、何度も・・・・。

 

「ディアナ嬢」 

温かな声色を耳にして、ディアナは緩慢な動きで手を下ろした。 

「殿下はディアナ嬢が心穏やかに過ごされることを望んでいます。瑠璃宮の皆も、ディアナ嬢に笑顔が戻るよう努力致します。解毒剤が出来ましたら全て元に戻りましょう。もうしばらく御辛抱下さい」 

「・・・・はい。よろしく、お願い致します」 

掠れた声で、だけどしっかりと顔を上げ、ディアナはローヴに微笑んだ。

レオンから話を聞き、後でいくらでも謝罪しようと思ったばかりなのに、姿が見えないだけでこんなにも心が脆くなる。いまは・・・落ち込んでいる場合じゃない。謝罪するのは全てが終わってから。

ディアナは大きく息を吐き、ローヴとレオンに満面の笑みを向けた。

 

 

 ***

 

 

ギルバードはローヴとの話し合いを終えると直ぐに『道』を使い、王城に戻った。

ある程度予想はしていたが『道』から足を踏み出した途端、肌を突き刺すような冷気に襲われる。やはり待ち構えていたのだろう、そこには予想通りにカリーナが険しい表情で両腕を組んで立っていた。

ディアナが王城に来てからというもの、王命以外は瑠璃宮に籠もり、己の研究に没頭するばかりだった魔法導師に変化がみられる。特にカリーナはディアナを庇護の対象とし、その分ギルバードに対しては辛辣な態度を隠そうともしない。

ギルバードは思わず視線を逸らしそうになる自分を叱咤しつつ、強張りそうな口を開いた。 

「カ、・・・カイトから話は聞いていると思う。カイトとエディはまだ戻っていないのか?」 

「まずは御帰りなさいませ、殿下。先ほどカイトよりエルドイドの港町に到着したと報告が届きました。ローヴが『道』を使うため、カイトらは騎馬にて帰城しますので、戻りは明日の夜になるとのことです。―――殿下、ディアナ嬢をお救い出来たことは大変喜ばしいことで御座います。しかし髪を切られ、怪しげなものを飲まされ苦しんでおられるとは、どういうことですか? さらに急ぎ解毒剤を作る必要があると濡れたハンカチが転送されてきましたが、殿下はどのような成分が飲まされたか御存じないのですか?  第一、どうしてディアナ嬢と御一緒に戻られなかったのですか!」

予想してはいたが、やはり怒涛の剣幕で矢継ぎ早に問い詰められると腰が引けそうになった。早くカイトが戻って来て、怒り心頭のカリーナに上手く説明してくれたらいいなと祈りそうになるが、今は祈っている暇などないと重々承知している。

 

「カイトの言うように飲まされた物の解明を急ぎ、解毒剤を早急に作らなければならない。俺もどんな成分なのかまでは知らないが・・・時間の経過と共に精神を歪ませ・・・、廃人になる可能性があると」 

「何ですって! それはカイトから報告されていません!」 

眉間に深い皺を作っていたカリーナが一気に蒼褪め、踵を返す。

向かった先は瑠璃宮の一室で、追い掛けたギルバードが目にしたのはハンカチから抽出した液体を一旦薄めて、元となった薬草を調べている最中だった。使われた薬草は何かを調べ、それぞれの効用を解き明かし、解毒剤を作るために集められた魔法導師は三人。しかしそれでは間に合わないと、カリーナはもっと人手が必要だと増援を指示した。 

「殿下っ、これを作った魔法導師は何処にいるのですか!」 

直ぐに連れて来いと怒鳴られ、ギルバードは指輪でローヴに問う。帰城の際に連れて戻ると応えがあり、ついでに薬草園で幾つかの薬草を採取して持ち帰る予定だと報告が返って来る。薬草園にはエルドイドには無い薬草があり、それが使われた可能性もあるため、もうしばらくしてから戻るとローヴは言う。

カリーナが額に手を宛がい、大きな嘆息を吐いた。 

「カリーナが苛立つのも分かる。俺への叱責は全てが終わってから、いくらでも聞く。だからお願いだ! ディアナが元に戻るよう、出来るだけ急いで解毒剤を作って欲しい」 

「もちろんです! ・・・ギルバード・グレイ・エルドイド王太子殿下。どうか、いま御自身が発せられた言葉を、くれぐれもお忘れなきよう。ただの叱責で済むなど思わず、今から御覚悟下さいませ」 

カリーナの唇から紡がれる極寒の地を這う北風のような声音に、ギルバードは総毛立てて蒼褪める。コクコクと何度も頷き、解毒剤は任せたと告げて急ぎ王宮へと向かった。

 

今度は国王と宰相への報告だ。

バールベイジ国王女の奇行がギルバードへの行き過ぎた恋愛感情だとしても、他国の者を巻き込むなどあってはならない。ビクトリア王女に忠誠を誓い暴走に手を貸した魔法導師達も、その内の三人は別の理由があって動いているようで、その裏も調べる必要がある。

