頑なな賢者の祈り  3

  

 

王宮には専属の魔術師がいるそうだが、戦時に見た王の強さは王自身によるものだ。

だが自分が知らないからと言って、簡単に否定するつもりもない。しかし、目の前のこの展開がそれだと言われても、そうなのかと容易に信じるほど単純な頭でもない。 

話の流れからすると、俺の寝台で眠り続けているのは魔法だか魔術をかけられた少女ということになり、この領地はハムガウト国にほど近い。

ハムガウド国にも魔術師がいると聞いたことがある。

戦争時、ハムガウド国近くの空を、羽の生えたトカゲのようなものが飛び、燃え盛る石を投下してきたと他の騎士団員が話していた。それは地面に落下すると爆発し、森や家を舐めるように焼いたと悔しそうに話し、息絶えたのを覚えている。他にもハムガウド国の魔術目撃談は数多く、苦戦を強いられていた時分だったので口惜しく感じたものだ。自国にも同じような手段を用いられたらいいのにと。 

その国に攫われ、行方が判らないままのオルドー皇国第三皇女・・・・・。

もしも自分の考えが当たっているとしたら、それは一領主の手には余る事態だ。直ぐにでもオルドー皇国に伝えて真偽を確かめて貰うよう、フェンベルト国王陛下に進言しなくてはいけない。そしてそれなりの待遇が出来る王宮へ運ぶべきだろう。

カミルが片膝を跪かせると、ウサギは目を瞠って叫んだ。

 

「跪くなど止めて下さい! お願いです、どうか誰にも言わずにいて下さい! お願いですから内密にして欲しいと、匿って欲しいと私は頼みました! カミル様、どうぞお立ちになり私の話を聞いて下さい」
「いえ、私のことは構わずにお話し下さいませ」
「お願いです! 態度を変えないでーっ!」

 

悲鳴のようなウサギの声が部屋に響き、カミルは慌てて顔を上げた。

しゃっくり上げたウサギがボロボロと涙を零し、その泣き濡れた顔を短い前足で覆っている。

 

「そんな風に、態度を変えて欲しくないです・・・。今の私はただのウサギです。・・・・ですから、お願い。誰にも・・・・誰にも言わないで下さい」 

 

寝台に伏して泣き出したウサギに、俺は戸惑いを隠せないまま声を掛ける。

 

「しかし今は例えウサギの姿であろうとも、貴女様はオルドー皇国第三皇女なので御座いましょう。どのような経緯があるか解かりかねますが、まずは今までの私の不躾な態度を深く謝罪させて頂きたい」
「謝罪などいりません! ・・・今まで通りに話して欲しいだけです。お願いです」
「・・・しかし、それは」

 

同盟国であるオルドー皇国の王族に対し、自分が仕出かしたことは不敬極まりない態度だ。

いくら今まで通りの態度を求められても、自分には無理な話し。困ったと眉を顰めて項垂れていると、寝台から飛び降りたウサギが跪く俺の膝に縋り、涙を零しながら懇願を繰り返す。お願いだから態度を変えずにいて欲しいと。
顔を上げると寝台で眠る少女の姿が目に入る。

彼女がオルドー皇国から攫われたという第三皇女だというなら、どうしてあの森に居たのだろうか。冷たい地面に横たわる、凍り付いたかのような重い身体。乱暴な移動にも目を覚まさず、雨に濡れても微動だにしない。早く着替えて安全な場所へ移動した方がいいと思うのだが、ウサギはここで匿って欲しいと訴え、縋りながら俺の態度を元に戻せと泣き続ける。

今日はどんな厄日なのだと肩を落とすと、ウサギが俺の膝を叩いた。

 

「話を聞いて下さいますか? 話しが終わるまでは誰にも言わずにいて下さると誓って下さいますか? いえ、誓って欲しいのです。カミル様、お願い致します!」
「・・・・承知致しました」

 

俺が畏まって頷くと、ウサギが深く息を吐いた。

とにかく話しを聞き、事情を理解してから上に報告した方がいいだろう。

俺自身が訳も分からないまま、攫われたはずの同盟国オルドー皇国の皇女が田舎領地にいますよと報告しても、不審がられることは確かだ。 そう覚悟を決めて、縋り付くウサギを丁寧に寝台に乗せると、目を潤ませたまま窺うように話し掛けて来た。

 

「お話をする前にカミル様にお願いが御座います。聞いて下さいますか」
「それは、どのようなことでしょうか」
「何も訊かずに頷いて頂きたいのです。・・・もしも駄目と仰るのでしたら、私は」

 