そして王女が姿を消して一週間以上経過しているが、バールベイジ国王より問い合わせの書簡が届いてはいないだろうか。または直接代理の者が訪れても不思議ではないはずだ。それに王女の奇行を、親である王は知っているのか。王女の策が上手くいけばエルドイドと縁が結べるとでも考えていたのだろうか。

悶々と考えながら足を進めていたギルバードは王宮近衛兵の出迎えに、重苦しい息を吐いた。近衛兵に案内され国王執務室へと向かう道すがら、足が異様に重く感じて顔が歪んでしまう。扉前まで来ると、近衛兵がそそくさと場を離れていくのを訝しげに見送りながら扉を叩いた

誰何の声に名前を告げると、宰相の声で入るよう促される。

ギルバードが部屋に入り扉を閉めて向き直った途端、鋭くも重い音が耳元に響いた。続いてビイインッと鈍い音が届く。硬直したまま横目で確認すると、扉に突き刺さっていたのはペーパーナイフだとわかる。それも先が鋭利な、護身用にもなるような一品だ。それはギルバードの耳朶をほんの少し掠め、幾本かの黒髪を床に散らした。 

「よお。やっと戻って来たか、我が愚息よ」 

「た・・・ただ今、戻りました」 

不穏な空気漂う執務室で待ち構えていたのは王と宰相の二人。王の背後の大きな窓から降り注ぐ柔らかな陽光に違和感を覚えるほど場の空気は悪く、ギルバードは渇いた咽喉に無理やり唾を飲み込みながら一礼した。王の執務机の上には大量の書類と書簡。王の顔がやつれて見えるのは、王太子分の政務も請け負っているからだろう。ギルバードは身の置き所の無い思いに肩を竦めた。

 

「魔法導師カイトから大まかな報告が来た。アラントルで攫われたディアナ嬢は船に乗せられ、バールベイジ国まで連れ行かれたそうだな。その上、怪しげなものを飲まされ、髪を切り落とされた。お前の姿が化け物に見えて怯え泣いていたって?」 

ギルバードが思わず顔を歪めると、どんっと音が響いた。執務机に王が足を放り出したのだ。放り出した足に書類が押しやられ、机上から零れ落ち、宰相が大仰な嘆息を零しながら拾い集める。

 

「ギルバード。お前に懸想するバールベイジ国の王女が暴走した結果が、これだ。お前を得ようと自国の魔法導師を上手く動かし、己の妄想を実現しようと奇行に奔った王女が悪いのはわかる。だが、お前自身には何の責もないと、そう言い切れるか? ディアナ嬢が攫われるのも傷付くのも髪を切られたのも、全て王女が悪いのであって自分に責はないと、今のディアナ嬢を前にして口に出来るのか?」

鋭い切っ先で胸を抉るような問いに、ギルバードは首を横に振った。 

「おれ・・・私にも責があると、自覚しております。もう幾度も攫われているディアナに、何の措置もせずにいた。居場所が直ぐにわかるよう、何かあった時にすぐ魔法導師を呼べるよう魔道具を渡すのを忘れていた。・・・自分の妃にすると決めたのに、守れずにいた。ディアナが心身ともに傷付いたこと、その全てに責があり、猛省しております」 

「お前が猛省したところで、ディアナ嬢の心は癒されるのか? 切られた髪が伸びるのか? それに放置したままの王女はどうする? 捕えたバールベイジの魔法導師の処分は? 舞踏会はいつまで延期すればいい? ギルバード、面倒なことはさっさと処理してしまえ。私は早くディアナ嬢と踊りたい!」

 

叩き付けるような辛辣な問いに唇を噛んでいたギルバードは、最後の言葉に眉を寄せて顔を上げた。ふんぞり返る王を胡乱に見つめ、盛大に溜め息を吐いた後、項を掻き毟りながら呻るように声を出す。  

「・・・っ、国王様。ビクトリア王女のことを含め多大な面倒を掛けていること、本当に心より反省しております。ですがディアナと踊るのは、せめてっ、一曲だけにして下さい。続けて二曲も踊るなど絶対に駄目ですからね」

「何が駄目だ。ディアナ嬢本人から断られるなら未だしも、お前に踊る回数を決められるなど心外だな。それにな、ここ数日の間、愚息の後始末をするため執務室に閉じ込められ続け、訪れるのは書簡か食事を運ぶ侍従か宰相だけ。この苦行を耐え抜いた国王陛下様に、お前が何か言う資格があるとでも? それに出立前に言い置いたよな? 次の舞踏会で、お前がディアナ嬢と踊る権利は一度だけだ」 

 

鼻で嗤いながら王は嘲るように舌を出した。確かに王の苦労も、現状を鑑みると反論すべき立場ではないことも理解出来る。それでも食い下がるように、ギルバードは勢い良く頭を下げた。

「国王陛下には多大な迷惑を掛けしたこと、本当に、大変、心から申し訳なく思っています! ですが、王がディアナと踊るのは一曲だけにして頂きたい。どうか、お願い致します!」 

大声で懇願しながら、そういえば父である国王に頭を下げるなど滅多にないことだなと目を瞬いた。

同時に頭上からしゃっくり上げるような妙な音が聞こえてくる。どこかの魔法導師長が漏らす、聞き覚えのある音に顔を上げると、真っ赤な顔の王が口元を押さえて戦慄いているのが見えた。王の隣に立つ宰相は外を眺めながら肩を震わせ、こちらも笑いを堪えているとわかる。

「・・・・笑って下さっても結構です」

ギルバードがそう言うと、二人は思い切り息を吸い込み、ひっくり返った声を部屋に響かせた。

真っ赤な顔の大人二人は壁や椅子、机を叩き、全身を震わてヒーヒーと身悶え続ける。あまりの身悶えぶりに呆れてしまうほどだ。呆けて二人を眺めていると、やがて全身を痙攣させながら王が口を開いた。 

「ひーっ、ひ、ひ・・・っ。お前からの頼みごとなど、それもディアナ嬢と踊るのを一曲だけにして欲しいなんて、あまりにも・・・、か、可愛いお願いで、は、は、腹が攀じ切れそうだ!」

「こ、これをレオンが聞いたら、夜も眠らず笑い転げるでしょう・・・く、くくっ」

 

咳込みながら涙を拭う王は、やがて表情を変えて椅子から立ち上がった。ソファに移動するよう言われ、腰を下ろすと宰相から書簡を渡される。それはバールベイジ国から届いた書簡とわかり、思わず顔が歪み舌打ちを零しそうになった。

前回バールベイジから来た書簡には、ディアナ誘拐についての謝罪の言葉は何一つなかった。

それどころか偽造文書を作成し、ギルバードがオーラント国王女を婚約者に望んでいると海を渡らせる。その悪計は看破出来たが、それはローヴだから為し得たのか、だれでも直ぐに気付くようになっていたのかまでは不明だ。オーラント国の王女が書簡に疑いを持ち、魔法導師に調べさせたのなら直ぐに虚偽の書簡と気付いたかも知れない。 

 

「まあ、我が国は大国だからな、機会があるなら虚偽だろうと陰謀だろうと、王子に近付ける一歩として利用する国は多いだろう。同盟国でなければ、面倒が続いていたかも知れない」 

「・・・詫び状、と言うのも変ですが、後で書簡を送ります」

ギルバードが頷きながら、もう充分面倒だと溜め息を吐くと、王がその後を語ってくれた。

オーラント国王と宰相は、自国の魔法導師が用意した大鏡を使い、今回の件について長い時間話し合いを重ねた。まずエルドイド国王太子との婚姻話事体が嘘で、オーラント国王女は騙されていたと告げると、鏡の向こうの国王は顔色を失って固まったそうだ。そして虚偽の書簡は何処から届けられたか、オーラント国にどのような意図があって王女を辱めたのか。移動中に万が一にでも、オーラント国の王女が事故に遭っていた可能性もあり、全てにおいて徹底的に捜査すべきと憤慨していたそうだ。

もちろんバールベイジ国が一番疑わしく、証拠収集と調査が既に始まっているという。バールベイジの魔法導師が王女ごと消えている今、その調査が進んでいるかどうかまでは判らないがと、王は笑う。 

 

「国王、笑いごとではありません。あの後・・・本当に大変だったのですよ、殿下」 

王を睨んだエドモンド宰相は、レオンそっくりの垂れ目で溜め息を吐いた。 

オーラント国の宰相は急ぎ国に戻って調査開始を求めたが、王女は遠路はるばるエルドイド国に来たのだから、もっと王子と話がしたい、王子と王宮庭園を散策したい、舞踏会で王子と踊りたいと駄々を捏ね始めた。王子は多忙で時間が取れないと説得すると、では時間が出来るまで待たせて頂きますわと、荷物を広げる始末。侍女たちを引き連れて着飾った姿で王宮庭園を優雅に歩き出し、宰相同士は頭を抱えて困り果てたという。

「邪魔でしょうがないから、カリーナに催眠効果のある薬を作ってもらった。美容にいいらしいと言って飲ませ、舞踏会はもう終わったと暗示をかけて帰国させた。これに関しても感謝しろよ」

「本当に、荷物をまとめ船に乗せるまでが嫌に長く感じましたよ。オーラント国の宰相が良い方で助かりました。これに関しても書簡でお礼を伝えて下さいね、殿下」

「・・・一国の王女に対し、ずいぶんな思い切った行動を取ったな。ともかく、王にも宰相にも多大な迷惑を掛けたことは心から謝罪致します。オーラント国の宰相宛にも書簡を認めます」 

オーラント国の王女が来訪している間にディアナは攫われた。ギルバードの足止めが目的だったというなら、それは間違いなく成功だ。

攫った後、ディアナの髪を餌にあちこちと振り回し、あまつさえディアナに碌でもないものを飲ませた。 

 

「私たちへの謝罪はディアナ嬢に笑みが戻ってからでいい。ギルバード、さっさとバールベイジ国からの書簡に目を通して見ろ」

「・・・・何ですか、これは」

書面に目を落としたギルバードは思わず顔が引きつり、このまま消し炭にしてやろうかと手が震えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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