項垂れたウサギは眠る本体の少女を見つめ、再び大きな瞳から涙を溢れさせた。ウサギが泣くのを何度も見たが、それが皇女の涙と判れば否はない。カミルは深く頭を下げて急ぎ了承するしかなかった。

 

「ありがとう御座います、カミル様!」

 

嬉しそうな声を耳に、どうとでもしてくれと溜め息を吐きながら顔を上げると、寝台上にいるウサギの目が急に鋭くなったように見えた。

カミルが目を瞬くと、息の根を止める気かと思うような言葉をウサギが、いや皇女が言い放つ。

 

「では早速、この濡れたドレスを脱がせて下さい!」
「!? む、無理だ! あ、いや無理で御座います! 皇女様のドレスを脱がすなど、俺には無理なんです! ぶ、不器用だし、第一不敬だし・・・。ああ、たくさんのタオルで上から水気を拭けば大丈夫かも知れません。今、持って来ますから」
「カミル・ヴェンデル・ベルホルト! 騎士に二言はありません。貴方は私の願いを聞くと了承下さいました。私は一刻も早く濡れたドレスを脱ぎたいのです。さあ、早くこの身体をひっくり返して、ドレスの釦を外して下さい!」
「・・・ひぃっ!」

 

仁王立ちするウサギがびしりと俺に前足を差し出した。

たじろぎ首を横に弱々しく振る俺に、ウサギは強く言い放つ。

 

「濡れたドレスを脱がないままでおりますと、体調悪化も懸念されます。貴方が私に敬意を払って下さるなら、まずはこの濡れた状態を一刻も早く改善して下さい。それと今まで通りの話し方と態度に戻るよう、強く命じます!」

 

すっかり涙が止まったウサギを前に、俺は涙目で声無き悲鳴を上げた。

これからは女だけじゃなくウサギの涙にも気を付けようと心に刻むしかない。

    

 

 

***

 

  

 

「まずは腰まで釦を外して、見えて来た紐を下から解いて緩めて下さい。紐を緩めたら、仰向けにして今度はバスクを外して取り外します。錆びてしまいますので、しっかりと拭いてから広げて乾かして下さいね。その後、この濡れたドレスを脱がせます」
「・・・・し、下着の一種だろう? これは」
「そうです、これはコルセット。下に着ているのはシュミーズ。・・・・ああ、仰向けにする前に身体の下にタオルを入れて下さい。やっぱりシュミーズも濡れているわね。しばらくは裸のまま、ドレスが乾くのを待つしかないかしら・・・・」

 

ウサギは淡々と指示を出しながら溜め息を吐くが、その漏れ出た言葉を耳にカミルは蒼褪め、手を震わせてしまう。考えたくないのに厭でも脳裏に裸の女性が浮かび震え慄いていると、早く手を動かせとウサギに叱られる。

皇女の髪でベッドが濡れないよう、タオルで包む際に顔も覆い包み隠した。苦しいかも知れないが皇女の顔を前にドレスを脱がすなど出来ず、しばらくは我慢して貰うことにして、指示通りにコルセットの紐を太い不器用な指でどうにか緩める。

寝台で眠り続ける身体を横に向け、タオルを何枚も敷いて引っくり返す。肩からドレスを外しフリルだらけの袖を持ち引っ張ると、鎧を脱ぐより簡単に剥けた。

そこまではいい。いや、駄目だけど脱がすことに関しては不器用でもどうにかなる。

問題は皇女の身体が重いとか豪奢なドレスを破かないようにするよりも、脱がせていくと、どうしたって見えてくる白い肌だ。

 

「は、肌が見える! タオル、タオルを・・・っ!」

 

上半身にタオルを被せ、今度はドレスの裾を引っ張る。ずるりと脱げたドレスを椅子に丁寧に広げウサギを窺うと、早く皇女の胸を覆うコルセットなるモノを外せと言う。

言われた通りに外すが、どうしたって皇女の下着に触れてしまう。

顔面蒼白でウサギを見ると、「シュミーズを脱がせて布団を被せて下さい」と命ぜられた。心臓はバクバクと鳴り続け、指は震え続ける。

戦場で手ぶらのまま先頭を行けと言われた方が楽かも知れない。

狼の群れに小刀だけで向かって行けと言われた方が、マシかも知れない。

そんな気持ちで肩から下着を外し、細い腕を持ち上げてそろりと抜く。タオルを掛けては引っ張り、隠しては引っ張りを繰り返し、どうにかシュミーズなるものを脱がしきった。布団を掛けようとしたらウサギに止められ、皇女の腰あたりで何かを確認し始める。もしかして傷でもあるのかと心配していると、俺の心臓に杭をブチ込むようなことを口にした。

 

「ズロースも濡れていますので、脱がして下さい」
「・・・・お許し下さい。今すぐ敵陣に裸で突っ込めと言われた方がましです」
「戦は終わったばかりでしょう。まさか、私に濡れた下着を身に着けたままで寝ていろと言うのですか? それと話し方がまた謙っています!」
「・・・いつ目覚めるのでしょうか? 今度は下着を穿かせろ、何て言いませんよね?」
「幾つか目覚めるための方法はありますが、今は無理です。それよりも早く脱がせて下さい。その後で説明を致しますから。このままでは風邪をひきます」

 

少し前まで殊勝に風邪よりも寝台が濡れる方を気にしていた癖にと心の中で呟きながら、そろりと手を伸ばす。タオルが乗せられて今は何も見えないが、確実に彼女は裸だ。そのいたいけな姿の皇女の腰へ手を伸ばし、下着を脱がす。

騎士として対抗試合や戦場に何度も駆り出されたが、こんなにも怖いと思ったことはない。
触れる皇女の肌は氷のように冷たく、急がねばならないと焦れば焦るほど指先が震えてしまう。しかし何時までも時間を掛ける訳にはいかないと覚悟を決め、腰に手を伸ばし、目を固く閉じたまま下着をずり降ろした。

 

「ウサギ! タオルを掛けてくれ、いや、掛けて下さい!」

 

寝台のウサギが真っ赤な顔を横向けたカミルを眺めながら腰にタオルを掛け、小さく笑いを零した。

呆れ半分の笑い声が聞こえてもカミルにはどうしようもない。

相手は皇女だし、第一女性と話すことが元々苦手なのだ。

怪我人や子供なら平気だが、妙齢の女性となると話題がない。騎士団がいるところにやって来る商売目的の女性はいるが、モテた試しがない。モテる男は決まってスマートで話術が巧みな奴ばかりだ。だが、それに対してやっかみを持ったこともない。騎士として日々鍛錬することに喜びを感じていた、自他ともに認める剣術莫迦なのだ。それが何の因果か、自分の城で年若く綺麗な皇女のドレスや下着を脱がすことになろうとは。

 

「布団を被せ、濡れた髪を拭いて梳いて下さい。本当はバスローブを着せて欲しいのですが、まずは脱がせられたので良しとしましょう」

 

大きな瞳からポロポロ涙を零していた悲しげな様子は、今や何処にも見当たらない。あの悲しげな態度は何処に行ったんですかと問いたいほど、ウサギの態度は一変していた。

口の中で文句を呟きながら、取り敢えず言われた通りに髪の水分を拭い、髪を梳かしていると金髪は艶を持ち輝くように見え、俺は思わず惚けてしまう。

 

「綺麗な髪だ。うちの家族はみんな黒髪なので、こんなに綺麗な金髪は初めて触る。ああ、目覚め時のために姉のドレスを用意しようか。・・・っと、致しましょうか?」
「お姉様がいらっしゃるの? ・・・・あの、カミル様の御家族は?」
「姉は二人おりますが、どちらも随分前に嫁いでいます。その姉のドレスが残っているはずです。無ければ母のドレスを用意致します。あ、母は姉達が嫁いでから亡くなり、父と兄は先の戦で亡くなりました。俺は新米領主だと、先ほどお伝えしてますよね」
「では、今はカミル様だけ・・・・ですの?」
「父の代から勤めている執事や使用人がおります。・・・・先の戦で今は数人だけになりましたが、彼らが家族みたいなものです。そうだ、一緒に来て必要な物を見て下さいませんか? 女性のドレスや下着は何だか良く判らん・・・、です」

 

丁寧にウサギを抱き上げ、そろりと廊下に顔を出す。突然の嵐のような天候に城中の窓に戸板を嵌めているのか、階下でガタガタと音が聞こえている。夕餉の準備をしているのだろう、厨房からそれなりにいい匂いもしてきた。

 

「そう言えば、食事はどうしたらいいのでしょう。草なら飼葉がありますが、普通の食事を用意した方がいいのでしょうか。でも食べるのが大変ですよね?」
「いえ、食べる必要はありません。・・・・それも含めて後でお話し致します」

 

ふとウサギが大人しいなと気付き、腕の中を見下ろした。

泣いたり、いばったり、ウサギがコロコロと表情を変えるのを見ていたが、それらは全て皇女様の表情なのかと考えていると、大人しくなったウサギが俺を見上げる。何か言いたげな表情をしばらく眺めていたが、誰かが来る前にやるべきことをしようと、急いで姉の部屋に忍び込むことにした。

 

       

 

 

 

 

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